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花咲くこころ  作者: えーあいキッズ


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11/16

ひとりの下北沢

週末。


葵と「また明日」を交わしてから数日が経ち、学校では少しずつ、ぎこちないながらも挨拶を交わせるようにはなっていた。

でも、あの美術室の日から、私の頭の中にはずっと同じ問いがぐるぐると回り続けている。


――「好き」って、なんだろう。


葵への気持ち。あの子への気持ち。

どちらも「大切」で、どちらも「特別」で、でもその二つはまったく同じものではない気がする。

なのに、どこがどう違うのかを言葉にしようとすると、途端に頭の中が霧に包まれたみたいにぼやけてしまう。


誰かに相談したい。でも、相談できる相手が葵と彼女しかいないという、どうしようもない八方塞がりだった。


ふと、スマホの画面に目が止まった。

ライブハウスの公式アカウントが、今夜のイベントを告知している。

下北沢。あのライブハウス。


「……行こう」


気づいた時には、財布とイヤホンだけを掴んで、部屋を飛び出していた。


---


小田急線の車窓に、夕暮れの街並みが流れていく。


いつからか、この電車には一人で乗らなくなっていた。

彼女が隣でずっと喋っていて、私は相槌を打っていた下北沢までの時間。

帰り道には彼女がうとうと舟を漕いで、その肩がそっと触れて――


思い出すだけで、胸の奥がじわりと温かくなる。


でも今日は、一人だ。

一人で考えなきゃいけない。


下北沢の駅を出ると、金曜の夜特有の賑わいが押し寄せてきた。

彼女と歩いた路地を抜け、見慣れたライブハウスの前に立つ。

入口の重い扉を開けると、薄暗い空間と、チューニングの音が迎えてくれた。


カウンターでコーラに交換して、いつもの壁際のポジションに立つ。

いつもは隣で目を輝かせている彼女を、人混みから庇うように半歩後ろに立っていた。

今は、その隣が空っぽだ。


やがて照明が落ち、ステージにスポットライトが灯る。

一曲目のイントロが、ドラムのカウントとともに弾け飛んだ。


爆音が体を貫く。


ここに彼女と初めて来た日のことを思い出す。

葵に「行ってこい」と背中を押されて二人で出かけたあの日。

ライブハウスでの彼女の言葉。


『ぶぅわーって音を浴びていると強くなれる気がしてきます!』


あの時は笑ったけど、今なら分かる。

あの子はいつだって、感じたことをそのまま口にできる。

恥ずかしいとか、変に思われるかもとか、そういうフィルターがない。

だから彼女の言葉は、いつもまっすぐに胸に届く。


二曲目。激しいギターリフの中で、私は目を閉じた。


葵のことを考える。


中学の頃からずっと一緒にいた。

授業の合間に交換するノートの落書き。帰り道のコンビニで半分こしたアイス。テスト前の深夜に、電話越しに教科書を読み合ったこと。

葵の隣にいると、安心した。世界がどんなに不安でも、葵がいれば大丈夫だと思えた。

あの温もりは、間違いなく私の人生で一番大きな「大好き」だった。


でも。


葵に会えない日があっても、私は眠れた。

葵が誰かと楽しそうに話していても、苦しくはならなかった。

葵の笑顔を思い浮かべると温かくなるけれど、胸が締め付けられるような痛みは、なかった。


それは、どういうことだろう。


三曲目。ボーカルの声が、ロングトーンで会場を震わせる。


あの子のことを考える。


バスケ部の練習を覗いた日。汗だくで必死にシュート練習をしていたあの子の横顔。

千夏に呼ばれて、スポーツドリンクを渡した時の、あのぱっと花が開くような笑顔。

クレープを半分こした夜。「先輩の好きな世界を見せてくれた気がして、すごく嬉しかった」と、まっすぐな目で言ってくれたこと。

そして、美術室。泣き崩れた私と葵の前に現れて、恋のライバルの涙まで拭おうとした、あの手。


あの子のことを考えると、胸の真ん中がきゅっと締め付けられる。

あの子の笑顔を見たいと思う。声を聞きたいと思う。隣にいてほしいと思う。

会えない日が続くと、今日みたいに、ふとした瞬間に隣の空白が寂しくなる。


……これは、葵に感じるものとは、明らかに違う。


四曲目が始まった頃、私はジンジャーエールのコップを握りしめたまま、泣いていた。

爆音にかき消されて、誰にも聞こえないように。


分かりかけている。

たぶん、もうとっくに分かっていた。


葵への「好き」は、恋じゃない。

世界で一番大切で、かけがえのない、親友への深い愛情。

失いたくなくて、ずっと隣にいたくて、でもそれは――恋とは、違うもの。


じゃあ、あの子へのこの気持ちは?


考えるだけで、心臓がうるさくなる。


まだ、言葉にするのが怖い。

認めてしまったら、もう戻れない気がする。


でも、輪郭だけは見え始めていた。

霧の中にぼんやりと浮かび上がる、花のような形。


---


ライブが終わり、外に出ると、夜風が火照った頬を冷ましてくれた。


スマホを取り出すと、彼女からメッセージが来ていた。


『美咲先輩、最近あんまり連絡なかったので……元気ですか? 心配です』


画面を見つめて、また泣きそうになった。

あの子は、いつだってこうだ。いつだって、私のことを気にかけてくれる。


『大丈夫。ちょっと一人で考えたいことがあって。……今度、すみれちゃんに聞きたいことがあるんだ。また会える?』


送信ボタンを押す指が、微かに震えていた。


すぐに既読がついた。


『いつでも会えます! 先輩が会いたい時に呼んでください』


その返信を読んで、私は笑った。

泣きながら、笑った。


帰りの小田急線。隣の席は、やっぱり空っぽだった。

でも、次にここに来る時は、きっと一人じゃない。


次回へ続く……

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