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124 規格外 海の超巨竜

鬼の地獄門と繋がる口を、無理やりこじ開けられたのだ。

その怒りは当然だった。

だが今は、戦う時ではない。

サタンは背後を振り返り、暗闇の海面でのたうつ超巨竜を見据える。

インドラは黒金の雷を尾のように引きながら、暗黒の空間を一気に駆け抜けた。

その背には、地獄から脱したばかりのサタンたちがいる。

誰もが消耗していた。

ヤマタノオロチとの死闘。

無間地獄からの強行突破。

賢者の石による鍵の生成。

そして、規格外の海竜リバイアサンとの接触。

まともに戦い続けられる状態ではない。

だが、それでも止まるわけにはいかなかった。

背後の闇が、蠢く。

空間そのものがうねるような震動が、遠くから迫ってきていた。

リバイアサンだ。

あの超巨竜はなお健在であり、無理やり口腔をこじ開けて逃れた侵入者を、そのまま見逃すつもりはなかった。

ゾイルが振り返り、顔を強張らせる。

「……来ます!」

その声とほぼ同時。

背後の暗闇の中で、巨大な輪郭がさらに持ち上がった。

山脈のような首がしなり、喉奥が蒼黒く脈動する。

次の瞬間、空間が裂けた。

放たれたのは、水だった。

だが、それをただ水と呼ぶには、あまりにも暴力的すぎた。

超高圧。

超水量。

海一つを槍の形に圧縮して叩き込んだかのような、破滅の奔流。

奔るというより、空間そのものを押し潰しながら迫ってくる。

進路上の闇が歪み、周囲の岩塊や漂う瘴気ごと呑み込まれ、押し流され、砕け散っていく。

インドラが吠えた。

「ぬっ……!」

即座に巨翼を打ち、進路をずらす。

だがブレスの規模が違いすぎた。

直撃ではない。

かすっただけ。

それだけで、激流から生じた衝撃波が雷竜の巨体を大きく揺らした。

「くっ……!」

インドラの身体が傾く。

一行の体が大きく持っていかれる。

ゾイルが背の鱗に腕を食い込ませるようにしがみつき、アスカントは咄嗟に重力場を張って遠心力によって振り落とされるのを防いだ。

タマは毛を逆立て、低く唸る。

ルシファーでさえ悲観的だ。

「まずいな」

ルシファーが低く言う。

「次が来れば、今度は耐えきれん」

その通りだった。

高圧の水塊が通った後の空間には、なお凄まじい乱流が渦巻いている。

インドラほどの巨体でさえ、翼を取られれば安定を失う。

しかも相手は、まだ余裕を残したまま次撃を撃てる怪物だ。

背後。

再び、リバイアサンの喉が膨らむ。

サタンはそれを見た。

一瞬で判断する。

このまま全員を乗せたまま飛び続ければ、次の一撃で墜とされる。

かといって全員で迎撃しても、今の消耗では押し切れない。

ならば、答えは一つしかない。

サタンはインドラの背から手を離した。

「サタン様!?」

ゾイルが叫ぶ。

次の瞬間、インドラたちにインビジュアル(透明化)の魔法をかけ、サタンは自ら飛び降りていた。

六枚の漆黒の翼が広がり、羽が周囲に舞い散る。

黒い外套が大きく翻り、身体が闇の中へと落ちる。

だが落下は一瞬だった。

サタンの背後で魔力が爆ぜ、黒炎と闇が翼のように広がる。

彼はそのまま空中で制動をかけ、単身、後方へ向き直った。

「何をする気だ!」

インドラが怒鳴る。

サタンは答えず、ただ片腕を前へ突き出した。

その掌の前方に、幾重もの障壁陣が展開される。

黒い魔法陣。

赤い光輪。

そのさらに奥に、賢者の石の残滓を帯びた鈍い輝き。

一枚ではない。

二枚でもない。

何十、何百という障壁が、重層的に空間を埋め尽くしていく。

「来い!」

サタンが吠えた。

リバイアサンの第二撃が放たれた。

先ほどと同じく、海そのものを圧縮したような超高圧水塊。

今度は避ける余地すらない。

真正面から、一行へ叩きつけられる軌道だった。

だがその前に、サタンが立つ。

激突。

最初の障壁が砕け散った。

続けて、50枚目、100枚目。

超水圧が空間をえぐるように押し込み、障壁の層を片端から粉砕していく。

そのたびに凄まじい衝撃波が爆ぜ、サタンの全身を揺らした。

腕が軋む。

肋骨が鳴る。傷口から血液が漏れ出る。

魔力回路が焼けるように熱を持つ。

それでも彼は退かない。

「ぐ……ッ!」

血が口端から溢れる。

だが、障壁群は確かに威力を殺していた。

一撃必殺の奔流が、何百もの層に分断され、削られ、ついにインドラたちへ届く頃には、直撃ではなく暴風混じりの激流へと変わっていた。

それでも十分に脅威ではある。

だが、落とされるほどではない。

インドラが歯を食いしばりながら体勢を立て直す。

「サタン!」

サタンは空中でなお踏みとどまり、振り返りもせず叫んだ。

「そのまま飛べ、インドラ!」

「何だと!?」

「俺一人なら、今でも転移できる!」

サタンの声は鋭かった。

「全員をまとめては無理だが、一人なら転移術式を通せる。お前たちはそのまま安全圏まで飛び続けろ!」

ゾイルが目を見開く。

「サタン様、お一人を残すなど――!」

「黙って従え!」

サタンが怒鳴った。

「今のお前たちを守りながら、全員まとめて転移する余力はない! だが一人なら別だ!」

さらに強く言い切る。

「俺は死なん。ここで足を止める方が愚策だ!」

第三撃の気配が膨れ上がる。

リバイアサンは止まらない。

今度はさらに広範囲を呑み込むように、喉の奥で圧力を高めている。

ルシファーが静かに言った。

(……確かに、合理的ではある。合理的すぎて気に食わんがな!)

サタンは吐き捨てるように言い、なおも障壁を展開し続けた。

「だが、今はそれでいい!」

インドラは一瞬だけ躊躇した。

その黄金の瞳が、闇の中に浮かぶサタンを見据える。

一人、あの怪物の砲火の前に残り、なお退く気配のない魔人を。

やがて、巨竜は低く喉を鳴らした。

「……信じるぞ、サタン」

「最初からそうしろ」

インドラは大きく翼を打った。

振り返らず、速度を落とさず、ただ前へ。

信じると決めた以上、迷いは翼を鈍らせるだけだ。

雷が闇夜に爆ぜる。

ソニックブームを巻き起こし稲妻のように飛翔する。

進路を反転させることなく、むしろさらに加速する。

サタン一人をその場へ残し、一行を乗せたまま、安全圏を目指して飛び続けた。

「……いい判断だ、インドラ」

低く呟く。

ゾイルは振り返らずにはいられなかった。

「サタン様……!」

暗黒の空間の中。

ただ一人で浮かぶサタンは、まるで巨大な濁流の前に立つ黒い杭のようだった。

次々と障壁を生み出し、その身で後続を遮断している。

あまりにも無茶だった。

だが、サタンなら本当にやる。

そして本当に生きて戻ってくる――そう思わせるだけの凄みがあった。

タマが低く呟く。

「ほんと、無茶苦茶な王様だね」

アスカントは険しい顔のまま、背後の術式反応を見ていた。

「ですが……あれが最善です。今のサタン様なら、一人分の転移座標なら通せる」

ルシファーは目を閉じ、短く息を吐く。

「信じるしかない、か」

背後で、再びリバイアサンの咆哮が轟いた。

空間が震え、さらに巨大な圧力が集束していくのが分かる。

その背後。

サタンは単身、迫り来る第三撃を見据えていた。

全身はすでに悲鳴を上げている。

賢者の石を酷使した反動も、酒吞童子・オロチ戦のダメージも、今になって容赦なく肉体を蝕んでいた。だがその目だけは、まだ死んでいない。

リバイアサンの第三撃は、これまでの二撃とは明らかに質が違っていた。

喉奥で極限まで圧縮された膨大な水量。

それはもはや奔流ではない。

海そのものを一つの質量塊として撃ち出す、災害の射出だった。

「……来るか」

サタンは低く呟き、両腕を前へ突き出した。

黒炎、闇、赤い光。

残る魔力のすべてを絞り出すように、幾重もの障壁陣が空間へ展開される。

もはや、空間転移できるほどの魔力も無い。

皆をだましたが、それも仕方ない。

先ほどまでよりも厚く、先ほどまでよりも重い。

迎撃ではない。

ただ、受け止めるためだけの壁。

自分の後ろに誰もいない今、守るべき方向は一つでいい。

「……これで、十分だ」

次の瞬間。

世界が、潰れた。


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