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84 命をつなぐ食事・戦うための食事

サタンは何の前触れもなく、空間を裂いた。

歪んだ黒い裂け目が開き、次の瞬間、その身体は勇者たちの前に現れる。

「なっ……!?」

勇者が思わず槍に手をかける。

魔法使いエリスも反射的に杖を構え、警戒の魔力を纏わせた。

そこから現れたのはサタン。

「なんだ。あなたなのね」

勇者は槍を下す。

だが、サタンは二人には目もくれない。

ゆっくりと視線を落とし、床に座っていた一匹の猫を見た。

「タマ」

「ニャ」

黒い瞳が細くなる。

「来い」

短い言葉と同時に、サタンの足元に再び空間の裂け目が広がった。

「ちょ、ちょっと待って! 何をするの――」

エリスが声を上げた瞬間、サタンはタマを抱っこして裂け目に入る。

「倉庫番に用があるんだ。お前たちは村に向かえ、雷虎は一度追い返したが近くにうろついているかもしれないから、この魔法をお前たちにかけておく」

サタンはそう告げると、2人に透明化の魔法をかけた。

「なにこれ?」

「嘘!勇者の姿が……」

「エリスも消えているよ」

次の瞬間、二人の姿は消え、サタンとタマは空間の裂け目に消えた。

残された勇者とエリスは、ぽかんと空間を見つめるしかなかった。



再び景色が歪む。

サタンとタマが現れたのは、石造りの巨大な地下施設だった。

インドラの拠点。

その奥にある食料倉庫。

乾いた匂いと保存香料の匂いが混ざった空気が漂う。

サタンは顎で倉庫の扉を示す。

「開けてくれ」

タマは小さく鳴き、前足で重い鍵を引き寄せる。

猫の姿をしているが、この倉庫の管理者は紛れもなくこいつだ。

重い扉が、ゆっくりと開く。

「おお、サタン殿。いつの間に帰られておったのだ?」

タマゴロウが砦内で気配を感じたのだろう。

さすがはタマ族のトップ。

「タマゴロウか。悪いがあまり説明している暇がないのだ。ここの食料少しもっていっても良いか?」

サタンは一応許可を取る。

この砦で俺はインドラの次の地位。

ナンバー2である俺の頼みであれば、断らないだろう。

「そんなの決まっている!!ダメだ!」

このクソ猫。

「タマゴロウ様。ここに乾燥ゲキマタタビが……」

「いくらでももって行けぇぇニャアア!!!」

タマキンがエリスからもらったマタタビを出した瞬間、タマゴロウはすべてを手放した。

2人は虚無の表情でタマゴロウを見つめる。

「……なんか。少し力が抜けたな」

怒りで体に力が入りきっていた。だがタマゴロウの姿を見た瞬間、サタンはふっと力を抜いた。

馴染みの光景だが、サタンの顔に少し笑みが戻った。

中には干し肉、保存穀物、乾燥野菜、塩漬けの肉。

大量の食料が整然と積まれていた。

サタンは腕を組み、言う。

「飢えている魔人どもに配るんだが、どれを持っていこうか?数日で体力を回復させたい」

タマは倉庫の奥を歩き回り、棚を見上げる。

干し肉を一瞥。

穀物袋。

小さく「にゃ」と鳴いた。

サタンはそれを見て、薄く笑う。

「なるほど」

猫の指示した棚を見て言う。

「まずは胃に優しい物から、か」

飢えた者にいきなり重い肉は毒になる。

タマはそれを知っていた。

「いい。とりあえず持っていく」

「サタン殿。確か薬を作れたかニャ?」

「ああ、ある程度作れるが……何か作るつもりか?」

「それなら……ここに魔獣の心臓から取り出した魔晶石がある。これとインドラ様の卵の殻のひとかけら、魔穀、塩を混ぜたら雷を使う相手で戦えるニャ」

「驚いた。なんでお前が薬の知識があるんだ?」

「このレシピは、前世のインドラ様のタマ族の守り手、猫又様がエレキナマズを取る際に使っていた薬ニャ。配合表はこれ」

タマキンは倉庫の奥に眠る石板に書かれたレシピを持ってくる。

「……でかした!これで皆戦える」

サタンは材料をかき集め、転移魔法を唱える。




魔人の村・結界内部。

サタンが空間を裂くと、積み上げられていた食料が次々と地面へ落ちた。

袋詰めの穀物、乾燥野菜、魔獣の干し肉。

突然現れた大量の食料に、村人たちはざわめく。

「た、食べ物だ……」

痩せ細った魔人の一人が、震える手を伸ばした。

その横で、小さな声がした。

「……みんな、本当にお腹が空いてるんだ」

勇者だった。

この村の魔人の中に勇者のことを毛嫌いするものもいたが、ゾイルが口利きをしてくれたらしい。

目の前の光景に胸を痛め、唇を噛んでいる。

隣に立つエリスは、村人たちを静かに観察していた。

痩せ細った体、立つのもやっとの足取り。

(……魔力も極端に弱っている。これはただの飢えじゃない)

エリスは魔力の低下の原因が気にかかった。

村人は地面に落ちた食料を我先にと手を伸ばす。

「待て」

低い声が響いた。

サタンだ。

その一言だけで、村人の手は止まる。

サタンはゆっくりと村人たちを改めて見渡す。

骸骨のように痩せた身体。

虚ろな目。

そして村の外に潜む、雷虎の気配。

「飢えているのは知っている」

静かな声だった。

「だが、ただ食うだけなら家畜でもできる」

ざわめきが止まる。

サタンは地面に転がった穀物袋を足で押した。

「これはやる」

村人たちの喉が鳴る。

だが次の言葉で、空気が凍った。

「ただし条件がある」

サタンは指を一本立てた。

「雷虎を、お前たち自身の手で追い払え」

村人たちの顔が強張る。

「あ、あんな魔獣に……」

「無理だ……」

「俺たちはずっと……」

その声を聞き、勇者は小さく拳を握った。

「……でも」

ぽつりと言う。

「このままじゃ、また誰かが死んじゃう」

村人たちが彼女を見る。

だがサタンは鼻で笑った。

「そうだろうな。出入りが自由な結界で雷虎が怖くて飢えるまで立てこもったお前達だ。……子を喰うほどに」

村人たちは顔を伏せる。

怒りは収まったが、村人を許してはいない。

だが……救わない選択は違う。

サタンは村の中央に立つクリスタルを見た。

この村を守る結界の要。

その横で、エリスが静かに目を細めた。

「……サタン」

小声で言う。

「この結界、少し変です」

サタンはちらりと視線だけ向ける。

エリスはクリスタルを見つめながら続けた。

「魔力の流れが……外から供給されている形じゃない」

サタンがうなずく。

「お前も気づいたか」

サタンは村人たちを振り返る。

「この結界は魔獣を防ぐ」

サタンは振り返る。

「だが同時にお前たちを閉じ込めてもいる」

誰も反論できない。

「雷虎に怯え、結界に隠れ、飢えて死ぬ」

サタンの声が低くなる。

「それを“生きている”と言うのか?」

サタンはルシファーと会う前、臆病だった自身と村人の生き様を重ねていた。

沈黙。

サタンは村の中央に立つクリスタルを見上げた。

淡く光る結界の核。

だが、その輝きはどこか濁っている。

サタンは目を細めた。

指先をかざす。

空気の流れ、魔力の流れを探る。

村人たちから、わずかに何かが引き抜かれている。

糸のように細く、だが確実に。

村人たちを振り返る。

「気づいていないのか?」

誰も答えない。

サタンはクリスタルを指した。

「その結界……お前たちの魔力を糧にしている」

ざわめきが起きる。

「な、何を……」

サタンは淡々と続けた。

「魔獣のみを防ぐ結界は複雑で強力だ。だがな」

クリスタルの光を見上げる。

「魔力供給が無ければ、維持などできん」

そして村人たちを見る。

痩せ細った身体。

立つのもやっとの足。

「それでも結界は保たれている」

ゆっくりと言い切る。

「理由は一つだ」

静寂。

サタンの声が落ちた。

「その結界がお前たちの魔力を吸い、少しずつ殺している」

村人たちの顔が凍りつく。

「俺たちの……魔力?」

一人が膝をつく。

「だから……こんなに……優先的に子供食料を配っていたのに」

震える声。

この結界に住む者から平等に魔力を補充すれば、魔力量の少ない子供が真っ先に犠牲となることは明白だ。

その時だった。

子を失った父親が、ゆっくりとクリスタルを見上げた。

目には涙が残っている。

だがその奥に、怒りが灯っていた。

「……守ってるんじゃない」

誰かが顔を上げる。

父親は拳を握った。

震える声で言う。

「守りじゃない……」

一歩、クリスタルへ歩く。

「檻だ」

勇者が思わず声を上げる。

「……!」

だが止めなかった。

その目には、父親の覚悟が見えていた。

次の瞬間――

拳を振り上げた。

「うおおおおお!!」

渾身の一撃がクリスタルに叩き込まれる。

ヒビが走った。

拳から血がほとばしる。

村人たちの目が見開かれる。

父親は叫ぶ。

「俺たちの命を吸う檻なんて!」

もう一度、拳を振り上げる。

なぐる。血が舞う。

「ぶっ壊してやる!!」

反対の拳で殴る。

クリスタルは、鈍い音を立てて砕け散った。

次の瞬間、村を覆っていた結界が、音もなく消える。

空気が変わった。

まるで長い間締めつけられていた何かが、解き放たれたようだった。

「……あ」

一人の村人が、呆然と声を漏らす。

胸の奥が熱い。

重く沈んでいた身体が、わずかに軽い。

「力が……戻ってきてる……」

別の村人が震える手を握った。

これまで結界に吸い取られていた魔力が、ゆっくりと身体へ戻り始めていた。

サタンは腕を組み、それを見下ろす。

「ようやく気づいたか。だが勘違いするな。魔力の一部が戻っただけで、飢餓で体力は戻ってはいない。空腹の体で戦えば、確実に死ぬ」

村人たちはまだ信じられない顔をしている。

サタンはそれを見て、ゆっくりと村の中央へ歩いた。

砕けたクリスタルの残骸の前に立つ。

指先をかざす。

黒い魔力が静かに広がった。

「安心しろ」

サタンが言う。

「今度はまともな結界だ」

闇の魔力が空へ広がり、村の外縁を包み込む。

新しい結界。

だがそれは村人の魔力を奪わない。

雷虎の侵入だけを拒む、防壁。

サタンは振り返る。

「これは逃げ場ではない」

村人たちの目を見る。

「戦場だ」

袋の口を蹴って開ける。

穀物がこぼれ落ちた。

「まず食え」

以前の結界が壊れ、待機していたタマが「にゃ」と鳴き、倉庫から運んだ食料を前足で投げる。

男は反射的に受け取る。

「飢えた体で無理に食えば死ぬ」

サタンは淡々と言う。

「まず穀物とスープだ。少しずつ食え」

そして村人たちを見渡す。

「腹が満ちたら――」

サタンの目が鋭く光る。

「武器を取れ」

空気が変わる。

「雷虎を叩き出せ」

誰かが震える声で言う。

「……俺たちが?」

サタンは笑った。

「そうだ」

ゆっくりと言い切る。

「これは“施し”じゃない」

食料の山を指す。

「戦う者への報酬だ」

沈黙。

その時、一人の若い魔人が前へ出た。

「……俺は」

拳を握る。

「俺はもう……俺たちの過ちを正すために……」

村人たちの視線が集まる。

「亡くなったあの子のために、戦う」

その一言で、空気が震えた。

サタンは満足そうに目を細める。

「いい目だ」

そして静かに言った。

「それでこそ、魔界の民だ」


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