2話 神獣
「だぁぁ!!ついてねえ!! よりによって壁外任務なんて最っ悪だ!!」
先日の騒動から数日、アルマ達は今、城塞都市の外にいた。
壁外は眷属が跋扈する、超がつく危険地帯。さすがに単独任務とはいかず、同じイクリプスメンバーの二人も同行し、計三名での任務を言い渡された。
「まぁまぁアルマくん、そう怒らないでください。必要な事ですから」
鈴のような声でアルマをなだめたのは、雪より白い髪を腰まで伸ばした美女。
鮮血を思わせる紅の瞳はやや垂れていて、おっとりした印象を受ける。
身長も高く、抜群のスタイルを誇っている。
「物凄い正論なんだけどさ、ルビー……お前絶対楽しみに来てるだけだろ。もうバレてんだよ」
「うふふ、皆には内緒ですよ」
「いや皆知ってるけども」
潤んだ口に指を立て、ウィンクするルビーだが、アルマの顔は若干引きつっていた。
「くっ、なんて眩しい笑顔だ。美しすぎるぜ……心臓を鷲掴みにされちまった。出来ることなら別の所を鷲掴みにしてもらいた――ぶべぇっ」
欲望全開な上、最後まで言う前にルビーの裏拳をくらった男が、もう一人のメンバーだ。
やや短めの金髪で、サングラスを掛けているものの、その上からでも整った顔が伝わってくる。
口を閉じていればモテると自他共に認めるほど、容姿が優れており内面は残念な男だ。
「レオくん、豚は人の言葉話せないんですよ〜?」
「ぶひぃ!」
辛辣なルビーとそれでもスタイルを崩さないレオは、二人ともイクリプスの古参メンバーだ。
「お前……本当にそれでいいのかよレオ」
「ふっ……美女に罵られるなら本望さ。アルマもいつかこっち側に足を踏み入れる日が来る。男は皆ドMなんだからな」
「自論の癖が強い!」
壁の外、いつ眷属が襲ってくるかも分からない危険地帯で、呑気にじゃれているのは彼らくらいだろう。
というのも、死線を超えすぎてそこら辺の感覚がまひしてしまっているのだ。
美しい草原が広がる壁外。見渡しこそいいものの、逆に眷属からも見つかりやすいということだ。
今回の任務は壁外調査兼、付近の眷属の討伐及び生態調査、そして可能ならば神獣の捜索だ。
眷属は壁外ならばそこら中にいるが、肝心の神獣は滅多に姿を現すことはない。
神獣や眷属が現れてから百余年、人間が討伐した神獣の数はたったの五体。一体討伐するのに犠牲者は数千にも及び、念入りに計画を立てなければ戦いにすらならない。
なので今回、神獣を見つけても決して戦闘はするなと厳命されている。
アルマ達が壁外にでて数時間、クローヴスとの距離も離れ始めた。
草原を超え、特に眷属らの出現率が高い森へと足を踏み入れた。
木々の多くはやたらと育っており、視界はかなり悪い。草原ではケタケタ笑っていた彼らも、表情に緊張が混じり始めた。
少し進むと、視界の奥で手足の異様に長い黒塗りの巨体が見え始めた。
当然、白い仮面もセットだ。
「おーおー、早速眷属様のお出ましだ」
アルマが見つけるや否や、視界の端で黒い影がすっ飛んでいく。
「行くよ、無骨ちゃん」
彼女が呟くと、抜かれた剣は呼応するように、その刀身を何倍も膨れさせる。
大剣と呼ぶに相応しいそれは、眷属の身体をいとも容易く両断し、血の雨を降らせた。
「あ、すみません。ぶった斬っちゃいました」
てへへ、と舌を出すルビー。血濡れになった彼女の表情は、なんだか清々しいものだった。
「さすがはルビーちゃん。いつ見ても惚れ惚れするねェ!」
「ふふ、でも、レオくんだけ役に立ってませんよ?」
容赦のない一言に、レオは「いやいや」と、アルマの方を指さして口を開こうとするも、
「俺は影縫で動き止めたけど?」
ドヤ顔のアルマに、レオは気まずそうな顔で、
「お、俺もちゃんとサングラスの反射で眷属の目を……」
と、訳の分からない事をごにょごにょと言い始める始末。ようは何もしていないのだ。
「うんうん、アルマくん、ナイスアシストでした〜」
いえーい、とレオを無視した二人は仲睦まじくハイタッチ。
いたたまれなくなったレオは、咄嗟に話題を変えるという小賢しい手段に出た。
「そ、それにしてもよ、アルマの影縫ってチートすぎね?」
「確かに。攻守だけじゃなくアシストまで出来ますもんね。ずるですよ、ずる!」
「まぁ確かにコイツは優秀だけと……」
アルマは言い淀み、右腕に目をやった。
鼓動に合わせドクドクと脈を打つ、禍々しい呪詛が広がっていた。
「それ、なんなんですか? 」
「あー……俺にもよくわかんねーんだ」
二人はそれが嘘だと察したが、それ以上追求するような事はしなかった。ただ、ルビーの紅い瞳が一瞬だけ、痛ましいものを見るように揺れたのをアルマは見逃さなかった。
その後も森の探索、調査を進めるうちにアルマらは違和感を覚え始めていた。
「なぁ、さすがに少し多すぎやしねーか?」
「ええ、私も思っていました。まだそんなに奥には来ていないのに……」
彼らは今に至るまで数十体の眷属を屠っている。通常であればその半分程度の数だろう。
多くの眷属を相手にしているが、苦戦らしい苦戦はしていない。
「ちょっと待て、なんか静かすぎ――」
言いかけたレオが、ある一点を見つめ硬直。その口と喉は音を出す事を許さなかった。
彼の目が捉えていたのは、先程まで屠り続けてきた異形などではない。
目の前にいるのはゆらりと歩く、巨大な牡鹿にも似た生物。
身に纏う白の体毛は荒み切っていて、肋骨が浮き上がった身体からは黒い体液がドロリと垂れている。
そこから稲妻の軌跡を描き、無作為に伸びる黒い角には血管状の模様が浮かび上がり、鼓動に合わせて赤く光っている。
しかし、何よりも奇異なのはその顔面だった。
平たい造形。前方を見ることに特化した目の配置。体毛も、皮膚すらもない、筋繊維が丸出しな赤くおぞましい肌に、感情の読めない顔。
ただそこに佇んでいるだけで、周囲の空気が劇的に引き締まり、時間の流れさえもが引き延ばされる錯覚を覚える。
森から一切の音が消えていた。風のそよぎも、虫の鳴き声も、すべてがそれの登場を前にして息をひそめている。
じっとこちらを見つめるそれの鼻腔から、白い息が漏れる。その音だけが、静寂の支配する森に奇妙に響き渡っていた。
(神獣……にしては異質すぎる……あいつらにここまでの圧はない。こいつは、一体…… )
アルマは全身から脂汗を噴き出し、目はそれに釘付けになっていた。
ガラス玉をはめ込んだような透き通った瞳が、アルマの身体を頭のてっぺんから足の先まで、まるでその奥底に流れる血の音まで聴き届けるかのように、深く、静かに見つめている。
その眼差しに宿っていたのは、怒りでも、明確な敵意でもない。
ただ、不憫そうに、長くは持たない脆いものを眺めるような、静かな哀れみだけだった。
三人は硬直したまま、誰一人として身動きが取れなかった。圧倒的な気配に圧されているだけではない。
その瞳に見つめられていると、世界から拒絶されているかのような虚無感に襲われる。何かを乞うように手を伸ばそうとするも、身体は動かず、声すらだせなかった。
やがて、それは何もおこさないまま、ゆっくりと瞬きをした。
牙を剥くことも、慈悲を与えることもない。ひとしきり三人の姿を見届け、すべてを悟ったかのように静かに踵を返した。
一歩踏み込む事に、黒い澱みが垂れ落ちる。それに触れた草木は枯れるでもなく、ただ黒に呑み込まれ、その存在が消えていく。
体液が地面に染み渡る頃には、草木が生えていた面影など綺麗さっぱりなくなっていた。
その代わりに、牡鹿の体毛には微かな光が帯びていた。
「ッ……!」
その時、アルマの右腕がピリと痛む。なぜかは分からないが、その痛みは目の前の生物が遠のくことで比例して消えていった。
完全にそれが去り、森に風の音が戻ってきた瞬間、レオはその場に膝をついた。
「はぁ、はぁ……! なんだよ、あれ……」
額から滝のような冷汗を流すレオ。ルビーの無骨ちゃんを握る手も、微かに震えていた。
「神獣、だったのでしょうか……でも、まるで本当の神様みたいな……」
二人の言葉を耳にしながら、アルマはただ、自分の右腕を凝視していた。
焼け付くような熱痛。神獣が去った今も、呪詛の脈動が収まらない。
(眷属の異常発生は、あいつが原因か? だが、あの目は……まるで俺たちを哀れむような……)
拭いきれない違和感と、背中にまとわりつくような死の気配。
「神獣なのか分かんねーけど、あんなのがいる場所でこれ以上調査もくそもねぇ。一旦戻ろう。多分、その方がいい」
三人は、自分たちがまだ生かされている幸運に震えながら、逃げるようにクローヴスへと帰還した。
報告書を上げたアルマは食事を済ませた後、ベッドに転がり何の変哲もない天井を見つめていた。
「都市内に急に現れたと思ったら、クローヴスに比較的近い場所に大量発生。そんで謎の神獣か」
たまたま双方の対処についた彼は、どうしても無関係とは思えず悶々としていた。
ここ数年、神獣の討伐こそ出来ていないものの、特に異変らしい異変もなく平和に過ごせている。
その時期が終わりを告げているのかもしれないと、そう感じていた。
「ま、いいや。とりあえず一服しよ」
星々の煌めく静まり返った都市を見下ろしながら、煙草に火をつけた、その時だった。
夜の路地裏、闇を縫うようにして走る、一つの小さな影が網膜に映る。
月光に照らされたその背中を捉えた瞬間、アルマの心臓がドクン、と激しく跳ねる。
ポロリ、と火をつけたばかりの煙草が指先からこぼれ落ち、夜闇へと消えていく。
「おい、まじか……なんだってんだ、次から次へと……!」
見間違うはずがない。
夜風に激しく揺れていたのは、八歳の頃、世界の禁忌として研究施設の奥に囚われていた――美しい蒼い髪だったのだから。




