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29 迷いを捨てた隠れギャルが強すぎる件

 休日明けの月曜――東京に帰ってから初めての登校日。

 校舎内はいつもと変わらぬ風景が広がっていた。

 いつものように下駄箱で靴を履き替え、渡り廊下を通り、三階に上る。

 踊り場ですれ違う女子生徒達は白い襟の夏服姿。そこで初めて、もう衣替えの準備期間なんだと気づかされる。

 教室に向かう道中、視線を巡らせても誰も俺の事など気にも留めない。

 朝っぱらからはしゃぎながら真横を追い抜いていく仲良し女子二人組や、廊下の窓辺に並んで雑談に耽っている男子生徒達。駄弁っている顔ぶれはいつもと同じメンツで、ああ何も変わっていないんだって安堵すら覚える。


「あ、海里じゃん」

 入口前で、丁度教室から出てきた翔に声を掛けられる。

 翔は夏服の白いワイシャツの上に、クリーム色のベストを羽織っていた。

 青いネクタイを指先でくるくるさせながら、何とも落ち着きが無い。


「いつもはギリギリで登校するのに、今日は随分と早いんだね」

「橙子とか砂原に休んでた時の話してたからねー」

 教室内を覗き込むと、確かに砂原涼介と天沼橙子の姿が見える。

 涼介がこちらを見てにこやかに手を掲げ、天沼も可愛らしく頷いている。俺は気恥ずかしさに顔を逸らすのだが、その先には翔のマスカラで盛られた大きな瞳が待ち構えていた。


「う。大体分かったけどさ、白瀬さんは?」

「まだ来てない……いつもに比べて遅いよね」

 翔はそう言って少しだけ口許を引き締める。

 そのまま壁に背中を預けたまま、廊下のずっと先を見据える。

 俺達の教室は棟の一番端にある。だから、ここに至るには一本になった廊下を歩いてくるしかない。

 夏服冬服入り乱れた生徒達は、道中の教室に次々と入っていく。

 しかし、白瀬さんの姿は全く現れる気配が無かった。


「今日も休むのかな?」

 一緒になって廊下の先をぼんやりと眺める俺達。


「このままずっとサボる気なのかな、紫莉……」

 翔の話しぶりだと、白瀬さんの動向は彼女でも把握しきれていないらしい。

 いくら気心が触れた親友同士でも難しい所なのだろうか。


「そろそろ予鈴じゃない?」

 俺はスマホの時刻を気にしつつ、翔と共に教室に入るのだった。

 キーンコーンと鐘が鳴ると、ばらけていた他の生徒達もそれぞれの席に座る。


「おお、今日は病欠者少ないな」

 担任の男性教師は入ってくるなり機嫌良さそうに笑う。

 いかついガタイに角刈りカット。二十代後半らしいのだが、とてもじゃないがそう見えない。

 担任は出席簿を教卓に置きながら、


「欠席者は……白瀬だけか。誰か連絡貰ってないか?」

 そう言って教室内をぐるりと見回すが、答える者は皆無だ。

 無理も無い。サボリの共犯者である俺達ですら彼女の動向は知らないのだ。

 元々、彼女の連絡先を知っている者がクラスにどれくらいるのか疑わしい。


「ふむ、そうか」

 その沈黙を答えと受け取ったのか、ぼりぼりと首の根を掻く担任のゴリラ。


「まだ良くなってないんだろうな。まあ、後で電話してみるか」

 彼は体育の教科担だが、授業自体が少ないのでHRくらいでしか顔を合わせられない。

 一緒に休んだ俺と翔も何か聞かれるかと思いきや、杞憂だったようだ。

 どうやら同日に起きた俺達三人の欠席は担任には怪しまれていないようだ。

 体育会系の脳筋教師は話が分かるから助かるぜ。

 なーんて思っていたら、視線を感じたので横目で辿ると翔と目が合った。


「……」

 翔は笑いそうなのを必死に隠そうと、口許の真一文字をぷるぷる揺らしていた。

 担任にバレていないのがそんなに面白いのだろうか。こっちは気が気じゃないってのに。

 後ろの席同士であまり視線を合わせていると気づかれそうだったので、俺は机の上に項垂れるのだった。


「じゃあ、今日の予定だけど……」

 出欠確認を終えた担任が話を次に進めようとする、その矢先の事だった。


「すいません。遅れました」

 教室前側の引き戸が開き、夏服姿の白瀬さんが現れる。

 始まっていたホームルームは中断し、皆の視線が揺れる黒髪に向けられた。


「……え」

 そして、時間が止まったような空気が教室を支配する。

 ペンケースやら机の中を漁る音、私語、小さな息遣いさえも……教室内に溢れていた全ての雑音が一瞬で消え失せたのだ。


「おお……白瀬、か」

 担任が今までになくたどたどしい言葉を発した。その眼には驚愕が張り付いている。


「よし、席に着け。丁度、午後の説明をしていたところだ」

「はい」

 白瀬さんはいつもと同じ落ち着いた声音で返事すると、引き戸を丁寧に閉め、教室前側の自分の席に進む。

 ぱたぱたと内履きが床のフローリングを叩く音だけが響き、無数の視線は彼女一点へと注がれ、硬直していた。

 ぎいと椅子を軋ませて白瀬さんが席に着いた瞬間、彼女だけが発していた音すら無くなり、教室は完全なる無音となる。俺達は全員彼女の背中から視線を逸らせないでいた。


 驚くのも無理はない。遅刻してきた白瀬さんは黒髪こそいつもと変わらないが、俺がゲーセンで見た時と同じ、彼女本来の姿――つまりは、放課後ギャルモードだったのだ。

 短いスカートにゆるゆるのネクタイをはためかせ、耳の先にはリングピアスが揺れている。


 周囲の生徒達の視線を背中に浴びながら……しかし、白瀬さんは全く気にしない素振りで鞄から教科書を出し始めた。

 その出で立ちは紛れも無い校則違反だ。それなのに体育教師であり風紀担当でもある担任は呆気に取られたまま、注意する事すら忘れてしまっているようだった。


「じゃあ午後の日程なんだけど――」

 わざとらしい咳払いの後に、担任がホームルームを再開する。

 一応、説明は耳に入ってくる。でも、俺の意識は白瀬さんだけに向けられていて内容は反対側の耳から抜けていく。

 多分、それは他の生徒達と同じ。そして今まさに喋っている担任教師すらも自分が何を言っているか理解していないように見えた。

 彗星のように現れた黒髪ギャルの存在感に教室中が面食らっていたのだ。


 品行方正、清楚可憐。白瀬さんを表してきたそれらは今この瞬間、全て霧散した。

 彼女は、本来の自分を曝け出す事を選んだのだった。

 黒髪は窓から注がれる日光を一心に浴びて煌めいている。その輝きの中、揺るがない意志が発せられているのを俺は感じ取っていた。


「こんなの強すぎるって……」

 誰に向けるでもなく、俺は一人呟いていた。


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