第六話 AI案内ロボットは死者を案内する
夜行性動物館での一件から数日後、いろはは近未来エリアへの応援を命じられた。理由は単純で、繁忙期のシフトが逼迫しているというだけだったが、いろは自身は、どこかでこの巡り合わせに意味を感じずにはいられなかった。
近未来エリアは、園内でも比較的新しく作られたエリアだった。VRシューティング、宇宙船型ライド、没入型シアター。そして、園内を巡回しながら来園者を案内するAIロボット「ステラ」が、このエリアの目玉になっている。
ステラは全身が白と青のパネルで覆われた、丸みを帯びたデザインのロボットで、来園者に道案内をしたり、写真撮影に応じたりする人気者だった。
「朝岡さん、今日はよろしくお願いします」
声をかけてきたのは、システム担当の真壁ユウナだった。肩までの髪を無造作に後ろで束ね、黒縁の眼鏡の奥から、落ち着いた目でタブレットの画面を見つめている。制服の袖口には、小さな工具を入れた細いポーチが留められていた。二十六歳で、近未来エリアの機材やAIシステムの管理を一手に担っている。
「よろしくお願いします。今日は何をすれば?」
「案内補助です。ステラがお客様と対話してる間、周りの混雑整理をお願いしたくて」
ユウナはそう言いながら、タブレット端末でステラの稼働状況を確認していた。その表情に、いろははふと違和感を覚えた。何かを気にしているような、集中しすぎているような目つきだった。
「真壁さん、何か気になることでも?」
「あ……いえ、大丈夫です。ちょっとログの数値が変で」
「ログ、ですか」
「システムのエラーログです。ステラが処理してる来園者データに、ちょっとした不整合があって。たぶん、単純なバグだと思うんですけど」
ユウナはそう言って笑ったが、その笑い方は、どこか自分を納得させるためのもののように見えた。
その日の業務は、特に問題なく進んだ。ステラは子どもたちに囲まれ、愛想よく受け答えをこなしていた。いろはは周囲の誘導を担当しながら、その光景を微笑ましく眺めていた。
だが、閉園間際、事件が起きた。
「真壁さん、ちょっと来てください!」
近未来エリアの別スタッフが、慌てた様子でユウナを呼びに来た。いろはもその場に居合わせたため、一緒についていくことになった。
案内された先は、システム管理室だった。壁一面に並んだモニターに、ステラの稼働ログが表示されている。
「これ、見てください」
スタッフが指した画面には、来園者IDの一覧が表示されていた。ほとんどは、今日発行された新しいIDだ。だが、その中に、明らかに異質な番号が混じっていた。
「これ……日付が」
ユウナが画面に顔を近づけて、眉をひそめた。
「二十年前の日付になってます」
「二十年前……?」
いろはの背筋に、冷たいものが走った。
「発行日が二十年前で、しかも、このチケット番号のフォーマット自体、今のシステムと違うんです。これ、当時使われてた旧システムの形式です」
ユウナは、画面をスクロールさせながら続けた。
「ステラは、このIDに対して、案内履歴を記録してます。つまり、このIDを持った『誰か』を、実際に案内していたことになる」
「案内先は、どこですか」
いろはが尋ねると、ユウナは端末を操作して案内履歴の詳細を表示させた。
「これです。案内先の座標が……あれ」
ユウナの声が止まった。
「どうしたんですか?」
「この座標、今の地図にない場所なんです。少なくとも、私が知ってる限りでは」
いろはとユウナは、顔を見合わせた。
「行ってみます?」
ユウナが問いかけた。理系らしい冷静さの奥に、それでも隠しきれない好奇心と、わずかな怯えが滲んでいた。
「私も行きます」
いろはは即答した。
二人はまひるにも声をかけ、三人で座標が示す場所へ向かうことにした。まひるは最初、渋い顔をしていたが、「システムの不具合の確認」という名目に納得して、同行することにした。
「本当にただの調査だからね」
まひるは念を押すように言った。
座標が示していたのは、近未来エリアの奥、現在は使われていない旧アトラクションのバックヤードだった。表向きは、機材の倉庫として使われている一角だ。
三人はスタッフ専用の通路を通って、その場所へ向かった。夜の近未来エリアは、昼間の未来的な明るさとは違い、非常灯だけが青白く廊下を照らしている。
「まひる、無理に来なくても大丈夫だよ」
いろはがそう言うと、まひるはすぐに顔をしかめた。
「そういうの、やめて」
「え?」
「大丈夫って言って、一人で行こうとするやつ」
まひるは、スタッフ用の懐中電灯を手に取った。電池の残量を確認し、無線のチャンネルを合わせる。いつもの軽い調子ではなかった。
「別に、怪異を信じたわけじゃないから」
「うん」
「ただ、システムの不具合なら人手がいるし、古いバックヤードに入るなら安全確認も必要でしょ」
「うん」
「それに」
まひるは、少しだけ言葉を切った。
「いろはを一人にしたら、また勝手に奥まで行きそうだから」
いろはは苦笑しかけて、やめた。まひるの横顔が真剣だったからだ。
「ありがとう」
「お礼を言うところじゃない。反省するところ」
「はい」
「あと、何か見えても、いきなり走らない。聞こえても返事しない。変な扉があっても開けない」
「多いね」
「多いよ。いろはは危なっかしいから」
まひるはそう言ってから、視線を少しだけ逸らした。
「……私は、まだ信じきれてない。でも、いろはが怖がってるものは、ちゃんとあるんだと思う」
その言葉は、完全な肯定ではなかった。
けれど、いろはそれでいいと思った。
「ここ、私も普段来ないエリアです」
ユウナが、鍵のかかった扉を開けながら言った。
扉の向こうには、埃をかぶった機材や、古い案内板が積み重ねられていた。かつて使われていたであろう、退役したアトラクションの部品たち。
「案内先は、この奥みたいです」
ユウナが端末の地図を頼りに、さらに奥へと進んでいく。倉庫の一番奥に、もう一つの扉があった。今は使われていないことを示すように、埃が厚く積もっている。
「開けます」
扉を開けると、そこには小さな部屋があった。かつては何かの控室として使われていたのだろう、古いロッカーと、崩れかけた棚が並んでいる。
棚の一角に、大きな衣装箱が置かれていた。
「これ……」
まひるが、恐る恐る箱に近づいた。埃を払うと、蓋には手書きの文字で「ハロウィンパレード衣装」と書かれていた。
三人は顔を見合わせ、そっと箱を開けた。
中には、古びたパレード用の衣装が丁寧に畳まれて保管されていた。色褪せた布地、金属の飾り。二十年という歳月を経ても、その造りの丁寧さが伝わってくる衣装だった。
いろはは、その一着に手を伸ばした。子ども用のサイズの、白いワンピース型の衣装。裾には、小さな刺繍が施されている。
衣装の首元に、小さな名札が縫い付けられていた。
いろはは、それをそっとめくった。
そこに書かれていたのは――。
「三枝ななみ」
いろはの声が、震えた。
まひるは、名札の文字をじっと見つめていた。
あの放送で聞いた名前。いろはが最初から追っていた名前。
自分が「疲れてるだけ」と片付けようとした名前。
それが、古い衣装の首元に確かに縫い付けられている。
「……本当に、いたんだ」
まひるは、思わずそう呟いた。
いろはがこちらを見る。
まひるは、喉の奥が詰まるような感覚を覚えた。信じる、と言えばいいのかもしれない。ごめん、と言えばいいのかもしれない。
けれど、どちらの言葉も、今はうまく出てこなかった。
「いろは」
「うん」
「私、まだ全部は分からない」
「うん」
「でも、これは見た。今、ここにある」
まひるは、名札から目を逸らさずに言った。
「だから、ここから先は、一緒に確認する」
いろはの表情が、少しだけ緩んだ。
「信じてくれるの?」
「そこまで簡単に言えたら、苦労しない」
まひるは、いつものように軽く返そうとして、うまく笑えなかった。
「でも、いろは一人に背負わせる話じゃないってことは、分かった」
その言葉に、いろはは何度も頷いた。
まひるは名札を見つめたまま、胸の奥で小さく呟いた。
ごめん。
それは、まだ声にはならなかった。
「じゃあ、この子は……ここで働いてた、子役キャストか何かだったんですか?」
ユウナが尋ねたが、いろはにもわからなかった。ただ、この名札の名前が二十年前から呼ばれ続けている迷子の名前と、確かに一致していた。
「真壁さん、これ、いつのイベントの衣装かわかりますか」
「ちょっと待ってください」
ユウナは端末を操作し、旧システムのデータベースにアクセスを試みた。パスワードが古く、なかなか繋がらなかったが、しばらくして画面が変わった。
「見つかりました……たぶん、これです」
画面に表示されたのは、二十年前のハロウィンイベントの記録だった。イベント名、開催期間、参加スタッフの一覧。そして、その中に、子役として一つの名前があった。
「三枝ななみ。八歳。当時のイベントで、パレードの先導役として参加」
ユウナが、淡々とその文字を読み上げた。
「先導役……?」
いろはの脳裏に、ミラーハウスで見た光景が蘇った。あの、無数の仮装客の行列。その先頭に立っていた、黒いワンピースの少女。
あれは、すずだった。だが――もしかしたら、その役割自体が、二十年前からこの名前の少女に与えられていたものだったのかもしれない。
「イベント記録には、他に何か書いてないんですか?」
いろはが尋ねると、ユウナは画面をスクロールした。
「……ここに、追記があります。『イベント最終日、当該キャスト、閉園後に行方不明。翌日、園外にて発見できず。捜索継続中』」
その文字の下に、さらに小さく、後から書き加えられたような一文があった。
「『本件、外部への発表は「保護者の元へ帰宅済み」として処理』」
三人の間に、重い沈黙が落ちた。
「これ……隠蔽ですよね。行方不明になったのに、帰宅したことにしてる」
まひるが、声を絞り出すように言った。
「うん」
いろはは頷いた。頭の中で、これまで見聞きしたすべてが、一本の線でつながっていくのを感じた。
三枝ななみという少女が、二十年前、この園で行方不明になった。だが、園の運営はそれを隠し、外部には「帰宅済み」と発表した。
そして今も、その子の名前が、閉園後の放送で呼ばれ続けている。
「ステラは、なぜこのIDを案内してたんでしょうか」
ユウナが、震える声で呟いた。
「たぶん……」
いろはは、衣装箱の中の白いワンピースを見つめながら言った。
「まだ、帰ってきてないから。だと思います」
三人は、しばらくその場を動けずにいた。倉庫の奥、非常灯の青白い光の中で、古い衣装箱だけが、二十年間、誰にも開けられることなく、そこにあり続けていた。
「これ、上に報告した方がいいですよね」
まひるが、ようやく口を開いた。
「でも……誰に? 支配人に言ったら、どうなるんだろう」
いろはが不安を口にすると、胸の中に初めて明確な疑念が生まれた。
大石支配人は、この件を知っているのだろうか。知っていて、隠しているのだろうか。それとも、本当に何も知らない、ただの後任者に過ぎないのだろうか。
「今は、まだ黙っておきましょう」
ユウナが、慎重な口調で言った。
「証拠も、まだ全部揃ってるわけじゃないです。それに……もし、これを知ってて隠してる人がいるなら、下手に動くと、私たちが危ないかもしれません」
その言葉に、いろはとまひるは頷いた。
三人は、衣装箱を元通りに片付け倉庫の扉を閉めた。だが、いろはの中には、あの白いワンピースの手触りと、名札に書かれた文字が消えずに残っていた。
三枝ななみ。
二十年前、この園で先導役を務め、そして帰れなくなった少女。
その名前が、今も閉園後の放送で呼ばれ続けている理由を、いろははまだ知らない。だが、その答えに近づくたびに、この園そのものが抱える闇の深さをいろははひしひしと感じ始めていた。
倉庫を出る間際、いろははふと、通路の奥に視線を感じた。振り返ると、そこには誰もいなかった。ただ、非常灯の明かりが青白く廊下を照らしているだけだった。
それでも、いろはには誰かに見られているような感覚がいつまでも拭えなかった。
旧衣装箱の件は、三人だけの秘密にしておくことになった。
少なくとも、今はまだ。
☆
だが翌朝、いろはが総合案内カウンターに入ると、そこには大石支配人が立っていた。白髪の混じり始めた髪をきちんと後ろへ流し、濃紺のスーツをきっちりと着こなしていた。細い目元と控えめな笑みは、来園者にもスタッフにも同じように穏やかだった。
千景と向かい合い、声を荒らげることもなく低い声で何かを話している。けれど、いろはの姿を見つけた瞬間、その笑みがほんのわずかに深くなった。
「朝岡さん」
大石は柔らかく声をかけた。
「昨日は大変だったそうですね。近未来エリアの旧バックヤードに入ったとか」
いろはの胸が、どくりと鳴った。
報告は、していない。
まひるにも、ユウナにも、今はまだ黙っておこうと話したばかりだった。
「……どうして、それを」
「ステラの異常ログが上がっていました。旧エリアへのアクセス記録も残っています。安全管理上、確認しないわけにはいきません」
大石の声は穏やかだった。穏やかなのに、逃げ道を塞がれているような声だった。
「旧バックヤードには、古い衣装箱がありました」
いろはは、慎重に言った。
黙っていたい気持ちはあった。けれど、大石がすでにそこまで知っているなら、完全に隠し通すことはできない。
「中を確認しましたか」
「はい」
「そうですか」
大石は頷いた。
「古い備品は、時々、現在の運営に不要な混乱を持ち込むことがあります。特にこの時期は、ハロウィン企画の準備で園全体が慌ただしい。お客様に余計な不安を与えないよう、情報の扱いには気をつけてください」
言葉だけ聞けば、正しい注意だった。
けれど、いろはには引っかかった。
大石は、衣装箱の中に何があったのかを尋ねなかった。
まるで、最初から知っているみたいに。
廊下の向こうでは、開園前の明るい音楽が流れていた。
すぐそばを別のスタッフが挨拶しながら通り過ぎる。
こんなに人のいる場所なのに、いろはには大石と二人きりで閉じ込められているように感じられた。
「三枝ななみさんのこと、支配人はご存じですか」
思い切って尋ねると、千景がわずかに息を呑んだ。
大石は、すぐには答えなかった。
ほんの一瞬だけ、顔から表情が消えた気がした。
「昔のイベントに参加していた子役の名前ですね」
やがて、大石はそう言った。
「記録上は、そう残っています」
「記録上は?」
「朝岡さん」
大石の声は、変わらず穏やかだった。
「園という場所は、たくさんの人の記憶でできています。楽しい記憶も、そうでない記憶もある。けれど、私たちが守るべきなのは、今ここに来てくださるお客様の一日です」
大石は、穏やかに言葉を続けた。
「その件は、私が確認します。旧バックヤードには、今後、許可なく立ち入らないようにしてください」
それは注意だった。けれど、いろはには警告にも聞こえた。




