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115 地獄の最奥で見つけた自分


落下。

いや、落ちているのか、引きずられているのかも分からない。

上下も、距離も、時間も狂う。

傷口が開き、血が宙へ散る。

視界の端で、七つの首が遠ざかりながらなおこちらを見ていた。

その奥。

闇のさらに向こう。

何か、とてつもなく深いものが口を開けている。

地獄の最下層。

そこはもはや獄ですらなく、捨て場であり、封印であり、神も鬼も近づきたがらぬ“底の底”だった。

サタンは歯を食いしばる。

意識が飛びそうになるのを、怒りだけでつなぎとめる。

自分がオロチの首だった。

喰らえば強くなるのは竜の生態。

勇者が首を斬り、転移し、その結果として今の自分がある。

真実が次々と叩き込まれる。

だが、それで屈する理由にはならない。

「……ふざけるな」

落ちながら、サタンは血だらけの口で笑った。

「誰の首だろうが、誰の欠片だろうが……」

黒雷が指先で弾ける。

黒風がわずかに渦を巻く。

ボロボロの肉体の奥で、それでも黒い力は死んでいない。

「喰われる側で終わるつもりはない」

その言葉を最後に、サタンの身体は完全に奈落へ呑まれた。

上では、ヤマタノオロチが静かに目を細めている。

逃がしたのではない。

追い詰めたのだ。

必ず喰える場所へ。

そして地獄の底で。

瀕死の魔人は、自らの出生の真実とともに、さらなる絶望へ落とされる。

だがその底こそが、もっとも深い進化の入口になるかもしれなかった。

奈落の底に、音はなかった。

落下の終わりすら曖昧なまま、サタンの身体は黒い大地へ叩きつけられた。

衝撃はあった。

だが轟音はない。

悲鳴も、溶岩の泡立ちも、獄卒の咆哮もない。

無間地獄。

そこは熱でも責めず、寒気でも責めず、痛みすら薄くする代わりに、存在そのものを磨り減らしていくような底だった。

光はなく、闇だけがある。

だがその闇は空虚ではない。

重い。

粘る。

意識の隙間へ入り込み、心の奥から不要なものを削り落としていくような、圧のある闇だった。

サタンはうつ伏せのまま血を吐いた。

裂けた傷口から流れた血さえ、黒い地に染みる前に闇へ吸われていく。

「……っ、は……」

呼吸が重い。

酒吞童子に斬られ、オロチに真実を叩きつけられ、強制転移でこの底へ落とされた。

もはや満身創痍どころではない。

立つだけでも骨が軋む。

だが、肉体の痛み以上に、今は別のものが胸を抉っていた。

おまえは、われの欠片。

オロチの声。

地獄の赤い瞳。

竜の生態。

適応食材。

喰らい、強くなる本能。

否定した。

だが、否定しきれない。

サタンはゆっくりと指を地に立て、膝を起こす。

その動きすら獣じみていた。

立ち上がるというより、倒れた獣がなお獲物を睨んで身を起こすような動き。

「……竜、か」

掠れた声で、自分に言う。

その瞬間、腹の奥で何かが鳴った。

飢え。

ただの空腹ではなかった。

内臓が、骨が、血が、肉のもっと奥が、何かを喰えと騒いでいる。

強いものを。

異質なものを。

喰らい、取り込み、補い、進化しろと。

サタンの眉間に深い皺が刻まれた。

「黙れ」

だが収まらない。

脳裏に浮かぶのは、これまで喰らってきた魔獣たちの断片だった。

骨。

肉。

魔力。

それらは記憶ではなく、まるで“栄養の履歴”のように身体の奥に残っていた。

そして今、この無間の闇の中で、それら全てが一本の線でつながる。

自分はなぜ、喰らうほど強くなったのか。

なぜ、他者の力を“消化”できたのか。

なぜ、強敵を前にすると恐怖と同時に、喉の奥で甘い飢えが疼いたのか。

それは魔人だからではない。

竜だからだ。

その認識が、闇の中で形を持った瞬間。

サタンの影が、わずかに歪んだ。

背に何かが生える錯覚。

指先が爪へ変わる錯覚。

喉の奥に、咆哮したくなる衝動。

理性の表面を、本能がゆっくり押し上げてくる。

喰え。

補え。

奪え。

戻れ。

オロチの首であった過去など関係ない。

竜としての原理が、サタンの中で目を開けようとしていた。

「……ふざけるな」

サタンは血を吐きながら笑った。

だがその笑みは苦しげだった。

「今さら本能だの血だのに従えと言うのか」

喰えば楽になる。

この底に沈む何かを、あるいは近づいてくる何者かを喰えば、身体は回復し、力は増すのだろう。

本能はそう囁いていた。

だがサタンは目を閉じる。

暗闇の中で、自分が喰らってきたものをひとつずつ思い返す。

ただ飢えて食ったわけではない。

元の自分を超えるため。

自分の意思で選んできた。

本能に支配されるのではない。

本能を使うのだ。

「俺は……オロチの失敗作でも、こぼれた首でもない」

指先に黒雷が、小さく弾けた。

「竜なら竜でいい」

次に、黒風が足元で渦を巻く。

「喰らう本能があるなら、それも使う」

黒炎が、低く灯る。

「だが、喰う相手も、喰う理由も――俺が決める」

その瞬間だった。

無間地獄の闇が、わずかに震えた。

何かがいた。

最初から、そこに。

あまりに大きく、あまりに静かで、闇と一体化していたせいで、存在の境界が見えなかった。

ゆっくりと、雷が走る。

闇の向こうで、紫電が一筋。

次いで、二筋。

それは稲光ではなく、巨大な生物の鱗の隙間を這う電流だった。

サタンの目が細くなる。

「……インドラ」


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