2・この場所(6)
「鉄格子はいやだ」
涼は言った。
「それを言葉にして、ビラにして、みんなに知らせようとした二年生はすごいと思う。先生たちはその生徒を殴って、何もなかったことにしようとするかもしれないけど、それでも」
涼は、碧を見た。頬杖をついて見上げるもうひとりの少女の顔が、そこに重なった。
「ただ黙っていたら、先生のすることに手を貸すことになる。僕も、その二年生を……殴るのと同じだと思う」
幻の少女の目をまっすぐに見た。
「でも、なかったことにされずに、異議ありって言う方法が見つからない」
涼は、顔を上げてまわりの生徒たちを見まわした。
「どうしたらいいと思う?」
生徒たちは顔を見合わせる。
「……何やったって無駄だよ」
ひとりが言った。
「無駄だから黙ってる。でも、俺は、物理的にあの二年生を殴ったりはしてない。霜村はもうちょっと冷静だと思ってたけど、言うことがちっとも論理的じゃないな。自分がやってもいないことの責任まで、俺は負うつもりはないし、罪悪感だって感じないね」
女生徒が、おずおずと言う。
「みんなでやれば……。誰かが殴られても、毎日ほかの人が同じことをすれば……先生だって、いくらなんでも生徒全員を退学だの停学だの、処分できないでしょ。……殴られるの、いやだけど」
誰かが笑う。誰かがさえぎる。
「そんなリスク冒せない。痛い目にあって、そのうえ内申書になんて書かれると思う? こんなことで大学を棒にふる気はないぜ」
「二年我慢すればいいんでしょ。学校にいる間だけのことだし」
「つまり、鉄格子に賛成ってことか」
「賛成じゃないよ。いやだけど我慢するって言ってるの。陰でぶつぶつ文句言いながら我慢するって選択肢もあるでしょ」
「それは賛成するのと一緒よ」
「いや、違うな。この場合は一番賢い選択だ」
ひとりの女生徒が、ためらうように言う。
「でも、なんだか失礼よね。教室の窓に鉄格子なんて」
別の生徒がバカにしたように言う。
「教師が生徒になにしたって、『失礼』になるわけないじゃないか」
「それを言うなら、監視カメラだって『失礼』だろ。カメラはよくて、鉄格子はダメだっての? カメラにも反対しろよ、それなら」
「あれは監視カメラじゃなくて、保安カメラって呼ぶらしいぜ。生徒たちのために設置してあるんだって」
「鉄格子もそうなんだろ。生徒の安全のために設置するって」
「待てよ待てよ、カメラのことは置いとこう。一度にひとつずつにしようぜ」
「みんな、自分でこの学校を選んでここに来たんだろ? それなら……」
「信用されてないのかな、わたしたち」
「勉強するのに信用なんて必要ないよ」
「でもさ、そういうのは……」
生徒たちの声が大きくなる。
「鉄格子の中で勉強したい人は何人いるの?」
碧の澄んだ声が響くと、みんなは一瞬口をつぐんだ。
「鉄格子を受け入れる人は何人いるのよ?」
我慢するのが賢い選択だ、と言った生徒が言う。
「そんなふうにきっぱり決められると思ってるのか。頭と心の間で、グレーゾーンにいるやつが一番多いに決まってる。民主的に考えれば、多数の意見が反映されるのが正しいんだろ」
碧は彼を見つめる。
「はじまりが民主的じゃないのに?」
「野見山はそう思ってるってわけだ。でも、大人たちが民主主義に基づいて築いた社会の中の、学校なんだよ、ここは」
男子生徒は、不意に、どん、と手近の机を叩いた。
「暗黙の了解で触れないでいることを野見山みたいなやつがつついてくるのは迷惑なんだ。察するってこと、できないのか。僕らの気持をかき乱す権利なんかないんだぞ!」
ホームルーム五分前のチャイムが鳴る。
「わたし、察したりしない」
碧は言った。
「他人が何を考えてるか理解したかったら、話し合うしかない。言葉はそのためにあるんだもの」
「君はそう思ってりゃいいさ」
男子生徒は肩をすくめて席に戻る。
他の生徒たちも、ぱらぱらと席につきはじめる。教師が来る前に席についていなければならない。両手を机の上に出して、まっすぐ座っていなければならない。
碧が、一度涼を振り返って、自分の席に戻っていく。
どうすれば、希望を、希望だけを見つめて進んでいける? 妖精なんか住む余地もないこの世界で、どうすれば希望が見つけられる?
……でも、ティンカー・ベルがいた。確かにいたんだ。
クラスメイトは、おとなしく自分の席にすわっている。たくさんのことを、陰で文句を言いながら我慢して、賢く暮らしている。
この社会で生きている大人たちも、文句を言いながら我慢して生きているんだろうか。文句の元には、暗黙の了解で触れないようにして。
そういうことをやめにしたいと思った人たちが、この前の晩に行動したのかもしれない。




