30 結果発表
「結論から言うと、問題事は全部解消しました」
第二図書準備室に足を運んだ俺は、開口一番にそう言った。
「ええ、そう」
桐生先生は長い睫毛を伏せ、コーヒーカップに口を付ける。
すると、我慢ならないと言いたげに、翔が勢いよくソファーに腰かける。
「先生、驚いてないんですか?」
「まさか。良かったなって思ってるわよ」
ぶかぶかのソファーに腰を沈め、じっくり構えた体勢でコーヒーブレイク中の先生。あまりの動揺しなさっぷりに、俺と翔は顔を見合わせた。
「そりゃあ職員室では大騒ぎだったわ。学年一の優等生があんな格好で登校したらね」
ちらりとこちらを見ながら、先生は苦笑いする。
「そうですか……」
俺の胸からほっとしたような、辟易したような溜息が自然と零れた。
今は昼休み。教室の空気はぴりぴりしていて、とてもじゃないが昼食を取る気にはなれなかった。俺と翔はたまらなくなってここに逃げてきたのだ。
「白瀬さんの周りの変な噂は一掃されましたよ」
「そうそう。悪口ばっか言ってたグループも何も言わなくなったし」
俺と翔が教室内の現状をそのまま伝えると、愉快そうに頬を緩める先生。
「まあ、そういう子達って、面と向かってガツンと言えば弱気になっちゃうでしょう?」
先生はカップにじっと目を落としたまま言う。
「群集心理で動く人なんてそんな物よ。彼女が本気になれば束になっても適わないって事ね」
まるで白瀬さんが彼女達を力でねじ伏せた言い方。
完全ギャルモードと化した白瀬紫莉の背中はそれだけで威圧感を放ち、彼女の悪い噂を好き放題言っていた連中は勝手に肩身狭そうにしていた。
午前の授業の合間、休み時間の教室内はずっとそんな感じで、最早白瀬さんの話題に触れる事すらタブーになっているのだ。
「彼女は自分自身の行動で身の回りに降りかかってきた火の粉を全て払ったのよ」
桐生先生は教職員らしく、ふっと余裕のある笑みで言ってみせる。
「噂話に躍起になっていた連中は当分大人しくなるかな」
「まあ、それ以上にインパクトのある情報が上書きされちゃったからね」
まだ不安げな翔だが、先生はさぞかし愉快そうに笑っていた。
同じクラスの俺達が戦々恐々としているのに、何とも気楽な物だ。
「実はね。白瀬さん、朝に来てたの」
「ここにですか?」
俺が問うと、先生はぐっと顔を近づけて囁く。
「もう無理に自分のキャラを捻じ曲げるのは辞めるって。これからはありのままのスタイルで行くって、そういう話」
そこまで言った所で、先生も用意していた弁当箱を開く。
独身女性らしく可愛らしい手作り弁当だ。色とりどりの鶏そぼろに目を奪われる。
「お礼を言っていたわよ。水梨君と、栗橋さんにもね」
先生はマイ箸を取り出し、三色そぼろの一角を切り崩しながら翔を見る。
「へ? ついてっただけなのに?」
うっかり一緒にサボってました――そう言いかけた所で、俺は脇腹を肘で小突いて黙らせた。
桐生先生には三人でサボっている事までは言っていないからだ。
「海里……?」
俺達の不審なやり取り。先生はじろりと見るが、何も言及することは無かった。
「まあ、結果的には良かったんじゃないかしら。二人とも、上手くやってくれてありがとうね」
そう言って箸を置き、何とも意味深な目つきで俺と翔を交互に見渡す。
多分、先生は俺達の間に何かあった事は薄々感じている筈だ。
だが、それをわざわざ問い詰める様子はなくて、それが信頼されているみたいで勝手に胸が熱くなる。
「先生、ありがとうございます」
「何よ、改まって」
気づけば俺は深く頭を下げていた。
「やっぱり何かあったのね……まあ水梨君なら大丈夫だろうけど」
俺の言わんとしている事を感じ取ったのか、桐生先生は少し引いたような顔で苦笑している。
しかし、その声音は優しさに満ちていた。
「海里なら大丈夫って……じゃあ、あーしは?」
「ごめんなさい栗橋さん。実は貴女の事、白瀬さんと同じくらい心配にしてるの」
「ええ~ッ⁉」
すげなく言い返され、翔はがっくりと肩をうなだれる。
「ああ。そうだった」
先生は突然思い出したように立ち上がる。
「――白瀬さんね、小説も持ってきてくれたの。完成したみたい」
そう言って後ろの机の引き出しをごそごそし始める先生。取り出したのはクリップ留めされた原稿用紙だった。
「貴方達になら読ませてもいいって言ってたわ」
先生は俺にその原稿を渡す。
「なになに……『青い海の復讐者』?」
両手に原稿を持って眺めていると翔も隣から覗き込んでくる。
原稿用紙はこの前見せて貰った長編のサスペンス物よりも遥かに薄く、短編と言っていいくらいのボリュームだった。めくってみると、文体も読みやすそうだ。
「割と早く読みきれそうです」
「貸してあげるわ」
先生はそう言って弁当箱から卵焼きを摘まみ上げて口に放り込む。
「あーしも読みたい。見せてっ」
翔がぐっと顔を近づけてくるのを必死に押し返しながら、俺は立ち上がる。
「ありがとうございます。じゃあ教室に戻るんで」
ドアを開けても俺は原稿用紙から目を離せないでいた。
後を追うように翔も部室から出る。
背後から聞こえる靴音に構うことなく、俺の神経は原稿用紙に注がれている。
「ねー。待ってよ。あーしにもさぁ」
普段こんなの読まないくせに、白瀬さんが書いたという触れ込みだけで翔はついてくる。
俺はそんな翔を上手く避けながら、教室の戻るまでの間、ずっとその原稿を読み続けた。




