11話 魔女の片鱗
「それにしても、シノアちゃんは本当に可愛いですね〜。私ルビーっていいます! 仲良くしてくださいね〜」
「俺はレオお兄ちゃんって呼んでね! ああっ、そんな見下さないでっ」
赤狐を完全に無視して、二人は着飾ったシノアに夢中になっていた。
当のシノアはまんざらでもないようで、恥ずかしそうにしながら、どこか嬉しそうだ。
そんな三人を見て、アルマはやや引き攣った顔でボヤいた。
「お前ら……なんつーか、マイペースだなぁ」
そんな中、一向に見向きもされない赤狐は、わざとらしく「おほん!」と咳払いをし、
「……さすがはイクリプス。噂以上の手際だ」
一言一句違わずに繰り返すのであった。
「なんか、ごめんな」
「ふざけた連中だが……貴様らのペースにはさせんぞ」
瞬間、男は腰に差していた双剣を抜く。
ルビーとレオはすぐにシノアを後ろに下げ、武器を構える。
アルマも同様に剣を構えるが、内心、男の行動に疑問を抱いていた。
(暗部の隊長ともあろうものが、この戦力差で捨て身の突撃? んな訳ねーよな。十中八九、既に策を弄してる)
赤い面は隊長の証であり、相応の実力を担保している。
そんな優秀な男が、個人の戦闘力がずば抜けているイクリプス三名に対し、無策で突っ込んでくるのは無理がある。
「ルビー、レオ、気をつけろ。なんかあるぞ」
異変を察知したアルマに、赤狐は少し驚いたような声をあげる。
「ほぉ……さすがは百戦錬磨の死神様だ。しかし、気付いたとて、どうにもなるまい」
次の瞬間、電球が破裂し、地下室は完全に黒に呑まれた。
「くそ、こいつ――」
唐突の暗闇で目が慣れていない面々は、相手の動くほんの微かな音と気配を頼るしかない。
が、しかし――
「はは、暗部の隊長だけあるぜ、全くよ」
それらが全く感じられなかった。音も気配も何一つない。本当に赤狐がそこにいるのか、すら怪しいと感じるほどに。
笑ってはいるものの、アルマの額にはじんわりと汗が垂れていた。
(対策済みってか。まあいい。たかだか視覚を封じた程度で……いや、違う!こいつの狙いは端から――)
「――ルビー、レオ! シノアを」
「もう遅い」
「――っ!」
アルマの叫びを遮るように、男の不敵な声が響く。
同時にシノアの小さな悲鳴が鼓膜を揺らした。
状況が上手く掴めない三人だが、シノアが確保された事だけは理解している。
しかし、相手は暗部の隊長であり、暗闇を用意した張本人。加えて人質まで取られているとなると、為す術がない。
「――レオくん、合わせてくださいね!」
そんな中、ルビーが叫ぶ。
ほとんど同時に、風のない地下室に爆風が舞う。
直後、凄まじい破壊音。ルビーが無骨を振るったのだ。
その威力は馬鹿げており、先程破壊した天井をさらに粉砕し、地上の廃屋すら消し飛ばした。
廃屋が消えた事で弱々しくはあるが、月光が地下室へと届き最低限の視界が確保された。
が、その代償として、全員に無差別に瓦礫が降り注ぐ。
「ちょーっと強引すぎるぜェ」
レオは刹那の視界で得た情報を元に、神速の銃撃を繰り出す。
──パァン。と一瞬の間に響いた十数発の破裂音。その弾丸達は、シノアに迫る無数の瓦礫を一つ残らず撃ち抜き、砂粒に変えた。
レオはキザっぽく白銀の銃をクルクルと回し、
「ハローベイビー、怪我はないかい?」
「……馬鹿げてる。だが、貴様らは手出できまい。少しでも動けば003がどうなるか……わかるな?」
二人の圧倒的な技量を前にしても、赤狐は冷静に事を運んだ。自信の有利は変わっていないと、そう確信している。
赤狐は双剣の切っ先をシノアの首に当て、三人を牽制。
それを見たアルマの目の色が変わった。
昏く、激しい怒りを宿した本気の目だ。
無数の修羅場をくぐり抜けてきたであろう暗部の隊長でさえ、思わずゾッとする程、その眼は冷酷だった。
「おい、クソ狐。てめぇの生命力、試してみるか?」
アルマの地を這うような低い声に、赤狐の赤い面の奥が、一瞬だけ確かに恐怖で歪んだ。
だが、赤狐はすぐにその動揺を嘲笑で塗りつぶす。
「ふん……脅しのつもりか。忘れるなよ? 手が出せないのは貴様らだ。それに、化け物が人間の真似事など、笑わせてくれる」
赤狐は牽制の姿勢を崩さないまま、空いた左手で、シノアの頭に乗っていた『白いキャスケット帽』を乱暴にむしり取った。
「あっ――」
シノアが小さく声をあげる。
月光の下に、隠されていた美しい蒼い髪がふわりと広がる。
赤狐はシノアの首元に双剣を突きつけたまま、その手の中にある白い帽子を見つめ、あざ笑うようにそれを床へと放り捨てた。
「貴様は被検体003だ。こんな事をする為に存在している訳じゃない。手間のかかるクズが」
グシャリ、と地下室に嫌な音が響く。
赤狐の泥に汚れた軍靴が、それを執拗に、容赦なく踏みにじり、すり潰した。
「……あ」
その瞬間、シノアは走馬灯のように思い出す。
場違いな店に連れていかれた事。エリザベスが悩みながらも真剣に選んでくれた事。
アルマに可愛いと褒められ、クレープを食べて笑った、人生で初めて『普通の幸せ』を楽しんだ記憶が駆け巡る。
歪んた表情から、やがて大粒の涙がポロポロと溢れ落ちる。
深い悲しみと激しい怒りで表情が上手く定まらない。
だがその悲しみは、すぐにドス黒く渦巻く圧倒的な怒りに呑まれ、狂気へと変貌を遂げる。
「――触るな」
「シノア……!」
聞いた事もないシノアの低い声と、彼女の異変にアルマは動揺を隠せないでいた。
赤狐も同様に異変を感じ取り、生唾を飲み込む。
「これが魔女の片鱗か……!」
しかし、彼はアルマとは対照的に興奮していた。
「初めてだったのに……」
シノアの感情が昂ると同時に、彼女の体にバチバチと黒い雷が発現し、密着していた赤狐が弾き飛ばされる。
「が――ぐぅ、片鱗だけで……この威力……ハハ、凄まじいな003。魔女として遂に覚醒したか……!」
腹部が焼け爛れているというのに、赤狐はまるで気にすることなく高笑いをした。
黒雷を纏わせたシノアは完全に正気を失っている。美しい翡翠には影が差し、元の可愛らしい顔つきとは一変、鬼の形相を浮かべている。
シノアが吹き飛ばされた赤狐に向かって一歩踏み込むごとに、黒雷は徐々にその出力を上げていた。
「……許さない」
「ふふ、私を殺すか? それでこそ生物兵器だ」
シノアが手をかざすと、凄まじい出力の黒雷が右手に集中し、バチバチと音を立てる。
放たれればまず間違いなく赤狐は即死する。それどころか、都市に風穴を開けるのではないかと感じさせる程、それは凄まじいものだった。
「お前は絶対に――」
シノアの目が見開き、黒雷が放たれようとしたその時――
「おいおい、そんなまじになんなよ。うんこガールに戻っちまってるぞ?」
不協和音のように、あまりにも場違いなすっとぼけた声が響く。
「……うるさい」
シノアは、怒りに支配されたギラついた視線をアルマに送る。
アルマは大袈裟に「おーこわ」とおどけながら、泥のついたキャスケット帽を拾い、丁寧に泥を落とした。
シノアの周囲で狂い咲く黒雷がアルマの服を焦がし、その皮膚を容赦なく焼いていく。
だが同時に、アルマの右腕の呪詛が、シノアの黒雷――神獣の血に呼応するように激しく、歓喜するようにのたうち回った。
(ッ――痛てぇ……なんだ、この感覚は……!)
体中を襲う異次元の激痛。しかし、アルマはその痛みを力づくで抑え込み、決して表には出さなかった
そしてカツカツとシノアの元に歩み寄り「ほらよ」と、ぶっきらぼうに帽子を被せた。
「なによ……」
理解が追いつかないシノアに、アルマは腰を屈めて視線を合わせた。
「普通で居させてやるっていったろ? 」
そう言ってアルマは優しく微笑んだ。
「でも……でもッ!!!! あの帽子は……初めての……」
泥で汚れ、靴の跡がついてしまっている。それでもシノアにとっては世界でたった一つの、初めて与えられた帽子だ。
「分かってるよ」
アルマは、シノアの目を隠すように、帽子を深く被せ、感情剥き出しで泣きわめくシノアの頭にそっと手を置く。
その瞬間、荒れ狂っていた黒い雷が、嘘のようにピタリと霧散していく。
「帽子は、エリザベスなら簡単に直してくれる。その時、お前がまたそっち側に戻ってていいのか? 面倒事は俺が取っ払ってやるから、そんな顔しないでくれ」
(なんで……アルマはいつもこんなに……)
復讐の狂気に支配された脳裏に、あの日見た暖かな噴水の景色が過ぎった。
アルマはシノアの涙を親指でそっと拭うと、ゆっくりと立ち上がった。
彼女の身体から黒雷が消え、いつもの華奢な少女の姿に戻っていく。
「アルマぁ……」
びええ、と泣きながらぼすっとアルマに抱きつくシノア。アルマは少し困ったような顔をして、頭を撫でながら、
「よしよし、後でいくらでも甘やかしてやるから、いい子で待ってろよ? ルビー、レオ、シノアを頼んだぞ」
「オーケー、アルマ。ぶっ飛ばしてこい」
「シノアちゃん、一緒にアルマくんを応援しましょ〜。アルマくんああ見えて、すっごく強いんですよ?」
シノアの元に駆け寄る二人を見届け、アルマは振り返り、赤狐を見据えた。
その鋭い眼光の奥には、世界を凍らせるほどの絶対的な怒りが宿っている。
右腕の呪詛が脈打ち、黒い刀身からは禍々しい紫色のオーラが狂ったように暴れだす。
「待たせたな、クソ狐。お仕置の時間だぜ」




