4話 人体眷属化現象
「さすがにそう簡単にゃ見つからねーわな」
あれから数刻、あちこちを探し回ったが少女はおろか、目撃情報すら掴めずにいた。
アルマは捜索範囲を絞る事にした。
一つは地下水路。隠れるにはうってつけだが、ここに誰かが立ち入った形跡はなかった。
二つ目は、歓楽街。潜伏場所の定番だが、そこの情報屋から少女は見ていないと言われてしまった。
通常の宿屋や路地にいるとは考えにくい。金も所持していない可能性が高く、少女が一人でいればかなり目立ってしまう。
「となると、トラッシュタウンの可能性が高いか……」
クローヴスの最西部にあるスラム街であり、ここからそう遠く離れている訳ではない。
非常に治安が悪いので、十歳の少女が足を踏み入れる場所ではないが、逆に見つかる可能性もかなり低い。
「あんま行きたかねーけど、そうも言ってられねーよな」
◇
トラッシュタウン。名前の通りゴミの街だ。
湿った空気と、鼻をつく不潔臭が漂っており、初めて入る者は皆揃って顔をしかめる程だ。
クローヴスの闇の部分であり、まともな生活など存在しない。
その多くは棒に布切れを張った擬似テントや、ボロ小屋住まいで、露天に売っている食材も色が悪く、腐っているものも混じっている。
行き交う住人の瞳には、明日を生きるためなら隣人の喉笛を掻き切ることも厭わない狂気が宿っている。
そんな中、アルマはお構いなしにギラついた住人にヘラヘラと話しかけていた。
「いよぉ兄弟! なぁ、ちょっと聞きたいんだけど――あ、おい……んだよ!どいつこいつも俺を見るなり逃げやがって」
まずは聞きこみ調査から始めようとしたアルマだが、今の所全敗。五人目の男も他と同様に逃げるように立ち去ってしまった。
彼は場違い過ぎるイクリプスの団服の上に、トラッシュタウンの住人と似たような、不潔なボロ布を羽織っている。
が、数時間地下水路を捜索した異臭は身体にこびりついている為、話しかけても臭すぎて逃げられてしまうのだ。
尚、本人の鼻は既にお陀仏な為、指摘されるまでこの事実に気が付くことはないだろう。
げんなりした顔で、捜索の難航を覚悟したその時――
「――待てコラクソガキィ!!」
唐突の怒号が鼓膜を揺らす。
もしかしたら、少女が……なんて不謹慎ながらもほんの少し心躍らせたが、すぐにトラッシュタウンではトラブルなど日常茶飯事であることを思い出した。
「はいはい、神様ってやつは随分性格がひん曲がってやがる。俺を手のひらで転がそうなんざ百年早いぜ。そんな都合よく蒼髪のガキがトラブル起こす訳――」
なんて言いながらチラと視線を声の方にやる。
「うーん、どう見ても蒼髪だぁ……」
路地の奥から走ってくるのは蒼髪の少女。遠目からでも分かるほどその瞳は美しい翡翠のよう。
歳も依頼にある少女と同じ程で、シノアという少女で間違いないだろう。
「――ぶっ殺すぞガキィ!!」
彼女は、三人のチンピラから食い物を盗んだのか、両手には大事そうにパンを抱えている。ちゃっかりもう一口食べていた。
たかがパンだ。それも質の悪い。それでも捕まれば酷い目にあい、命を落とすこともあるだろう。
だから必死で逃げた。地を蹴る素足が小石で裂けようとも、そんな事を気にしている場合ではなかった。
「あ……」
しかし、前方に立つ男を見てそんな彼女の心はポッキリ折れてしまった。
彼を仲間だと思ったのだろうか。この細い路地で挟まれてしまっては逃げ場などない。
後ろからは三人組が迫り、前からも男が迫ってくる。
もう駄目だ。
そう思ったその時、前方の男は彼女の手を取ると、そのまま抱き抱えた。
「うっ……臭いぃ」
為す術もなくお姫様抱っこされた彼女は、抵抗する事はせずに、と言うよりも抵抗より、鼻を塞ぐ事を優先したらしい。
「うるせえな! しょーがねーだろ!」
「待ちやがれこのクソども!」
「ぶち殺すぞ!」
「逃げられると思うなよ!」
と、すぐ後ろで錆びた鉈を手に持ち追いかけてくる男ら。
「ったく物騒な連中だな。こんなチビに刃物向けやがって。おいチビ、しっかり捕まってろよ? じゃないと舌噛むぜ」
「離し――」
直後、浮遊感。
跳躍したアルマは左右の壁を蹴りつけ、一般人が決して追うことの出来ない方向へ逃げた。
「ほらよ、これで勘弁してくれ!」
最後に彼女が盗んだ、食べかけのパンを投げつけたその時、
「あ――駄目……駄目!!!!!」
アルマはギョッとした。少女の叫び声の異質さに。
単に腹が減っているとか、食料を欲しがっているとか、そういう次元ではない。
(いやいやいや、情緒不安定かよ。しかも、カスみたいなパン一つで大袈裟すぎんだろ……)
彼女が絶望した表情で手を伸ばす。しかし、その手がパンに届くことはなく、むしろどんどん離れていった。
あまりに痛々しい顔を見て、アルマは困惑しながら口を開く。
「お、おい悪かったよ。もっといい食いもん買って」
言いかけた時、少女は表情にこそ出さないが、大粒の涙を流しながら力強くアルマの襟を掴み、
「そんなもの......要らない」
震えた声で呟いた。
しかし、チンピラはパンをキャッチすると、これ見よがしに齧り付いた。
「へへ、そんなにこれが食いたかったかガキが! ざまあみやが、れ?」
それを口にした途端、男の顔が歪み、フラフラと足取りすら覚束無い様子。
「お、おいサッツどうしたんだよ急に」
「しっかりしろ!」
他の二人もサッツの異変を感じとり、背中をさすったり声をかけたりしているものの、呻き声を漏らすだけで返答らしい返答はない。
「ぐ......あづ、あぢぃよ......! がらだが、おれのがらだが!」
自身の身体を掻きむしるサッツ。
(......なんだ? 毒でも入ってたのか? いや……)
悶え苦しむサッツを見て、アルマは眉をひそめた。
毒かとも思ったが、その線は薄い。何故ならあのパンは元々彼らが持っていたからだ。
ぎゅっと目を瞑り、怯える少女を見るに、彼女が盛った可能性もあるが、そうすると逆に意味がわからない。なぜ痩せこけ、空腹の時に盗んだパンに毒を盛る必要があるのか。
(毒じゃない。となると……)
チンピラは、食べかけのパンを口に入れた瞬間に苦しみ出した。パンでも毒でもなければ、あとはもう一つしかない。
アルマがチラと少女に視線をやったその瞬間――
「ぐ、ぎゃ……ぎゃあああぁぁぁ――ッ!!!!」
耳を劈く断末魔。その刹那、頭を抱え苦しみだした。
ピキピキと骨が異常な角度で軋み、弾ける嫌な音が鼓膜を揺らす。
「――おいおい、ひょっとしなくても結構ヤバくねーか」
あまりの異常さに目が離せなくなったアルマ。
目の前で人の身体がみるみるうちに膨れ上がっていく。
(ちょっと待てよ。なんだよこれ。これじゃあまるで……)
全身の皮膚が膨張を始める。やがてミリミリと引き裂かれた。そこから覗くのは赤い血肉ではなく、黒い異形の肉。それが膨張し、皮膚を食い破ったのだ。
肥大化した腕はいまやアルマの背丈よりも大きく、それに加え、不自然なまでに細い脚。
身体の構造が歪だった。
そして、サッツだったものの顔面が、中央からミチミチと左右に裂け始める。その割れ目から、血飛沫と共に競り出てきたのは白い仮面。
頭蓋を内側から破壊し、眼球を弾き飛ばし、ようやくその面は、既にぐちゃぐちゃになったサッツの顔面を隠しきった、その刹那――
サッツの弾き飛ばされていない残った人間の隻眼が、最後にアルマを呪うように見つめていた。しかし、すぐにそれは白に塗り潰される。
「……嘘だろ……? 人間の、眷属化……だと……ッ!?」
このような前例などまるで聞いた事がなかった。
アルマはぶつけようの無い怒りと、先程パンを返してしまった後悔で顔を歪ませた。
「なんでだよッ! なんで人間が眷属に変わるんだよ……! 一体何が起こってやがる!」
「オオオォォォォォォ――――」
かつて人間だった異形が、血の混じった咆哮をあげる。
アルマの腕の中では、シノアが恐怖にガタガタと震えていた。
狭い路地裏、片手には守るべき少女。目の前には、神獣の眷属。
(――クソが。まじで、最悪の任務を引き当てちまった……!)
アルマは右腕の呪詛を軋ませ、影縫を強く握り直した。




