5話 禁忌の少女
「さ、サッツ……?」
「馬鹿野郎! これはもうサッツじゃねぇ! 逃げるぞオルガ!!」
目の前の光景を信じられないと言った様子で、立ち尽くしている金髪の男――オルガの手を引き、もう一人の男――トーチは、すぐさま駆け出した。
が、直後。
「――トーチ?」
手を引かれたオルガは、引いたはずのトーチの力を感じたのはほんの一瞬。
次にやって来たのは右腕に来る重さと、生暖かい血飛沫。
オルガを引いていたのは、トーチの右腕だけだった。
目の前には黒い巨大な拳。当然、既に振り下ろされている。
ゆっくりと上がる拳の下には、ネチョネチョと挽肉を捏ねるような音をたて、潰れた肉と砕かれた骨、ミンチになった内臓が、血の池となり侵食を始めていた。
「くそったれが!」
悲惨な光景を目の当たりにしたアルマは、一先ず少女を降ろし、即座にオルガの元へ駆け出した。
人間から変異したとはいえ、眷属は眷属。単独でアルマの相手になるはずもない。
だが、アルマは柄を握る腕を引き抜くのをほんの一瞬躊躇った。
(切って捨てるのは簡単だ。だけどあれは……!)
――元人間。
アルマとて、今まで人を斬り捨てた事が無い訳ではない。
しかし、それは理由があった。穿つ刃には正義と信じるものがあった。
相手は絶対的な悪の側にいたから。
今回はそうではない。トラッシュタウンのチンピラと言えども、殺す程の罪を犯してはいない。
ただ、運が悪く眷属と成り果ててしまっただけだ。
そんな相手をなんの躊躇もなく殺せるほど、アルマは冷酷な人間ではなかった。
目に映るのは恐怖に打ちひしがれ、その場にへたり込むオルガと、彼を挽肉にしようと左腕を上げる眷属。
「くッ……!」
(くそ、これ以上躊躇してる暇は……)
――肉薄。そして抜剣。
抜かれた刃は光すら飲み込むように黒く、紙でも斬るかのように滑らかに肉に侵入。極太の骨すら同様に断ち切った。
宙に舞う腕は弧を描き、紫の液体を撒き散らしながらドサリと鈍い音を立て落下。
「――?」
眷属は、自身の消失した右腕を信じられないといった様子で、ただ呆然と見つめ、首を傾げた。
アルマは既に跳躍し、巨大な眷属のうなじに着地。
「……悪く思うなよ」
「待っ――」
オルガの制止よりも、刃が脳天を捉える方が早かった。
切っ先が仮面を割り、頭蓋でほんの微かに引っかかる。しかし、アルマは更に力を込め、容赦なく刃を滑らせる。頭蓋を越えた刃は、軟い脳髄をいとも容易く貫き、破壊した。
眷属は二、三、痙攣した後、言葉にならない呻き声を上げ、その場に倒れた。
ばつの悪い顔で剣を抜いたアルマだが、直後の光景でその顔を更に歪ませる事となった。
「サッツ!! おい、おいってば!! 起きろよサッツ!!」
三人の内、唯一生き残ったオルガは未だ現実を受け入れてはいなかった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ……!!」
事切れた眷属の亡骸にしがみつくオルガの悲痛な叫びは、トドメを刺したアルマにとって、咎められているように聴こえた。
「……」
そしてそれは、現実となってしまった。
「……お前の、せいだ」
絞り出したような低い声。
どす黒く渦巻いた感情が、オルガの喉を揺らす。
ボロボロと大粒の涙を流しながら、睨み付けるその眼には憎悪が宿っている。
本来ならば感謝すべきなのだが、彼の中では友人を殺したという事実が深く刺さり、感情が暴走してしまっている。
もっとも、友人の前に人間ですら無くなっていたのだが。
「サッツとトーチを返せよ!! お前が殺したんだ!!お前が……全部悪いんだ」
「……そう、だな」
最早、八つ当たりだ。アルマは彼を眷属の手から助けただけに過ぎない。
それはオルガもわかっている。分かっているのだが、友人が二人も目の前で死んで、全てを受け入れる勇気がないだけだ。
アルマは言い訳をする事もなく「悪かったな」と、言い残して背を向けた。
オルガの慟哭だけが空を揺らしていた。
(俺は、こんな事をする為に強くなったのか……? 物語の英雄のように人を助けたかった。認められたかった。なのに、人を殺して、悲しませて……一体俺は――)
「はは、馬鹿らしいぜ全くよ」
吐き捨てるように言って、アルマは少女の元へと向かった。
少女はその場に立ち尽くしているだけで、ただ壊れたように繰り返していた。
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい」
「……なんでお前が謝るんだよ」
「私の、せいだから……」
「あいつを殺したのは俺だ。話は後にして、とりあえずここから離れるぞ」
もう一度彼女を抱き抱え、チラとオルガに視線をやった。
未だ泣き崩れている彼に心を痛ませながらも、アルマは少女を連れてその場をあとにした。
トラッシュタウンを離れ、とある地下室に来ていた。アルマが隠れ家として、数日仕事をサボる時に使う場所だ。
「――ここならしばらくは大丈夫か。さて、まず君の名前はシノアで間違いないな?」
少女――シノアはこくりと頷く。
この時初めて、アルマは落ち着いてシノアを見ることが出来た。
そして、思わず目を見開く。
晴れ渡る空のような美しい蒼い髪と、特徴的な翡翠の瞳。
(あの日の子と瓜二つだな……)
幼い頃に見た血濡れの子とそっくりだった。しかし、それは十年以上前の出来事であり、年齢的に同一人物であるはずがない。
(あーくそ、今はそんな事考えてる場合じゃない)
「いきなりで悪いが、さっきの私のせいってのはどういう事だ? 人間の眷属化について何か知ってるのか」
単刀直入に聞かれ、シノアは目を伏せる。
アルマもそれ以上口を開く事はせず、気まずい沈黙が流れる。
しばらくして、その沈黙を破ったのはシノアだ。
今にも零れ落ちそうな雫を浮かべ、翡翠の瞳は影が差している。
二、三、口が動くが言葉を紡ぐことはなく、小さな唇が動くだけだった。
やがて泳ぐ視線がピタリと止まり、真っ直ぐにアルマを捉え、諦めきったような酷く虚ろな笑みを浮かべた。
そしてようやく喉が動き、シノアは震える声で言葉を絞り出す。
「それを教えたら……あなたは――私を殺してくれる?」




