2・この場所(11)
夜になって、生徒指導の教師が来た。謹慎の間は、教師の誰かが毎晩家庭訪問するという。
「いやあ、時間外労働です。教師なんて因果な商売ですよ」
昨日生徒たちを楽しそうに殴っていた教師は、人好きのする笑顔を浮かべている。両親は小さくなって、頭を下げる。
「霜村君は優等生だ。今度のことは魔がさしたということだろう、と職員室でもみんな言っています。ご両親も、心配することはありませんよ。学校へもどれば、私たちがちゃんと指導していきます。こう申し上げてはなんですが、ご長男のように道を踏み外すことになっては……」
やさしい口調で恫喝する。両親はますます縮こまる。
翌晩家庭訪問に来たのは、あの新任の教師だった。両親は、彼にはゆうべの生徒指導の教師ほどの威厳を感じなかったらしい。人を殴るようなタイプには見えなかったからかもしれない。
教師は涼に、どういう環境で勉強をしているのか、勉強のさまたげになるようなものを置いていないか、部屋を見せてもらってもいいか、と尋ねた。生徒に許可を求める教師は珍しい。
「あ、いいですよ。ご両親に同席していただくには及びません。霜村君だって自分のことくらい説明できるでしょう」
教師は、両親にそう言った。
部屋に入ると、教師はゆっくりと周囲を見まわして、友人がいたらそうするように、涼のベッドに腰をおろした。
「一年生を授業で受け持ったことはない。これまでは、ほとんど接点がなかったね」
涼を見上げる。
「君もすわれよ。僕は、英語担当の折原だ」
微笑む。
「時間もないし、手短に言う。君の兄さんを直接知ってるわけじゃないんだ。でも、ピーターからメールがあったとき、僕が君と話をしてみることになった。たまたま一番近くにいたからね」
だとしたら、あちこちにこういう人間がいるのだろうか。
兄ちゃんは、どういう仲間と一緒にいるんだろう。それは……もしかしたら、あの晩の各地での騒ぎと関係ある……?
「そう決まったとき、霜村洸についても話を聞いた。一昨日みたいな、あんな形で声をかけることになるとは思わなかったが、兄さんの話を聞いておいてよかったよ」
折原は、拳で涼の肩を軽くこづいた。
「生徒たちがあんなことをするとは思わなかった。あんな気力と……なんていうか、熱意、かな。それに、生徒たちは冷静に対応してたね。少なくとも最初のうちは。脅しや怒声に屈していなかった。僕は、生徒たちをちょっと見くびっていた」
折原は、深いため息をついて、組んだ自分の指先を見た。
「二年生や三年生はどうなったんですか」
涼が尋ねる。
「更生キャンプ行きは免れた。育成局に報告したりなんだりは、本音を言えば学校だって面倒なんだよ。警察だったらもっと面倒だ。学校の管理体制だって問われる。どちらにしても、学校の評判が落ちることは避けたいんだ」
ふっと視線をそらした。
「最初にビラを配った二年生は、無期停学だ。事実上の退学処分だな」
「……どうして先生になったんですか」
思い切って涼が聞くと、折原はびっくりしたような顔をして、それから笑った。
「なぜだろうな。まあ、英語は好きだったけど」
そして、少しの間考える。
「好きなことを誰かに伝えるのは、面白いんだ。わかるように伝えようとすると、自分のわからないところがわかってくる。わかるかい? ややこしいな」
ミドリにこの世界のことを伝えようとしたときも、わからないことにぶつかってばかりだった。
ミドリなら、折原先生に何を聞くだろう。
「ほかにも、折原先生みたいな……先生はいるんですか?」
折原は、すっと背筋を伸ばして立ちあがった。
「特に無駄なものはないようだな」
よく通る声で言った。
母親が、湯呑みを載せた盆を持って、そろりとドアを開けた。
「ああ、もう失礼するところです。せっかくですが」
折原は、手刀を切るように手をふると、母親を押し出すように廊下に出た。
「霜村君はここでいい。勉強したまえ。もう少し英語に力を入れるのもいいな」
英語に。
涼は、振り返らずに階段の方へ歩いて行く折原を見送った。
三日目の夜は担任が来た。学生カードを涼に返して「バカなことをしたな」と言った。
「よう」
教室に入ると、ひとりの男子生徒が声をかけてきた。あの日、体育館へ行く涼と碧を見送った、あの生徒だった。
「たった三日だけど、久しぶり。霜村が自宅謹慎なんて、信じられなかった。野見山なら不思議じゃなかったけどな。いいやつだけど、無鉄砲なところがあるから」
彼は、ちょっと居心地悪そうに瞬きした。
「僕、今度級長やることになったんだ。ごめん」
なあんだ。そんなことか。
涼は笑った。
「謝ることじゃないだろ」
「うん。でも……」
彼は、大きく息を吸って涼を見た。
「僕は、霜村と同じクラスでいるかぎり、級長やることはないと思ってた。今度、級長やるって言ったとき、親父がめちゃくちゃ喜んでさ。内申書に良く書いてもらえるって」
視線がゆらぐ。
「僕の家、駅南にあるんだ」
涼は、どうこたえればいいかわからずに、黙ったまま相手を見ていた。
「駅南の、低所得者住宅だよ。両親とも学なんかなくて、でも、親父の会社の社長さんが……小さい会社なんだけど……息子の成績がいいなら進学校に行かせろって、応援してくれて。……お金とかもさ。それに、難癖つけられたら困るだろうって、僕を社長さんの住所に寄留させてくれた」
「寄留?」
「なんとかかんとか理由をつけて、僕の住民票を社長さんちに移してくれたんだ。駅南の低所得者住宅の住所じゃ、内申書の書類で落とされるかもしれないから」
涼は、またしても何を言ったらいいのかわからない。
「だから、僕は鉄格子だって我慢しなくちゃいけないと思ってた。成績を落としちゃ申し訳ないし、素行が悪いなんて許されないんだ。体育館へ行ける霜村や野見山が羨ましかった」
彼は、うつむいた。
「今度親父が級長のことで大喜びして、社長さんにも言っちゃって、社長さんも喜んでくれて。でも、僕は喜んでいいのかどうかわからない。ただ、前にも増して、ちゃんと勉強していい大学に入って稼ぎのいい仕事に就かなきゃって思ってる。社長さんにお金を返して、それからも自分のことに自分で金が出せれば、いやなことをいやだって言えるかもしれない。……でも、金がないと言いたいことも言えないっていうのがいいとも思えない」
彼は、ちょっと横を向いた。
「この前野見山が、駅南のこと弁護してくれたっけね。あのときだって、僕は駅南から来てるんだ、って言わなきゃ、と思ってた。でも言えなかった」
涼は、自分のことを考える。自分が級長になったって、父親は大喜びなどしてくれない。でも、とりあえず自分の家は暮らしには困ってはいないようだ。両親のおかげで……?
僕は、本当にもっといろんなことを知らなきゃならない。考えなきゃならない。そして、わかりたい。
男子生徒の話に何を言ったらいいのかわからないのは相変わらずだった。涼は、拳を作って彼の肩を軽くこづいた。先だっての晩、折原がしたように。
「級長になったのが、おまえでよかった」
男子生徒は涼を見た。涼は笑ってみせて、続けた。
「でも、級長なんて、ただの便利屋だよ」
「うん。そんな気はしてた」
ふたりで笑った。悪くない気分だった。




