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花咲くこころ  作者: えーあいキッズ


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7/9

冷たい距離

その日の夜、私はベッドに横たわっても、ほとんど眠ることができなかった。

目を閉じると、葵の冷え切った、蔑むような視線が暗闇の中に浮かび上がってくる。

『美咲の「好き」とか「気持ち」って、その程度で簡単に変わる軽いものだったんだね。がっかりした』

脳内でリピートされるその言葉は、じわじわと胸の奥に毒のように染み込んでいった。

(どうして……? 私はただ、すみれちゃんが一生懸命クッキーを焼いてきてくれたから、それを受け取っただけなのに……)

理由がわからない。葵がそこまで怒る理由も、あんなに傷ついたような、悲しそうな顔をした理由も。

鞄の中にしまわれたままのクッキーの袋は、冷たい学習机の上で静かに夜を明かしていた。


翌朝、私はひどく重い身体を引きずるようにして登校した。

教室に入り、自分の席にカバンを置く。その隣――いつもの席に、葵はすでに座っていた。

いつもなら、「おはよ、美咲。今日も眠そうだね」とからかうように声をかけてくれるはずの彼女は、私が隣に座っても、机の上の英単語帳から視線を外さなかった。


「……葵、おはよう」


意を決して声をかけると、葵は一瞬だけ肩を震わせ、それからゆっくりとこちらを向いた。

その表情は、驚くほど穏やかで、電気が通っていないかのように――他人行儀だった。


「あ、美咲。おはよう」


「あの、昨日のことなんだけど……」


昨日の葵の態度について、何が怒らせてしまったのか聞こうとした。しかし、葵は私の言葉を遮るように、すっと立ち上がった。


「ごめん、日直の仕事で職員室行かなきゃいけないの。また後でね」


「え、あ、うん……」


引き止める暇もなく、葵は小走りで教室を出て行ってしまった。

その背中を見送りながら、私は胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じた。


避けている、わけではないのかもしれない。声のトーンにも棘はなかった。だけど、明らかに私を踏み込ませないための見えない壁が、彼女の周りにそびえ立っているのがわかった。


その予感は、一日を通して的中することになった。

授業が終わるたび、葵は別の友達の席へ移動したり、用事を作って教室を出たりした。

昼休み、いつものようにお弁当を持って彼女の席へ向かおうとすると、葵はすでに他のクラスメイト数人と楽しそうに談笑しながら、教室の後ろでお弁当を広げていた。

「葵……」と声をかけることすらできず、私は自分の席で、一人ぽつんとお弁当を食べた。

いつも食べているはずの卵焼きの味が、今日はまったくしなかった。


(私、何か本当に悪いことしたのかな……)

机に突っ伏したまま、溜息をつく。

葵とこんなに距離ができたのは、私たちが友達になってから初めてのことだった。

何をしていても、授業を聞いていても、頭の片隅で葵のあの冷たい視線がちらついて、呼吸が苦しくなる。


放課後。

葵はホームルームが終わるや否や、誰よりも早くカバンを掴んで教室を出て行ってしまった。部活に行くわけでもないのに、逃げるように。

私は机に肘をついたまま、ため息をついた。


「美咲先輩っ!」


その時、廊下から聞き慣れた元気な声が聞こえた。

顔を上げると、ジャージ姿のすみれちゃんが教室の扉から顔を出していた。いつも通りの、高いポニーテールと、きらきらと輝く真っ直ぐな瞳。

だけど、私の顔を見た瞬間、すみれちゃんの表情がすっと曇った。


「美咲先輩……? どうしたんですか、そんなに青い顔して。どこか体調悪いんですか?」


「え? あ、いや……別に、何でもないよ。ちょっと寝不足なだけ」


慌てて笑顔を作ろうとしたけれど、うまく筋肉が動かない。

すみれちゃんは教室に入ってくると、私の机の前に立ち、心配そうに私の顔を覗き込んできた。


「嘘です。先輩、全然何でもなくない顔してます。目が泳いでますし、肩がしょんぼりしてます」


「しょんぼりって何さ……」


「とにかく! 今日は部活が自主練だけなので、私はもう上がれます! 先輩、少しお付き合いください!」


「え、でも私、今日はそういう気分じゃ……」


「ダメです! 行きましょう!」


すみれちゃんは私の返事を待たずに、私の手をぐっと握りしめた。

その手の熱さと強引さに、私は断る気力を失って、されるがままに立ち上がった。


連れてこられたのは、下北沢の少し路地に入ったところにある、こじんまりとしたカフェだった。

店内には静かなジャズが流れ、木漏れ日のような温かい照明が灯っている。

すみれちゃんは私の前に温かいココアとケーキを並べると、自分も目の前に座って、じっと私を見つめた。


「先輩、何か嫌なことでもありましたか? 私でよければ、何でも聞きますよ」


「……ありがとう。でも、本当に大したことじゃないんだ。ただの、友達とのすれ違いっていうか……」


そう言った瞬間、私の頭に、鞄の中に入ったままのすみれちゃんのクッキーのことが浮かんだ。

昨日、これをもらった時の自分の緩んだ顔を、葵は「すごく優しかった」と言って怒ったのだ。

だとしたら、やっぱり原因は……。


「友達……宮原先輩、ですか?」


すみれちゃんが、少し声を落として尋ねてきた。


「……え?」


「昨日、私がクッキーを渡しに行った時、宮原先輩もいましたよね。私が帰った後、何かあったんですか?」


すみれちゃんの真っ直ぐな瞳に見つめられ、私は言葉に詰まった。

「何もないよ」と嘘をつこうとしたけれど、彼女の真剣な表情を前にして、それはできなかった。


「……ちょっと、葵に冷たいことを言われちゃって。私が流されやすいとか、がっかりした、とか」


私は俯きながら、ぽつりぽつりと話した。


「そんなに怒ることかなって思うんだけど……でも、葵がそこまで言うってことは、私が本当に悪いことしちゃったのかなって。葵はいつも正しいし、私のことを一番よく分かってくれてるから……」


話しているうちに、視界がじんわりと滲んでくるのがわかった。

親友を失うかもしれないという恐怖が、思っていた以上に私の心を支配していた。


コトッ、とテーブルが小さく鳴った。

見上げると、すみれちゃんが自分のココアのカップを握りしめ、悔しそうな、それでいてとても複雑な表情で私を見ていた。


「宮原先輩が正しいかどうかは、私にはわかりません。でも……美咲先輩をこんなに泣きそうな顔にさせるなんて、酷いです」


「すみれちゃん……」


「私、美咲先輩の楽しそうな顔や、困った顔が好きです。昨日、クッキーを受け取ってくれた時の先輩の顔、すごく嬉しかったです。……宮原先輩が何に怒っているのかはわからないですけど、私は、先輩が悪いことをしたなんて絶対に思いません!」


すみれちゃんは立ち上がらんばかりの勢いで、私の手をテーブル越しに握った。

「だから、そんなに自分を責めないでください。私が……私が、先輩を笑顔にしますから」


真っ直ぐで、混じり気のない言葉。

その熱が、冷え切っていた私の心にじんわりと染み込んでいくのを感じた。

すみれちゃんの言葉は、いつだって驚くほど直球で、私の頑固な卑下を力技でこじ開けていく。


「……ありがと。少し、楽になったかも」


私は小さく微笑んだ。それは、今日初めて作った、本物の笑顔だった。

すみれちゃんはそれを見て、ぱっと顔を輝かせた。


「よかったです! ほら、ココア冷めちゃう前に飲んでください!」


「うん」


温かいココアを口に含むと、優しい甘さが喉を通り抜けていった。

すみれちゃんのおかげで、少しだけ呼吸ができるようになった気がする。


だけど、カフェを出て、小田急線に乗って家に帰る途中。

一人になった私の胸には、やはり葵のあの冷たい瞳が、棘のように刺さったままだった。

すみれちゃんの優しさに救われるたび、背徳感のような、そして葵への申し訳なさのような感情が、胸の奥で複雑に渦巻いていく。


私たちは、このまま壊れてしまうのだろうか。

夜の電車の窓に映る自分の顔は、やっぱりどこか寂しげだった。

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