104 地獄風 亀の煮込み
爆炎が引いたあと、地獄亀の巨体は、なお盆地の底でじゅうじゅうと音を立てていた。
焼けた甲羅はところどころ赤く灼け、割れ目からは白い湯気と、濃厚な肉の匂いが立ちのぼっている。
「焼けているな。このまま喰ってもいいが……せっかくだ。料理してやる」
サタンはそう言うと、砕けた甲殻の縁に手をかけ、まだ熱の残る肉を大きく切り分けた。
表面は火球で香ばしく焼け、中は竜巻の熱でほどよく火が通っている。
まるで最初から調理されることを運命づけられていたようだった。
ゾイルが平たい岩を運び、シャドウが重力でそれを固定する。
別の部位はそのまま甲羅の上に並べ、残った火で炙る。
脂が落ちるたびに火が唸り、香ばしい匂いが盆地いっぱいに広がった。
サタンは串代わりの骨でひと切れを突き刺し、ふっと笑う。
「地獄の山亀も、料理すれば悪くないな」
亀の肉は、見た目に反して極上だった。
表面は炙りでぱりっと焼け、中はしっとりと熱を抱えている。
噛みしめた瞬間、閉じ込められていた脂と肉汁が一気にほどけ、口の中いっぱいに濃い旨味が広がった。
赤身は野性味に富みながら臭みがなく、深いコクだけを残して消えていく。
白い脂身はとろりと舌の上で溶け、焼いた香ばしさと甘みが混ざり合う。
力強い味なのに重すぎず、いくらでも食えそうだった。
噛むほどに旨味が増し、最後には骨の近くの肉までしゃぶりたくなる。
まさしく巨獣の肉にふさわしい、暴力的なうまさだった。
砕けた地獄亀の巨体のそばで、サタンは立ちのぼる熱気を見上げ、小さく息を吐いた。
「焼くだけじゃもったいないな。これだけの肉だ、煮込んだ方が旨味が出る」
そう言って、割れた甲羅の深い部分を見定めると、サタンはその一部を鍋代わりに削り出した。
甲羅の内側は分厚く、熱にも強い。
「ちょうどいい。調理器具になるな」
ゾイルはその様子を見ながら、近くの平たい岩を運んで即席の調理台を作る。
「亀を倒したあと、真っ先に食い方を考えるのはさすがです」
倒すのは当たり前で、料理のことしか考えてなかったのだな……とゾイルには思えてしかたなかった。
「地獄のグルメなんてなかなか味わえないからな」
サタンは巨大な脚肉を風の刃で切り分けた。
分厚い肉塊がごろりと転がり、切り口からは湯気と共に濃い脂がにじみ出る。
タマが鼻をひくつかせ、ぴんと耳を立てた。
「……匂いは悪くないにゃ。脚の肉はちょっと土臭いけど、魔草を入れれば化けるかもしれないにゃ」
「いいアイデアだ。タマ!」
サタンは魔界で摘んでおいた魔草を指先で砕き、岩塩と一緒に甲羅鍋へ放り込む。
そこへ亀の脂と血を少量落とし、水代わりに氷を砕いて入れると、底でじわりと音が立った。
シャドウが無言で手をかざすと、周囲に散っていた焼けた岩や炭が鍋の下へ集まり、重力で固定される。
サタンが火球の残り火を吹き込むと、甲羅鍋の底に赤い熱が宿り、やがて中身がぐつぐつと煮えはじめた。
煮え立つたびに、肉の奥から地獄じみた濃厚な旨味が溶け出していく。
重かった匂いは次第に丸くなり、香草の青い香りと混ざって、腹の底を刺激するような湯気へ変わっていった。
ゾイルが鍋を覗き込み、目を細める。
「見た目は豪快だが、やってることは妙に丁寧ですね」
「雑に焼くより、こっちの方が魔力も落ちにくい」
「なるほど。料理の仕方で魔力を摂取しやすい方法があるのか……」
ゾイルは感心しながら、木の枝を削って匙代わりの道具を作る。
サタンは火加減を見て肉を返し、煮崩れないよう骨の位置まで確かめていた。
しばらくして、鍋の中の肉は骨からほろりと外れるほど柔らかくなった。
表面に浮いた脂は琥珀のように輝き、汁は濃く、深く、ひと口で全身が熱くなりそうなほど魔力を帯びている。
サタンは枝の匙で少しだけすくい、味を見るように口へ運んだ。
数秒、黙って嚙みしめたあと、わずかに目を細める。
「……うまい。脂で重さはあるが、甘みがある」
「それはつまり、成功ってことにゃ?」
「成功だ」
その一言で、張っていた空気が少しだけ緩んだ。
ゾイルは早速、大きな肉を引き上げて豪快にかぶりつき、タマは熱さに顔をしかめながらも嬉しそうに頬張る。
「熱いニャ」
ちゃんと猫舌だ。
「熱いときは、ちゃんとフーフーして食べるんだぞ」
サタンは息を吹きかける様子をタマに見せる。
タマはふーふーと息を吹きかけてから肉を舐め取り、満足げに尻尾を揺らした。
盆地の底には、つい先ほどまで死闘の余熱が満ちていたはずだった。
だが今は、砕けた甲羅を囲んで立ちのぼる湯気と、巨獣を晩餐へ変えた一行の気配だけが、その場を満たしていた。
「しかし、静かすぎる……。」
アスカントは周囲の様子を伺う。
獄卒たちの姿が見えない。
「なんだか……嵐の前の静けさだな」




