10話 暗部襲来
あれから三日後の深夜、アルマは不穏な物音に気が付いた。
この三日間、シノアは随分とアルマに懐き、ようやく普通の女の子になりかけていた。
しかし、その夢が覚める時が来てしまったらしい。
「……やっぱ、放っておいてはくれねーか」
隠れ家として使っている廃屋の地下室。そのカビ臭い天井を仰ぎ見ながら、アルマは咥えたばかりの煙草を床に吐き捨て、靴の裏で静かに踏み消した。
数秒前まで部屋を満たしていた、シノアの小さく規則正しい寝息。
そんな奇跡のように穏やかだった日常の静寂は、もうどこにもない。
常人の耳では決して感知できない、衣服が微かに擦れる特有の音。
そして、建物の周囲を一分の隙もなく、包囲している冷徹で濃密な殺意の塊。
並々ならぬ気配に、アルマは剣を取り警戒を高める。
「ア、ルマ……?」
ただならぬ空気の変化を本能で察したのか、シノアが布団から小さな身体を起き上がらせた。
翡翠の瞳は、暗がりの中で不安そうに激しく泳いでいる。
「シノア、隠れてろ。絶対にそこから動くなよ」
「え、でも――」
「いいから言う通りにしろ。心配すんな……すぐに片付ける」
アルマは安心させる為に、いつも通りの腑抜けた顔で言った。
直後、地下室の厚い鉄製の扉が、鼓膜を震わせる爆音と共に内側へと吹き飛ぶ。
凄まじい衝撃波と、視界を遮るほどの激しい砂煙。
その混迷の向こうから、音もなく滑り込むようにして躍り出てきたのは、狐の面を被った異様な集団だった。
正規軍における特殊部隊、通称『暗部』。
諜報活動や暗殺を主とする、日陰のプロフェッショナルたちだ。
その数、目視できるだけで十数人。全員の手には、闇の光を吸い込むような冷徹な刃が握られている。
「被検体ナンバー003の回収、及び、障害の排除を開始する」
狐の面の奥から、感情の一切籠もっていない機械的な声が響いた。
「ハッ! お前ら暗部の面ってのは、いつ見ても反吐が出るほど趣味が悪ぃな。わざわざ人のサボり部屋を壊しやがって。弁償代、高くつくぜ?」
冷酷な宣告に対し、アルマは愛刀を引き抜きながら、凶悪に口角を吊り上げた。
「――行くぜ、影縫」
アルマがそう呟いた瞬間、黒の刀身から禍々しい紫色のオーラが爆発的に噴き出した。
同時に、彼の右腕を蝕むようにして、ドクドクと脈打つ呪詛の紋様が広がっていく。
「なっ、身体が――!?」
暗部の一人が短く驚愕の声をあげる。
床に伸びた彼らの影が、アルマの放った紫のオーラによって物理的に床へと縫い付けられる。
完全に身動きを奪われた暗部たちの真ん中へと、アルマは黒い閃光となって突っ込んだ。
一閃。
刃の風圧だけで空気の壁が弾ける。
断末魔の絶叫さえ許さず、先頭にいた三人の暗部の胴体が、くの字に折れ曲がり吹き飛ばされる。
「くッ……化物め……! 怯むな! 物量で押し潰せ!」
アルマの規格外の初撃に、一瞬だけ動揺した暗部たちだったが、さすがは訓練された特殊部隊と言うべきか。
即座に影縫の範囲外にいた後続の面々が、統制された動きで一斉にアルマへと肉薄する。
単体、あるいは数人程度であれば、アルマの敵ではない。
しかし、人数はそれ以上であり、ここはあまりにも狭い地下室だ。
おまけに、アルマの背後にはシノアが息を潜めている。
キィィィン!! と、鼓膜を引き裂くような激しい金属音が狭い空間に反響する。
上下左右、死角から同時に突き出される四本の刃。
アルマはそれを剣一本の最小限の動きで受け流し、鋭いカウンターで一人、また一人と確実に斬り伏せていく。
だが、暗部たちの連携は執拗だった。一人を斬り伏せれば、その隙に次の二人が容赦なく刃を突き出してくる。
「チッ、仲良し兄弟かよ」
体勢をわずかに崩しながらも、襲いかかる刃を強引に弾き飛ばす。
だが、暗部たちの真の狙いは、最初からアルマ自身を倒すことではなかった。
「――目標、確保」
「ッ!? シノア!!」
アルマが正面の三人の中段突きを無理やり巻き上げた、その、ほんの一瞬の隙だった。
完全な死角から回り込んでいた二人の暗部が、ベッドの裏に隠れていたシノアの細い腕を、容赦なく掴み上げて引きずり出した。
「離して……っ! 離しなさいよ!!」
シノアが必死に手足をバタつかせて抵抗するが、幼いシノアの力では暗部に通じるはずもなかった。
冷徹な刃の切っ先が、彼女の白く細い喉元へとピタリと突きつけられる。
(くそっ、間に合わねぇ――!!)
周囲を取り囲む敵の壁を強引になぎ払い、跳躍しようとしたアルマだったが、足元へ執拗に絡みつく無数の刃がそれを遮る。
シノアの瞳が、深い恐怖と絶望に染まっていくのが見えた。
万策尽きたと思ったその時――
「――はいそこ、どいてください。無骨ちゃんが通りま〜す」
地下室全体を微震させるほどの、鈴を転がすように美しく、それなのに絶対的な暴力を含んだ少女の声が響き渡る。
ドガァァァァァンッ!!!!
頑丈な石造りだったはずの地下室の天井が、内側から爆発したかのように派手に粉々に粉砕された。
凄まじい風圧と共に吹き飛んできた、大量の瓦礫の嵐。
その中心を割って飛び込んできたのは、規格外に巨大な銀色の大剣だった。
シノアの腕を掴み、刃を突きつけていた二人の暗部は、上から迫るその巨大な質量に気づくことすらできない。
何が起きたのかを理解する間もなく、大剣の圧倒的な一振りの前に、吹き飛ばされ、壁にめり込んだ。
「……え?」
突如として目の前の壁と敵が消え去り、呆然と床に座り込むシノア。
土煙がゆっくりと晴れていく中、そこには雪のように白い髪を腰までなびかせた美女――ルビーが、自分の背丈の何倍もある大剣を軽々と肩に担ぎながら、不敵に微笑んでいた。
「はは、お前ら……まじかよ」
アルマは心底ホッとしたように長い溜め息を漏らし、肩の力を抜いて剣を構え直した。
粉塵の向こうから、もう一つの、カチ、カチ、と小気味よい足音が響いてくる。
「ふっ……主役ってのは、いつだって遅れて現れるものさ。どう? 俺今カッコよくない?」
場違いなほど明るい声色でそう言ったのは、短めの金髪にサングラスをかけた男――レオだった。
彼はすでに両手に不気味な光沢を放つ、二挺の拳銃を構えている。
残された暗部たちをサングラスの奥から見据え、その無駄に整った顔立ちに、キザな笑みを浮かべる。
「んじゃ、全員、俺様の特製サングラスの反射光をくらえっ! ほっ!はっ!」
突如として、妙な掛け声と共にサングラスを上下に動かし、なんとか反射光を当てようとするレオ。
もちろん、場が凍りついたのは言うまでもない。
「「「…………は?」」」
残された暗部たちの動きが、ピタリと止まった。
数人の口から、思わず素で困惑したような間抜けな声が漏れる。
さっきまで命のやり取りをしていたはずの張り詰めた戦場の空気が、レオのあまりにもくだらない行動によって、一瞬でガチガチに凍りついた。
「おいレオ、くそさみーギャグのせいで敵さん困ってんじゃねーか。ま、おかげで影縫で拘束すんのが楽だったわ」
アルマがニヤリと笑うと、レオも同じく口角を上げた。
あまりに突飛な行動に暗部が固まった隙に、アルマは影縫のオーラを伸ばし、暗部の影を縫いつけていた。
「レオくんもたまには役に立つんですね〜」
ルビーもいつも通りの垂れ目をさらに細め、にこやかに微笑みながらレオの存在を綺麗にスルーした。
「ちょっとルビーちゃん!? 俺、結構役に立ってるよ!? よくみて! 刮目して!」
レオは叫ぶと同時に、引き金が信じられない速度で引き絞られ、乾いた銃声が地下室の空気を間髪入れずに引き裂いていく。
先ほどまでのマヌケな態度からはおよそ想像もつかない、精密かつ苛烈な銃撃だった。
放たれた弾丸は暗部たちの持つ武器をピンポイントに弾き飛ばし、また、四肢を貫いていく。
それはほとんど一瞬の間の行動だった。
「な、なんだこの速度は……! これが特務機関イクリプス……!」
残った暗部たちが慌てて防戦に回ろうとするが、すでに遅い。
レオの銃撃によって完全に陣形を崩された暗部たちの真っ只中へと、今度はルビーの無骨ちゃんが容赦なく振り下ろされた。
「ふふ、ぶっ飛ばしますよ〜!」
凄まじい衝撃波と共に、大剣が一閃される。
狭い地下室の中で、暗部たちは面白いくらいの勢いで、壁へと叩きつけられていった。
もはやそれは戦闘ではなく、ただの一方的な駆除、あるいは蹂躙だった。
「つーかよ……お前ら、なんでここにいるんだよ」
周囲の敵がポンポン吹っ飛んでいく中、アルマは剣の血を払いながら二人に尋ねた。
ルビーは大剣を床に突き立て、小首を傾げて可愛らしく微笑んだ。
「何言ってるんですか。アルマくんが仕事をサボって逃げ込む隠れ家なんて、私たちが把握してないわけないじゃないですか」
「そうそう。アルマが可愛い女の子を連れ込んでるって、シュバっちから聞いてね……にしても、本当にめちゃくちゃ可愛いお嬢ちゃんだねぇ! ハローベイビー、良かったら俺と大人のデートに行かない?」
レオが素早くシノアの前に膝をつき、サングラスをずらして口説きにかかる。
「近寄るな、この変態サングラス」
シノアは完全に引いた目でレオを一睨みすると、アルマの後ろへとトコトコと隠れた。
その小さな手は、アルマのシャツの裾をぎゅっと掴んでいる。
「ぶふぉっ! 冷たい目! でもそこがいい! ご褒美です!」
「レオくん、やっぱり本物の豚だったんですね〜。今すぐその頭、無骨ちゃんで叩き割りましょうか?」
「ル、ルビーちゃん、それは洒落になってないからストップ!!」
わあわあと騒ぎ始める二人を見つめながら、アルマは小さく笑った。
その時だった。暗部の一人がヨロヨロと立ち上がり、砕けた刃をアルマ達に向けた。
「ぐ……うぅ、化け物共が……!」
「あれ、少し加減しすぎたか?」
アルマがすっとぼけたように言うと、すかさずルビーが無骨ちゃんの腹で男の頭部をスコーン!とぶっ叩いた。
男は瀕死のカエルのような汚い声をあげ、その場に倒れる。
「なんだかんだアルマくんは優しいですよね〜」
「そうそう、俺なら迷わず脳天ぶち抜いてるぜ?」
「はっ! そういうお前らだって、一人も殺してねーだろ。俺達は対神獣殲滅部隊、特務機関イクリプスだ。こんな奴ら相手でも、人を殺すのは仕事じゃねぇ」
ぶっきらぼうに、けれど芯の通った声でそう告げると、アルマは自分の後ろでシャツの裾をぎゅっと掴んで震えているシノアの頭を、ぽんぽんと優しく叩いた。
「それに、こいつの前で死屍累々の山を築く訳にも行かねーしな」
その言葉に、シノアは驚いたように瞳を見開いた後、恥ずかしそうにさらにアルマの背中へと顔を埋めた。
ルビーとレオが「ごちそうさまです」と呆れた顔をした、その時だった。
パチ、パチ、パチ。
破壊された地下室の闇の奥から、衣服の擦れる音さえさせず、ただ乾いた拍手の音が響く。
「――さすがはイクリプス。噂通り……いや、噂以上の手際だな」
闇の中から、血のように赤い狐の面を被った男が静かに姿を現した。




