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女王様と人魚姫 後編




 夜の海は昼間の陽気さを消し、どこか秘密めいた暗闇が広がっている。

 そこに、子どもが遊びに使う小さな小舟を浮かべた。のっているのは松明だけ。ルパートがそれを海に流すと、ゆらゆらと揺れながらも引き寄せられるように舟は進んでいく。

「来るだろうか」

「来る」

「貴女の魔術があっても、人魚は強敵だと思うが……」

「魔女をなめないでもらおう。こっちには切り札がある」

 船着き場に立ち、前を見据えたまま、私は確信をもって答えた。

 あのやっかいな人魚は、なんらかの変化を期待して私を送りだしたのだ。

 ならば、こちらの動向を岩陰からずっとうかがっているに決まっている。

「氷雨さん、なんだってこんな真っ暗な中やるんです? 昼間とか、せめてもっと松明たくとか」

 光は月光のみ、松明の灯はつけていない。おかげで隣に立つカガミ顔もはっきりしなかった。だがこれには理由がある。

「バカ。あいつ、今までこの港に姿を現していないんだぞ。なんでだと思う」

「へ?」

「あいつは人間と違う姿じゃ王子様に会えない、と言っていた。自分の姿を恥じているんだ。そんなヤツが、煌々とした明りの下にでてくると思うか?」

「あー、なるほど」

 今ここにいるのはルパートとカガミと私の3人。他の連中は邪魔になるだけだ。人魚に食われたくなければおとなしく明りを消して家に入っていろと散々脅してやった。

 こちらはメロウを呼びよせるシチュエーションというものを作ってやっているのだ。それで来ないなんてなったら、怒るぞ。

 だが、その心配はなかった。

 遠くに見える松明のオレンジ色の火がふっと消えた。そして小さな小さな歌声が近づいてくる。その歌は大波を起こすためのものではなく、小舟が港に戻る流れを作っていた。

「来たのか!」

「カガミ、準備はいい?」

「任せてください」

 カガミはそう言って私の隣から離れた。すぐに闇にとけ、どこにいるのかわからなくなる。

 ちゃぷんちゃぷん。

 近づいた水音、ついに小舟が帰ってきたようだ。

「こんばんはー。あの、そこに立ってるの、昼間の魔女さん?」

 ルパートが体をこわばらせるのがわかった。私は手探りで彼の手を抑える。

「そうだ。よく来たな」

「ああ、やっぱり!! さっき松明が流れてきたから、貴女が何かしてくれたのかと思ったんです! 期待通りでした、嬉しい!! それで、何かわかりました?」

 場違いなほど明るい声に、私はにやりと唇の端を釣り上げた。

「そうだな。まだわからないことがあるんで、ここはきちんと話を付けた方がよさそうだ」

「え? なんですか?」

「というワケで、だ。カガミ!!」


「一本づり―――――ィ!!」

「きゃああああああ!!」


 ぼおっと傍らの松明に火がともされ、ようやく周囲が見渡せるようになった。船着き場の近くにしかけてあった網を一気にひきあげてから、カガミが点けたのだ。ごろんと水揚げされたのは巨大な魚……ではなくメロウ。

「なになに、なんなんですかっ!?」

「おお、かかったのか!」

「きゃあ!? そのお声、まさか運命の王子様がいらっしゃるのですか!?」

 メロウは暴れて海に逃げようとするが、網にからまり動けない。

「安心しろ、この男はお前の姿を見たからといて態度を変える人間じゃない」

「ならなんでわたしを捕まえるんですか!」

「海はお前のテリトリーだろう。交渉事は、自陣でやるものと決まっている」

「ずるい―――!!」

 私はメロウの叫びに耳をふさぎ、松明を近づけるようカガミに合図をする。

「氷雨さんに何言っても無駄だってわかってるでしょ? 覚悟決めようか、人魚さん。ほら、ごあいさつ」

「う、うう……」

 松明の灯がメロウの緑色の肌を照らした。先に外見について言い含めたこともあり、ルパートはぴくりともせずにメロウを正面から見た。メロウの大きな瞳がおずおずと恐れと期待を宿して光る。

「こ、こんばんは……人魚のメロウと申します」

「わたしがこの港の管理者、ルパートだ。あなたがこの海を荒す人魚か」

「えっ!? 荒らす!?」

 すっとんきょうな声をあげたメロウは、助けを求めるように私を見た。

「魔女さん! 何言ったんですか!?」

「何って、お前の要求をしっかり伝えてやったんだろうが」

「要求?」

「だから、お前の言う王子様を差し出せば、歌ってこの港の周りの海を荒れさせるのをやめるってコト」

「えええええ!? やだっ、それじゃわたし悪い魔物みたい!」

「実際そういう立ち位置にいるんだけど……」

 メロウは狼狽し、びちびちと二本の尾をばたつかせた。

「違いますよ! わたし、そんなひどいことしてません! わたしは、あなた方に『ヒトに恋している人魚がいる』『見かけは変わってても、いい人魚なんだよ』ってことを伝えてほしかったのに……!!」

 なんだ、その虫のいい話は。

 私の心底苛立った顔をみとめたカガミが、口をつっこんだ。

「あれ。なんか、もしかして食い違ってるのかな」

「わたしは脅すつもりで歌ってたワケじゃありません!」

「では、なぜ」

 ルパートが低い声で問うと、メロウはぐっと唇をかんだ。

「そ、それは」

「それは?」


「あの時と同じようになれば、またあの方にお会いできるかもしれないって思って……」

 嵐の海。転覆する船。偶然会った人魚と溺れかけの人間のロマンス。

 

 愚かな! これならまだメロウ悪人説のほうがよかった!

 私はこの世間知らずの甘ったれ人魚が腹立たしくてならない。

「そうかそうか、お前は『運命の出会い』の再現をしたかったのか。自分の姿をさらすのがイヤで、また例の男が漂流してくればいいのにな~と、それだけの気持ちで歌を歌い、波を荒げ、結果的にこの港を、ひいては愛する男を苦しめていたのか。そうかそうか!」

「で、でも、わたし、そんな……」

「そんなつもりはなかった、悪気はなかった! そうかそうか!! それならヒトが死にかけようと、ここの港の人間が飢え死のうと、仕方ないか!」

 私は隠し持っていたルパートの短剣を取り上げた。

 不思議と松明の灯にあたっても青白く輝く剣は、ぬらりと不気味に模様を浮かび上がらせる。

「ルパート、これを持って」

 私はルパートの左手に剣をにぎらせ、剣とルパートをメロウの眼前まで近づけた。

「理由はどうあれ、お前は自分の一族の血による契約を犯した。その事実は変わらない。お前は罰を受けねばならない」

 ルパートの執務室にあった短剣。

これが切り札だ。

 描かれていたのはまぎれもない人魚の姿で、私が気合いを入れてなけなしの魔力で鑑定したところ、何やら根の深い術が込められていた。

「これは、人魚が人間に贈った『契約書』だ。人魚がこの港の周囲の海の不可侵を誓った約定、知らないとは言わせないぞ」

 セリフから言って私の方がよほど悪者のようだが、そんなことは気にしない。

「さあ、どうするメロウ」

 メロウは目を大きく見開き、固まっている。

 ようやく自分のしたことを理解したのか?

 私が彼女の反応を待っていると、メロウは予想外のことを口にした。

「この人じゃない!」

「え?」

「なんだ、よく見ればこの人王子様じゃないじゃないですか! も~、びっくりしたァ」

 びっくりしたのはこっちだ。

 はああ、と息をつくメロウに毒気を抜かれそうになる。

「ルパートがお前の運命の相手かどうかなんて今は関係ない、それよりもコレ、こっちを見ろ」

 私は網ごしにメロウのあごをつかみ、無理やり剣へと向けさせた。それでも、メロウはきょとんとした顔のままだ。

「なんです、その短剣」

「え? お前、知らないのか、これ」

「はい。なんですか、それ」

「……そっか」

 あれ。

 外した? これ、人魚の誓約じゃないのか?

 私はメロウのあごをもったまま、固まってしまった。

 どうしよう。

「氷雨さん。もしかして、やばい?」

「………」

 カガミに言われなくても、事態が急転したことなどわかっている。

 メロウのどうしようもない目的はわかった。

 理を説いても通じそうにないこともわかった。

 だが、それを力づくで押しつぶす決定打が、どうも不発に終わってしまった。

「なんだかわかりませんけど、そんな短剣で脅そうったってそうはいきませんからね」

 メロウは私を睨む。

「ここにいるのが偽王子ってこともわかりましたし、遠慮しませんよ。わたしを捕えたつもりかもしれませんが、口は自由ですから。歌っちゃいますよ」

「あ、おい、待て。早まるな」

 私の制止もむなしく、メロウが大きく息を吸い込んだ。

 カガミが私を抱えて逃げようとした、まさにその時。


「こンのバカ妹―――――!!!」


 きいいいん、と頭が割れそうな音が砂浜いっぱいに響き渡った。ルパートはのけぞり、私はカガミにかばわれながらも気を失いそうになる。

 しかし、わんわんと反響する音に一番恐れ震えたのはメロウだった。

「お、お姉さま……!!」

 月の明かりを背景に、ざばあっと大きな黒い影が海面から飛び出した。

 びちゃりびちゃりと嫌な足音をたてながら、その影は捕えられたメロウに近づいていく。

「あんたが捕えられたって危険信号だしてきたから来てみれば……! ここの人たちに多大なる迷惑おかけしたんだってェ?」

 ソプラノのメロウと違い、深いアルトの声。2メートルほどもある体は、鈍い緑の光を放っている。

「だ、いや、だって、違うの! これは、わたしの愛のため……」

「愛だァ!? あんたねェ、それでこっちがどんだけ損害くうと思ってんのっ!! そこらへん泳ぎまわってた小魚たちから全部聞いたよっ!」

 びちゃん!

 一際大きな水音を立てると、仁王立ちになった彼女は転がるめメロウを通りすぎ、私たちを見下ろした。そして、深く腰を折る。

「わたくし、この愚妹の姉のセレーナと申します。このたびは大変なご迷惑をおかけして、申し訳ございません」

 非常に音楽的な調子で、メロウの姉、セレーナは言った。彼女はメロウより二回りは大きい人魚だった。松明のあかりで下から浮かび上がるその姿は、人魚というよりも海の怪物。だが、物腰は丁寧で知性を感じる。

セレーナはメロウと同じ緑色の髪をかきあげると、おおきな昆布に刻まれた書状をメロウの眼前につきつけた。

「これ。ざっと見積もった被害総額。本来ならここの港の人たちが捕れていた海産物よ」

「え、これ、ええええええ!?」

「バカ妹ッ! ここはねェ、昔っからわたしたち人魚と契約して漁業の許可を出している場所なの! その契約を違うようなマネして、ウチの品位をおとしめてっ! はずかしいったらないわよ! お母様もお父様も嘆いてたわ! ……特に、お婆様は大泣きよ」

 セレーナは鼻息荒く言うと、こちらを見てまた深く頭を下げた。

「本当に申し訳ありません。今回の件は、わたくし共の監督不行き届きによるもの。このお詫びとして、損害分3割増の量の魚介と、壊れた船の修理費として真珠をお贈りしたいのですが、どうかそれで御手打ちにしていただけないでしょうか」

 しおらしい態度のセレーナに、ルパートは頭を抑えつつ体を起こした。

「あ、いや、申し訳ない。こちらもまだよく事態を把握していないのだが……」

「はい、誠に勝手なこととは承知なのですか……」

「いや、その契約というのは」

「え?」

「そこは私が聞こう」

 私はルパートの短剣をセレーナに見せた。

「あなたが言う契約とは、これのことだな?」

「おお、そうです! 我が祖母の誓いの短剣!」

「このモザイクが描いているのはまぎれもない人魚だ。しかも、刃には人魚の血が吸わせてある。こんなものが港にあるってことは、以前からここは人魚との交流があったっていうことだ。ルパート、祖父の代からずっと港を治める役人だったと言ったな」

「あ、ああ」

「おそらく、この短剣を受け取ったのはあなたの祖父だ」

「ええ、おそらくそうでしょう。まったく……メロウ! よくお聞き。せっかくですので、貴女方もどうぞお聞きください」


もう何十年か昔のことだ。ある人魚が人間の男に恋をした。

若さと情熱にあふれていた彼女は、何か特別な贈り物を彼にしたかった。そして考えたのが、彼の愛する海をプレゼントすることだった。彼のいる港から見える海を、あなたに捧げる。

健気だけどちょっと愚かな贈り物。

その男には既に婚約者がいて、当然彼は人魚より人間の女性を選んだのだ。

人魚は嘆き悲しんだ。婚約者を海に沈めてしまおうかと考えたこともある。その短剣を取り戻し、すべて忘れてしまおうかと思ったこともある。しかし、彼の婚約者への深い愛、そして自分の届かない愛を知り、人魚は想いを胸に残したまま身を引くことを決意した。

だが、自分が彼を愛していたことを、彼に忘れてほしくない。人魚は短剣を残したまま、海へと帰っていったのだった。


「その人魚が、わたくしたちのお婆様よ」

「まあ! 悲しいけど、ロマンチックね……」

「何がロマンチックよ!」

 セレーナは一喝した。

「そのせいで、わたくしたちはこの一帯で自由に歌えなくなっちゃったのよ! 魚も貝も自由にとれないのよ! まったくもって迷惑だわ! どーもウチの一族は、時々あんたみたいなよくわからない思考回路の乙女が出てきちゃうから困りものなのよ。そのたびにこんな損害だしてたらキリがないわ!」

 セレーナは大きなため息をついた。どうも、この人魚は非常に現実主義らしい。いや、口ぶりではメロウが特別なのか。

「あんたにこの話をしなかったのは、万が一にでも人間に恋した時に同じ約条を勝手にかわしちゃうんじゃないか、とお父様が危惧したからよ」

「ええ!? すてきな贈り物だと思うけど」

「ああっ、もう! だから黙ってたのよ!」

 セレーナは魚の足で地団太を踏んでいる。これは相当苦労しているのだろう。私はタイミングをはかりつつ、短剣をもう一度掲げた。

「えーと。とにかく、この契約はいまだに成立しているのですね?」

「ええ。祖母はまだ生きておりますし、人間の男の血を引くものがこの港の管理者であるならば契約は生きております。ああっ、なまじ魔力があるだけに、そんな小さな約束にもしばられる我が身が呪わしい!!」

「すてきな愛の約束だと思うけど」

 こてん、と首をかしげるメロウに、セレーナは鋭い目を向けた。


「わかっていないのね。あんたは、そのすてきな約束を踏みにじったのよ」


「あ……!」

 そういうことだ。

 さすが姉、メロウが何を考え、何に反応するのかをよく心得ている。メロウは今、ようやく反省と後悔の気持ちを抱いたのだ。

「本来ならばテリトリーを守るための歌を、私利私欲のために使うなんて。しばらくは口をふさぐ必要もありそうね。今、一番上の姉様から信号がきたわ」

「そ、そんな!」

「……かわいそうだけれど、契約を破るとはそういうことなのよ」

 さすがのセレーナも辛そうだ。一番に妹を助けに来たくらいだ、なんだかんだいって妹をかわいく思っているのだろう。

「昆布の猿轡はいや~!! ごめんなさい! ごめんなさい! そんなに悪いことだったのね!! お婆様の気持ちもふみにじって、王子様にもご迷惑をかけていたなんて!」

「メロウ」

 ついに泣き始めたメロウに、セレーナも悲しそうな顔をした。

 こうなると素直に悪役もできやしない。

 やれやれ、と私が肩をすくめると、黙っていたルパートが口を開いた。

「あなた方のお話、よくわかった。損害というが、まだ深刻になるほどの被害はでていない。幸いけが人もでなかった。船の修理費だけなんとかしていただきたい。今後もよい付き合いをしていきたいと考えている。どうかよく便宜をはかっていただきたい」

「おお! なんと! ありがたいことです。では、せめてこの辺りの海の収穫量をより多くさせていただきましょう! 細かいことはまた詰めるとして、内容はそれでよろしいですね?」

「ああ」

 ルパートがきっぱり言い切ると、セレーナはほっと胸をなでおろした。

「……メロウの命を捧げよと言われても断れないところでした」

 魔力の加わった契約は重い。

 セレーナの腰が異様に低かったのも、メロウへのあたりがきつかったのも、すべては妹の命を守るためだ。

 あの短剣を見せればメロウがあっさり引くと思ったが、まさか知らなかったとは。メロウは危うく、自分が死ぬ理由すらはっきりしないまま一族によって殺されるところだったのだ。

 ―――――― 当然、契約と言うものをよく知らないルパートも私も、最初から殺すつもりはなかったが。

 震えながらひっくひっくとしゃくりあげるメロウの背を、おおききな手がなでる。命は助かったが、メロウとセレーナの顔色はまだ暗い。

「人魚にとって、歌を奪われるとはそれほど辛いこと?」

 私が聞くと、セレーナは重々しくうなずいた。

「ええ。体の一部を無理やり奪われるような痛みです。轡とはそれ自体が罪の証」

「歌、というか、話せなくなるのね」

「そうです……。わたくしたちとは信号を使ってやりとりはできても、友達の小魚たちとおしゃべりすることは……」

「……カガミ、手持ちの荷物に、不動カメの甲羅はあったかしら」

「え、氷雨さん?」

「それとサヨナキドリの爪がいる。用意できる?」

「そりゃ、まあ。でもなんで?」

 先に声をかけたのは私だが、いつものようにお構いないにカガミを無視してセレーナに言った。

「セレーナ、あなたのおかげでなんとか事がうまく運びそうよ。その御礼をしてあげる」

「え?」

「轡なしに、メロウからしばらくの間『歌』だけを奪う魔法をかけてあげるわ」






「魔女さん、ごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて……」

「お前のせいで人魚に人間を襲う化け物のイメージがついたのは間違いないな」

「うう……」

 思い切り落ち込むメロウに、私は容赦なく言った。当たり前だ、こいつの悪気のない一途さは人命をまきこむ。甘いことを言う気は一切なかった。まあ、それが人魚というものなのかもしれないが。ヒトとは考え方が違うのだ。

 夜が明け、私たちは人目を避けるために最初の砂浜へ来ていた。まためっちゃんのお世話になったのだ。

 私はめっちゃんの暴力的で荒々しい泳ぎを見物しながら、煎じ薬を作ってやっている真っ最中だ。これは声そのものではなく、声が奏でる旋律を封じる薬だ。喉を縛り付け、単音しか発せないようになる。

「それから、声を取り上げないでくれて、本当にありがとうございます。ううん、それだけじゃない。貴女のおかげで運命の人を探すチャンスができました」

「ふん」

 メロウはこれからしばらくこの港の周囲をまわり、魚たちがよく集まるよう海の管理をするのだという。それが彼女の一族がメロウに与えた罰だ。ご褒美になっているように思えるが、そこは末の妹を愛しく思うせいか。

 しかし、と私は気になっていた疑問をぶつけた。

「ところで、お前の運命の相手ってルパートじゃないのか?」

「ええっ、違いますよぉ!!」

 メロウは心外だ、と言わんばかりの顔で首をふった。

「わたしの王子様は、もっとびっちゃりしてました」

「ん?」

「髪の毛もゆらゆらとした海藻のようにぬめりを帯びて、肌もふやけてシワができてたし、血色もよくなかった。もっと素敵な人ですよぉ! まあ、ちょっとは似てるかもしれないけど、魅力が全然違います!」

「………ふうん」

 私はメロウと目を合わすことができず、小さく相槌をうつだけだった。

 こいつ、完全に勘違いしてる。

 おぼれた人間がどういう姿になるかということを知らないのだ。

 そして人魚の美的センス、やはりわからない。

 これではせっかくチャンスができたというのに、運命の相手は見つからないで終わるだろう。

 悲恋だ。

 祖母にしてもメロウにしても、そういう運命にある一族なのか。

「ところで、そんなことはどうでもいい」

「へ?」

「飲んでみろ」

 私はできあがったばかりの茶色の液体を差し出した。大ぶりの貝ガラに注がれた薬液は薬というよりも毒だ。しかしメロウはためらわなかた。

「いただきます」

 くっと一息に飲み干すと、喉をおさえる。術が彼女の声帯を縛ろうとしているのだ。

「声は出せるか」

「……はい。声、出せます」

 音楽的だったメロウのもとの話し方からは程遠いが、優しい音が言葉を一文字ずつつむいでいる。

 成功だ。

「本当に、ありがとうございます。あなたのおかげ」

 私はにんまりと笑った。その言葉を待っていたのだ。

「私のおかげ、というなら、それなりの礼をしてもらわないとな」

「はい、お詫びもかねて、お渡ししたいものが。百年真珠のピアスと、人魚の誇る工芸品メノウの……」

「んと、そういうんじゃなくて。ピアスもらうけど」

「え?」

「……シャチのお友達なんて、いない?」




「もー、氷雨さんたらはしゃいじゃって」

 今度はシャチか。

 氷雨はメロウに呼んでもらったシャチに歓声をあげ、しきりにその体躯のすばらしさを褒め称えている。

「氷雨さーん、満足したら言ってくださいねー」

 氷雨の狙いは、これだったのだ。

 サメと出会ってしまった氷雨は欲が出た。

 シャチにも会いたい!

 その欲求を満たすためには人魚に恩を売る必要がある。だが気に入らない人魚の恋路に協力するのも嫌。その両方の希望に沿う算段が、あの短剣を見つけた時にぱっと浮かび上がったのだろう。そして、声を奪われそうになったメロウを救ったのも理由は同じ。メロウの声がでなくなればシャチを呼んでもらえなくなるからだ。

 つまりは、氷雨もメロウと同じく、自分の欲望のために突き進んでいたのだ。

 俺がすっかり乾いた荷物をまとめ直して砂浜に腰を下ろすと、その隣にルパートが座った。

「世話になった。まさか、こんなにすんなり解決するとは……」

「俺は何もしてませんよ。よかったじゃないですか、片付いて」

「……ああ」

「ん?」

 どこか歯切れの悪いルパートに違和感を覚える。

「ああ、いや、すまない。本当にその通りなんだが……。わたしもメロウと一緒だな」

「どういう意味です」

 聞いては見たものの、俺は彼が何を言いたいのかなんとなくわかっていた。

「この件がもっと長引けば、それだけ彼女がここにいてくれるんじゃないか。そんなふうに思ってしまった」

 俺は返事をしなかった。

「そしてこうも思った。彼女が、人魚姫であったなら」

「それならもっとトントンと話はすんだかもしれませんね」

 今度はルパートが黙る番だ。濡れるのも構わずシャチに触れようとする氷雨を、まぶしげに見つめていた。

 やはり、こいつは危険だった。

 しかし過去形ですむ。脅威は去った。

 ここから離れてしまえば、もう二度とこの男と会うことはないだろう。

 俺はようやく片付いた心配の種に、ふーっと大きく息をつく。


 が、しかし。


「……ん?」

 俺のポケットのダイスが、むずむずしている。

 何か言い足りない。

 そんな感じだ。

 俺は嫌な予感に襲われながら、おそるおそるダイスをとりだした。

「カガミ君? それは?」

「あー、いや。ちょっと」

 ルパートを適当にごまかし、俺は氷雨を見据えて9つのダイスを放りなげた。狂いなく手のひらに落ちてきたそのダイスの目を見て、俺は戦慄する。

「………嘘だろ」





―――――――――― 異性との新たな出会い有り。





 俺の中の警報音は、消えてはいなかった。






人魚姫編終了です!

お付き合いいただきありがとうございました。

次回は早めにお目にかかれるよう、がんばります。


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