12話 死神の怒り
――空気が爆ぜる。アルマの踏み込みは、暗闇を置き去りにするほどに容赦がなかった。
赤狐の持つ双剣が、黒い刃の一撃によって甲高い悲鳴をあげて弾け飛ぶ。
「がっ――!?」
ほとんど同時にアルマの前蹴りが鳩尾を穿つ。
胃液を吐き散らす赤狐。だが、前蹴りの凄まじい衝撃を受けたのにも関わらず、後方に吹っ飛ばされてはいなかった。
「お前は接近を許すべきじゃなかったな」
余裕たっぷりに言い放つアルマ。先程剣を弾き飛ばした時、影縫のオーラを伸ばし仕込んでいたのだ。
「ぐ、卑怯だぞ貴様……!」
「――黙れ。てめぇはアイツを傷付けた。その代償はきっちり払ってもらうぞ」
ゾッとする程冷徹な眼差しを向け、アルマは身動きの取れない赤狐に歩み寄る。
「ど、道具風情になにを入れ込んでいる! 貴様らイクリプスは神獣の討伐――ひっ……!」
赤狐の言葉で、アルマから表情が消えた。
「……道具?」
その言葉を口にしたアルマの声音からは、怒りすら消え失せていた。
ただどこまでも冷たく、平坦な響き。それが逆に、地下室の空気を極限まで凍りつかせる。
アルマは静かに、身動きの取れない赤狐の喉元へと手を伸ばした。
「が、はっ……!?」
呪詛の右腕が、男の眉間を鷲掴みにし容赦なく締め上げる。そのまま壁へと乱暴に押し付け、じわり、と力を込めていく。
「お前は今、シノアを道具って言ったのか?」
「しょ、所詮は実験体だ。軍の役に立つ事だけが、003の喜びだ」
「……お前は知らねーだろ。あいつがクレープくって、幸せそうにしてる顔をよ。本当に……嬉しそうに笑うんだ、あいつは。軍の役に立つのが喜び?――ふざけた事言ってんじゃねーぞ!!」
アルマは掴んでいた顔面を床へと叩きつける。
赤狐の頭部が床にめり込み、反動で身体が浮き上がった。
「がはっ――」
「掃いて捨てるほどありふれた日常をなぁ……あいつは泣きそうになりながら見つめてたんだよ」
口にすればするほど、怒りが込み上げてくる。
それに比例するように、鷲掴みする腕に力が込められていく。
「それを実験体だの道具だの……あいつの人生奪って……俺達大人がこれ以上、あいつから何を奪えば気が済むんだよ……」
アルマはそのまま赤狐を抑え込み、ふと、シノアの方に顔を向ける。
「シノア、悪い。目と耳塞いでてくれ」
「は、はい」
悲しそうに、申し訳なさそうにヘラっと笑ったアルマに、シノアは心が締め付けられる思いだった。
アルマはこういう姿を自分に見せたくなかった。
それでも侮辱された事を許せずに、自分の為に怒ってくれた。
ほんの数日、一緒に過ごしただけなのに。
(あなたは、こんな時でも私に普通を与えようとしてくれるのね)
これから起こることを察したシノアは、そっと耳を塞ぎ、瞼を落とした。
それを確認したアルマは、再び赤狐はと向き直り、
「……あいつの宝物を踏み躙ったのは、この脚だったな」
そう呟くと、そのまま赤狐の『影の足』の真上に、躊躇なく軍靴を踏み下ろした。
アルマの足元から奔った禍々しい紫のオーラが、赤狐の影を物理的に地面ごと押し潰す。
肉体には触れていない。
しかし次の瞬間、踏まれた影ではなく、赤狐の脚がピクリと揺れる。
「な、なんだ……!? 脚が――」
ミリミリと音を立て、ゆっくりと関節が不自然な方向に曲がり始める。やがて関節だけではなく、大腿部、脛部の骨も軋み始め――
砕けた骨が肉と皮膚を穿ち、顔を出した。
「――ぎゃあああああああああああああぁぁぁッッ!?」
地下室の壁が震えるほどの絶叫。
存在の根底である影を破壊されたことで、現実の赤狐の両足の骨肉が、内側からバキバキにあり得ない方向へと砕かれていた。
――影断。
影縫の第二の能力であり、相手の影へのダメージを問答無用で肉体に反映させる能力だ。
「あいつの心の痛みはこんなもんじゃねーぞ」
アルマは赤狐の胸ぐらを掴み、強制的に視線を合わせる。
「いいか、俺の前でこれ以上シノアを侮辱するな。二度目はねーぞ。この意味、分かってくれるよな?」
有無を言わさない鬼の表情で、ドスの効いた声で言った。
「ひっ……わ、わかった! わかったからもう――」
完全に心がへし折られた赤狐は、無様にも情けない声をあげる。
アルマはそれを見てニヤリと笑うと、いつも通りの声色で、
「そんじゃ、これは俺の貴重なサボりを奪ったぶんな!」
そう言って渾身の右ストレートを、容赦なく顔面に叩き込んだ。
パキッと子気味良い音立て、赤い面が割れる。その奥の姿を目にしたアルマは、
「ブサイクな顔見せたからもう一発」
「ぐはっ!」
ぺろっとお茶目に舌を出して、再び拳を叩き込む。
すると思い出したかのように、
「帽子の修理代もだ!」
と更にもう一発。その後とテキトーに理由を付け、バカスカ殴り始める。
最早、赤狐の顔は原型を留めておらず、ブサイクな顔がより一層ブサイクに仕上がっている。
赤狐はもう虫の息だった。
そんな中、アルマは「あ!」と声を上げ、
「持ってけ泥棒! 最後に隠れ家の天井をぶっ壊したぶんだ!!」
そう言って右腕を振り上げると、
「しょれは私じゃない――」
呂律すら怪しいほどタコ殴りにされた顔面へ、もう一度右ストレートを叩き込んだ。
「……まぁ、あれだ。同じ軍人同士の連帯責任ってやつ?」
そうふざけ倒す彼に、先程までの冷酷極まりない姿は微塵も感じられなかった。
その後ろでルビーは、そそくさと無骨ちゃんをアルマの視界から隠そうと、背中に回している所だ。
因みに、無骨ちゃんは大剣なので全く隠れていない。
「よ、よかったぁ。私修理代払わなくていいんですよね! 連帯責任ですから〜」
アルマの言葉にホッと胸を撫で下ろしたルビーに、アルマはゲンナリとした顔で、
「あんま自分で言うもんじゃねーぞ、それ……」
「まぁ何はともあれ、おつかれアルマ」
「おう。二人ともまじで助かったわ」
「いいんですよ〜。仲間ですから」
「こないだの金返してくれてもいいんだぜ!」
そんないつもの軽口を叩き合いながら、二人に軽くハイタッチを交わす。
アルマは未だぎゅっと目を瞑り、しっかり耳を塞いでいるシノアを見て、愛おしそうに微笑み、その無防備な額を指でツン、とつついた。
「――あぅっ!? お、終わったの……?」
情けない声を上げたシノアは、恐る恐る目を開け、不安そうな顔でアルマを見つめる。
「ああ、とりあえずはな」
シノアはその言葉を聞いた後、アルマの焼けた団服と、爛れた皮膚を見て、きゅっと唇を噛み、
「ね、ねぇアルマ……その、ごめんね。さっき私――」
魔女の力で、と言いかけた時、アルマは遮るようにわしゃわしゃとシノアの頭を撫でた。
「ばーか。あんなもんでどうこうなるほどヤワじゃねーよ。だから気にすんな」
「……う、うん」
それが強がりだと言うことは明白だったが、彼なりの不器用な優しさを無下にする訳にもいかず、シノアはそれ以上その事に触れまいと決めた。
「んじゃ、二人とももう少しシノアを頼んでいいか?」
「それはいいですけど、どこいくつもりですか?」
「アルマ、お前まさか――」
何となく察したレオに、アルマはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「そのまさか、だ。 やられっぱなしは性に合わねーんだ。だから悪いけど、もうちょいいい子で待っててくれよ」
シノアに目線を合わせて、そう言うと彼女は、少しだけ拗ねたように頬を膨らませ、
「……わかった」
「素直でよろしい! さて、親玉にご挨拶といこうじゃねーか!」
(それに。シグナスの野郎には聞かなきゃならねー事が山ほどあるしな)




