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85 生存をかけた魔人 VS 最強の獣

低く告げる。

「さあ飯の時間だ」

サタンは淡々と続ける。

「穀物を煮ろ。野菜を入れろ。肉はまだだ」

村人たちは戸惑いながらも動き始めた。

火が起こされる。

鍋がかけられる。

やがて、湯気が立ち始めた。

久しく忘れていた――

食べ物の匂い。

スープを口にした瞬間、村人の一人が涙をこぼした。

「……うまい」

その言葉に、周囲の者も静かに食べ始める。

サタンはそれを黙って見ていた。

遠くで雷鳴のような唸り声が響く。

雷虎だ。

だが、村へは近づいてこない。

先ほど、サタンが一度追い払っていた。

様子を窺っているのだろう。

サタンは空を一瞥すると、小さく鼻で笑った。

「臆病な獣だ」

やがて時間が過ぎた。

食事を終え、体力を取り戻した村人たちが立ち上がる。

顔つきが変わっていた。

さっきまでの絶望はない。

拳を握る者。

武器を手にする者。

子を失った父親が、静かに言う。

「……やろう。俺たちでこの悪夢を終わらせるんだ」

遠くで雷虎の咆哮が響いた。

サタンはわずかに笑う。

低く告げた。

「今度こそ――追い払え」



数日後。

夜の空気が張り詰める。

村の外縁。

サタンが張り直した結界の向こうで、影が揺れた。

低い唸り声。

次の瞬間――

バチッ!

稲妻が地面を走る。

雷を纏った巨大な虎。

雷虎が一匹、結界の外に姿を現した。

黄色い瞳が村を睨む。

「来たぞ……みんな!サタン様からもらった耐電の薬を飲むのだ!」

村人の一人が息を呑む。

しかし、やることがはっきりとした今は冷静でいられる。

何度もシュミレーションを行った。

呼び声とともに、事前に配っていた耐電薬を飲み干す。

逃げる者はいない。

子を亡くした父親が前へ出た。

その手には、一本の剣。

この数日ゾイルの剣を死ぬ気で真似た。

そしてサタンの電撃魔法で特訓し、この剣で村の者を守れる確信を得た。

かつてこの村を守る剣士だった者だ。

筋はいい。

「みな、準備は良いか?」

剣士はあたりを見渡す。

村人は静かにうなずく。

「サタン様、結界を解いてください」

「ああ。気を抜くなよ」

結界は揺らめいたかと思うと、静かに消えていった。

男は剣を握り、低く呟く。

「……界……」

その瞬間。

剣の刃が、静かに光った。

雷虎が咆哮する。

白虎天雷びゃっこてんらい

ドォン!!

黒雲から稲妻が一直線に走った。

自身の魔力で雷を生み出し、自然力を最大限に操作し、威力を増幅させる。

雷の道が地面を裂き、村へ突き進む。

だが男は一歩踏み込む。

「……断!」

剣が振り下ろされた。

刹那。

雷が切れた。

稲妻が空中で裂け、左右へ弾け飛ぶ。

バチバチと火花が散り、地面に消えた。

村人たちの目が見開かれる。

「雷を……」

「斬った……?」

サタンは腕を組み、静かに呟いた。

「やるじゃないか」

口元がわずかに歪む。

男は息を荒げながら剣を構える。

雷虎もまた、驚いたように一歩止まった。

その一瞬。

サタンが低く言う。

「今だ」

村人たちの目に火が灯る。

「行け!」

数人の魔人が一斉に飛び出した。

下位~中位魔人くらいの実力者たちだ。

突き出された槍の軌道に水流がまとわりつき、刃のような水圧で敵を裂く。

水刃突すいじんとつ

斧が振り上げられる。

岩砕轟がんさいごう

巨岩を砕く威力の斧撃。

火刃一翔かじんいっしょう

剣を振りぬき、炎の刃が飛翔する。

衝撃が轟音と共に炸裂する。

わずかなダメージ。

雷虎が咆哮した。

だが、もう雷の道は通らない。

界断によって断たれている。

子を亡くした剣士が叫ぶ。

「俺たちの村だ!!」

村人たちが雷虎へ殺到した。

雷虎が咆哮した瞬間、空が裂けたように白く爆ぜた。

降り注いだ落雷は、まっすぐ村人たちへ落ちる……はずだった。

「断つ」

前に出た剣士が、低く呟いて剣を振るう。

刃の軌跡に沿って空間そのものが黒く裂け、落ちてきた雷を呑み込んだ。

次の瞬間、飲まれたはずの稲妻が雷虎の頭上から噴き出し、地面を爆ぜさせる。

なんと雷の道を断つだけではなく、別の空間につなげたのだ。

「あれは……界断じゃない」

ゾイルは驚いたように剣士の動きを見ていた。

なんと剣士は、ゾイルの界断をさらに上位の剣技に昇華していた。

「まるで……空間転移だな」

サタンはつぶやく。

轟音。

土煙。

村人たちの間から、かすかな歓声が漏れた。

だが、それだけだった。

雷虎の巨体は雷をまとって揺らぎ、直撃したはずの電撃すら、その毛並みを逆立てる程度にしか効いていない。

傷は浅い。

それどころか、雷を受けるたびに、その金色の縞はなお眩く輝きを増しているようにすら見えた。

それもそうだ。

自身の放電が帰ってきただけのこと。

「自身の雷で焼かれるほど都合良くはいかないか」

剣士はつぶやく。

「火を!」

「次は氷だ!」

「止まるな!」

村人たちも必死に続く。

剣に炎を宿し、槍に水を纏わせ、斧に土の重みを乗せて打ち込む。

魔力の火花が散り、怒号と悲鳴が入り混じる。

だが、どの一撃も雷虎の分厚い皮膚と雷の障壁に阻まれ、深くは届かない。

浅い。

足りない。

削れてはいる。だが、あまりにも遅い。

迅雷裂爪じんらいれっそう

雷虎の爪が振るわれるたび、誰かが吹き飛ぶ。

天雷尾撃てんらいびげき

尾が薙げば、大人がまとめて地を転がる。

天雷砲てんらいほう

口から吐き出される雷弾が炸裂するたび、村人たちの陣形は崩れ、息を整える暇すら奪われていく。

サタンが調合した耐電薬が無ければ、身体の一部が掠っただけで消し炭になっていただろう。

剣士はなおも雷を裂いていた。

落雷の軌道を断ち、空間の裂け目へ呑ませ、別の地点へ吐き出させる。

その技だけが、辛うじて雷虎の猛攻を捌いていた。

しかし、その代償は大きい。

剣を振るうたび、裂いた空間の縁が不気味に軋み、剣士の腕から血が滲む。

雷ほど強大な力を無理やり捻じ曲げる負荷は、術者自身をも削っていた。

呼吸は荒く、膝はわずかに震えている。

誰の目にも分かった。

このままでは、先に尽きるのはこちらだ。

じり、じり、と。

勝機ではなく、破滅だけが近づいてくる。

そして雷虎もまた、それを理解したのだろう。

猛獣の眼に浮かんでいた苛立ちが、ふいに消えた。

代わりに現れたのは、圧倒的優位に立つ捕食者の冷たさだった。

雷虎は一度、魔人たちと距離をとる。

その巨体から放たれる雷気が、急激に膨れ上がった。

「……まずい」

剣士の声が低く落ちる。

空気が変わった。

周囲にまき散っていた雷虎の魔力の粒子が小さな雷へと変換される。

髪が逆立つ。

肌の上を無数の針が這い、肺の奥まで焦げるような臭いが入り込んでくる。

自然力で雷雲を操作し、渦を巻かせることで電荷を限界までため込む。

半径五百メートルの空が、巨大な雷陣へと変わっていく。

逃げ場がない。

地面に走る稲妻の筋は、まるで死刑台へ続く白い亀裂だった。

木々は幹の内側から青白く透け、岩すらも帯電して唸りを上げる。

この場一帯そのものが、雷虎の魔法陣と化していた。

「広域殲滅……!」

誰かが絶望に濁った声で呟く。

一点に落とす雷ではない。

避けることも、捌くことも許さない。

半径五百メートル。

そこに存在するものすべてを、まとめて雷で焼き尽くすための魔法。


“雷覇滅・轟天万雷らいはめつ・ごうてんばんらい


剣士が歯を食いしばる。

一条の雷なら裂ける。

だが、空そのものを埋め尽くす雷を、すべて断つことなどできない。

雷虎が咆えた。

耳を破る轟音。

大地が跳ね、空気が燃え、世界が雷そのものへ塗り替えられていく。

村の魔人たちは反射的に武器を構えた。

炎も、水も、土も、あまりにも小さい。

迫るのは災害ではない。

意志を持った天罰だった。

雷虎が咆哮し、半径五百メートルを焼き尽くす雷が天を埋めた。

白い。

空も、大地も、人の顔も、すべてが白く塗り潰される。

逃げ場はない。

一筋なら断てても、この空一面に満ちた雷までは捌ききれない。

誰もがそう思った、その瞬間だった。

「……空ごと裂く」

剣士が一歩前へ出る。

その声はかすれていたが、不思議とよく通った。

両手で柄を握る。

刃が震える。

いや、震えているのは剣ではない。

剣の周囲の空間そのものが、悲鳴のように軋んでいた。

「やめろ!」

誰かが叫ぶ。

その技が、一条の雷を逸らすだけでも剣士の身を削ることを、もう皆知っていた。

それを広域に?

空そのものを裂くなど、そんなものは技ではない。

自害だ。

だが剣士は振り返らなかった。

「ここで止めなければ、もう誰も残らない」

覚悟を決めた目。

それを見て、いよいよサタンは動く。

「……認めよう。お前はよくやった」

「私もやろう」

サタンとゾイルも刃を構えた。

三人の刃が振り下ろされ、世界が裂けた。

黒い。

夜よりも深い裂け目が、頭上いっぱいに走る。

一本ではない。

二本、三本、幾重にも。

蜘蛛の巣のように広がった空間断裂が、村と荒野を覆う天蓋となって立ち上がった。

次の瞬間、雷が落ちた。

轟音。

絶叫。

世界の終わりのような衝撃。

だが、村人たちの頭上で炸裂するはずだった稲妻は、そのほとんどが裂け目へ呑み込まれていく。

飲まれた雷は空の彼方、地平の外、遥か離れた荒野へと吐き出され、遅れて大地を穿つ閃光が幾千も走った。

雷の海を、三人が押し返していた。

「ぐ……っ」

剣士の膝が沈む。

腕の血管が膨れ上がり、肌の下を黒いひびが走る。

目尻から血が滲み、口元から赤黒いものがこぼれ落ちた。

それでも剣は下ろさない。

一人でも多く生かすために。

一秒でも長く、空を裂いたままにするために。

雷虎が唸る。

獲物を焼き払うはずの雷が届かぬことに、怒り狂っているのが分かった。

さらに魔力を上げる。

雷の密度が増す。

裂け目が悲鳴を上げる。

剣士の足元に、ぽたり、ぽたりと血が落ちた。

やがてそれは雫ではなく、流れとなる。

「もういい!」

「もうやめてくれ!」

村人たちの叫びが飛ぶ。

だが剣士は、やはり笑った。

「……よくないさ」

その声は、ひどく静かだった。

「誰かが、ここで立たなきゃならない」

やがて最後の雷が裂け目に呑まれ、空が静まる。

嵐のような轟きが去り、焼けた臭いだけが残った。

助かった。

確かに、全員ではないにせよ、まだ立っている者がいる。

泣いている者がいる。

息をしている者がいる。

その事実だけを残して、剣士の剣が手から滑り落ちた。

がしゃん、と乾いた音がした。

空を覆っていた裂け目がひとつ、またひとつと閉じていく。

剣士の身体もまた、糸が切れたように前へ崩れた。

命を削るどころではない。

命そのものを燃やし尽くして、彼は皆の上に落ちるはずだった天を斬ったのだ。

この剣士の固有能力。

極命きょくめい

命を懸ける代わり、己の限界のその先を引き出す。

一度きりの使用。

この戦いが始まった時から、発動させていた。

最初から生き残るつもりは無かったのだ。

そして剣士の手から力が抜けた。

誰も慰めの言葉をかけられなかった。

その場にいた全員が知っていたからだ。

雷虎に奪われたのは命だけではない。

飢えは誇りを奪い、親を親でいさせることすら許さなかった。

息子の遺体を……尊厳を踏みにじることになれど、村人を生き延びてもらいたかった。

だが、生き延びたその地の上には、もう二度と戻らないものがあまりに多すぎた。

雷虎の咆哮が、遠くで再び響く。

それは勝利の声ではなかった。

人の痛みを理解しない獣の、ただの怒りだ。

だからこそ、村人たちの目に宿るものは、さっきまでの恐怖だけではなくなっていた。

「おい……」

村人の一人が駆け寄る。

剣士はもう、自分では身体を起こせなかった。

唇がかすかに動く。

「……すま……い」

兜が地面に落ち、顔があらわになる。

あの鍋の中の飢え死にした子の父の顔が露わとなる。

しかしその顔は、サタンが訪れたときの悲しみと絶望の顔ではない。

それでも彼は、焼け爛れた地面を這うように進み、村の方角へ、いや、誰にも見えないその先へ手を伸ばした。

「……すまなかった」

掠れた声だった。

「ごめんなぁ……」

村人たちは息を呑む。

男が見ているのは、生きている誰かではない。

もうこの世にいない、我が子だった。

「腹、減ったって……泣いてたのに……」

「父ちゃん、何にも……してやれんかった……」

「先に死んだ母ちゃんに守るって……言ったのに……」

言葉のたびに、喉の奥で血が鳴る。

それでも男は止まらない。

「怖かったよなぁ……寒かったよなぁ……」

「ひもじかったよなぁ……」

「……ひとりにして、ごめんなぁ……」

その顔は泣いていた。

焼け焦げ、煤にまみれ、それでもはっきり分かるほどに。

男は震える手で、空を抱くように腕を広げた。

まるで、そこに小さな身体があるかのように。

「待っててくれ……」

「天国で、一緒に暮らそうな……」

最後の言葉は、願いだった。

赦しを乞う言葉ですらなく、ただ、ようやく子のもとへ行けることを願う、弱く、やさしい願い。

瞳から光が消える。

命を賭して空を裂いた者がいる。

飢えの果てに、それでも子を想って逝った父がいる。

ここで膝をつけば、その死さえ踏みにじられる。

誰かが、武器を拾った。

「お前が命を懸けて守ったものを引き継ごう」

ゾイルだ。

「そなたは赦された」

ルシファーは倒れた剣士の頭に触れ、宣言する

「村の者!ここから先の戦いは我々に任せてもらう。しばし離れていろ」



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