101 地獄の鬼
サタンは周囲を見る。
広く血に染まった平原。
生臭い風に乗って絶叫が聞こえてくる。
罪人たちは獄卒の鬼に捕えられ、槍や棍棒で容赦なく打ち砕かれる。
骨が砕け、肉が裂けても、彼らはすぐに元の姿へと戻される。
死ぬことすら許されず、再び立たされてまた殺される。
その終わりなき殺戮と蘇生が、等活地獄の名の通り、永遠に繰り返されていた。
だが地面はすべて血で染まっている。
その上を巨体の影が歩いていた。
三メートル。
四メートル。
中には五メートル近い者もいる。
筋骨隆々の体。
赤や青の肌。
角の生えた頭。
手には巨大な鉄棒、斧、鎖。
鬼。
「デカいオーガだな……あれが鬼というものか?」
「正確には獄卒です」
アスカントが説明した。
「罪人を責める処刑人」
鬼の一体が立ち止まった。
こちらを見た。
次の瞬間。
恐ろしい顔が邪悪に笑う。
「……おい」
別の鬼を呼ぶ。
「新しいのが来たぞ」
周囲の鬼たちが振り向く。
血の地面の上で、重い足音が近づいてくる。
ゾイルが呟く。
「完全に勘違いしてるな」
鬼の一体が鉄棒を肩に担いだ。
四メートルほどの巨体。
牙をむき出しにして笑う。
「おい人間」
サタンたちを指差す。
「ここは等活地獄だ」
「死んだばかりの魂は、まず俺たちが可愛がってやる決まりなんだよ」」
鉄棒を振り上げる。
地面は血で濡れ、鉄の匂いが濃く漂っていた。
等活地獄の鬼たちは、サタンたちを見つけた瞬間、獲物を見つけた獣のように吠えた。
「新しい死者だァ!!」
三、四メートルを超える鬼が鉄槍を振り上げて突進してくる。
次の瞬間、その鬼の胴は静かにずれて落ちた。
サタンの刀が、すでに振り抜かれていた。
血飛沫が宙に散る。
「遅い」
サタンは振り返りもせず次の鬼へ踏み込む。
刃が走るたび、鬼の腕、脚、首が次々と落ちていった。
その隣では
「ふんっ!」
ゾイルの剣が唸る。
横薙ぎの一閃。
鬼二体の胴が同時に裂け、血を噴き上げながら倒れた。
さらに背後から棍棒を振り下ろした鬼の腕が、斬撃の風圧だけで切り飛ぶ。ゾイルの得意技だ。
「数だけか」
ゾイルは肩を回す。
「退屈だな」
鬼たちは次々と襲い掛かるが、結果は同じだった。
実際、獄卒たちは弱くない。
中位魔人程度の力を一人一人が有していた。
オーガ以上の膂力と魔力。
しかし、弱者ばかりをいたぶり、相手にしていた鬼の戦闘経験はゾイルと比べ物にならない。
斬る。
倒れる。
また斬る。
ほんの数十息の間に、血の地面には鬼の死体が山のように転がっていた。
生き残った鬼たちが後ずさる。
そのときだった。
地面がドン、と揺れた。
遠くの血の霧の向こうから、巨大な影が現れる。
鬼たちが道を開けた。
「……獄長様」
現れたのは、8メートルを超える巨鬼だった。
黒鉄の甲冑。
角は牛のように湾曲し、両手には巨大な斧。
等活地獄のボス。
獄長。
その赤い目がサタンたちを見下ろす。
「……久しぶりに骨がある奴が来たな」
低く、地鳴りのような声。
「久しぶりだ。獄卒をここまで斬った死者は」
斧を肩に担ぐ。
「貴様ら、どこの亡者だ?」
ゾイルが一歩前に出た。
「亡者じゃない」
剣を肩に担ぐ。
「通りすがりの魔人だ」
「にゃ」
岩の上から黒猫がひらりと地面へ降りた。
タマの金色の瞳が細くなる。
次の瞬間。
景色が歪んだ。
血の大地が揺らぎ、無数の影が現れる。
ゾイルが十人。
幻覚。
タマの魔法だった。
血の風景が何重にも重なり、空間そのものが揺らめく。
「……幻術か」
獄長は鼻で笑う。
巨大な斧を振るい、目の前のゾイルへ叩きつけた。
轟音が地獄にこだました。
岩が砕け、地面が陥没する。
だが斬ったはずのゾイルは霧のように崩れた。
別のゾイルが横から踏み込む。
獄長は振り返りざまに拳を叩き込む。
その影もまた霧になる。
背後。
右。
幻のゾイルたちが次々に攻撃を仕掛け、獄長の視界をかき乱す。
「ちっ……どいつが本物だ?面倒だ。一気にかたずける!」
獄長は大きく息を吸い込んだ。
筋肉が膨れ上がり、甲冑が軋む。
「鬼道——」
斧を大きく振りかぶる。
「《震獄波》!!」
斧が地面へ叩き込まれた。
ドォンッ!!!
大地が爆ぜる。
衝撃波が円形に広がり、血の地面が波のように隆起する。
地面の爆発。
岩が砕け、空気が震え、衝撃の壁が周囲を薙ぎ払った。
だが、その一瞬の視界の乱れ。
それだけで十分だった。
ゾイルの姿が消えた。
風が走る。
次の瞬間、獄長の背後に影が現れる。
ゾイル。
剣を静かに構える。
「読めているんだよ!幻術を使うやつの動きなんか!」
振り向きざま、斧を横薙ぎに振るう。
轟風。
岩が吹き飛び、血煙が渦を巻く。
「疾風一刀流——弐ノ型 空風」
背後にいたゾイルは消えうせた。
「しまった、分身だと!?」
ゾイルはすでに踏み込んでいた。
「疾風一刀流——伍ノ型」
空気が細く鳴る。
剣がわずかに震えた。
踏み込み。
地面が弾ける。
世界が一直線に切り裂かれる。
「《疾閃・天の雲烈》(あまのくうれつ)」
剣が振り抜かれた。
だが、斬撃は見えなかった。
ただ、獄長の巨体に、
縦の線が走った。
静寂。
獄長の目がわずかに見開く。
「……速い」
次の瞬間。
巨鬼の体が、ゆっくりと縦に二つに割れた。
甲冑ごと骨ごと、真っ直ぐに。
血が滝のように噴き出す。
ドォン、と大地が揺れた。
巨体が崩れ落ちる。
ゾイルは剣を振って血を払う。
タマが岩の上へ跳び戻り、満足そうに尻尾を揺らした。
「にゃ」
血の霧の向こうで、残っていた鬼たちは完全に動きを止めていた。
「……終わりか」
タマが尻尾を揺らす。
「にゃ」
サタンは倒れた巨鬼を一瞥した。
そして、地獄のさらに奥、鬼の領域の深部へと視線を向けた。
「お見事です」
アスカントはサタンたちの実力ならもしや……と思い始めていた。
「では第三階層に向かいましょう」




