1・別の場所(24)
三年の男子生徒が、教室の窓から飛び降りて自死した。思うように成績が上がらず、志望の大学をあきらめなくてはならない、と絶望したからだと言われた。
このような理由で自死する生徒は、これから春にかけて多くなる。どこの学校でも屋上が立入禁止なのは、学校で死なれたくないからだ。自校の生徒に死なれてしまうと、教師たちはコメントする。自殺するのは弱い人間だ。生きていたとしたって、ろくな者にはなるまい。死ぬ気になればなんだってやれるはずだ……。
学校では、死んだ生徒について、特になんの話もなかった。臨時の集会や生徒総会も開かれなかった。その生徒の「死」は生徒本人のこと。学校にその責任があるわけではない。
◆
燃やすものがなくなりそうだ。順番通りなら、今度燃料運びに行くグループの中にあたしも入っている。
人のいなくなった家を壊して薪にするんだけど、そういう作業はなんだか悲しい。
この前行ったとき、一軒の家の押入れで、きれいな箱に入った新品のベビー用品をたくさん見つけてしまった。小さい毛布やよだれかけ、まだ何も書いてない、オルゴール付きの育児日記。
きっと、初めての赤ちゃんのために準備してたんだろう。あれをそろえた人たちがどうなったか、あたしは考えたくない。もうああいうものを見つけたくない。
それでも、ここには生きている人たちがいて、薪はどうしても必要なんだ。暖をとるために。あきらめたら終わりなんだもの。
このごろ、涼の顔が少し変わったと思う。前よりちょっと暗い顔をしてる。……っていうと良くないみたいだけど、暗いっていうより、陰影がある顔になったって感じかな。前は、奥行きのないきょとんとした顔だったけど(あたし、ずいぶんひどいこと書いてる)今の顔の方がいい。
更生キャンプ、国防隊、自殺する生徒……。涼にも、たくさん辛いことがあるらしい。あたしたちは、お互いの世界に手を出して実際どうこうはできないけど、それでもふたりで話すことはできる。互いの話を聞くこともできる。聞き手としては、圧倒的に涼の負担の方が大きいかもしれないけど。
はじめ、あたしは、涼は安全に、健康に生きていける環境にあるんだからいい、っていう気持ちがどこかにあった。それだから、自分の家や学校でのいやなことを、自分でなんとかしないでどうするの、甘えるな! って思ってた。でも、よくよく考えてみると、涼は涼の世界にいるしかなくて、それは涼のせいではなくて、その世界で育ってきた涼の背景があって、それは否応なく涼の一部をつくっちゃってるってことに気がついた。
あたしだって、あたしの世界にいるしかない。
もし、あたしが涼の世界に行けたとしたら……?
もし、暖かい部屋でボウルいっぱいのグリーンサラダを食べさせてくれるって言われたら……サラダだけじゃなくて、ピザと、ラーメンと、ハンバーガーと、ドーナツ、ケーキ……。あたし、それなら涼の世界で更生キャンプに入ってもいいかも。
……ううん、ダメだよね。ダメなのは自分でもわかってる。でもね……。
今日はコンソメスープで煮たおじやが出た。久しぶりに体があたたまった。
◆
それは、ほんの偶然だった。
涼のネームプレートが窓から落ちたのだ。ネームプレートはプラスチック製で、胸ポケットのふちにクリップではさむようになっている。そのクリップのばねが甘くなっていたらしい。
校内ではネームプレートをつけていなくてはならない。さもないと、一部の教師は容赦なく殴る。だから、涼は短い休み時間に急いで探しに行ったのだ。
落ちたところはだいたいわかっている。涼の教室は二階で、真下は事務室だ。その窓の外の、つつじの植え込みに落ちたはずだ。
つつじの横にかがむと、何かが光った。ネームプレートでないことはわかったが、涼は手を伸ばした。しなやかなつつじの枝が跳ね返って腕に当たる。
学生カードだ。
中央に校章の入った、銀色のふちのカード。全校生徒が一枚ずつ持っている。右下の番号は33M15……。
33。
三年三組。この前教室の窓から飛び降りて死んだ生徒は、三年三組だった……。
「霜村君、あった?」
上から碧の声がした。
「もうすぐ、先生来るよ!」
「わかった!」
涼は、学生カードをポケットにつっこんで、つつじの下を探す。焦りはじめたとき、ネームプレートが枝の途中にひっかかっているのを見つけた。
この校舎の二階が一年の教室、三階が二年、そして四階が三年。
涼の、一年三組の二階上に、三年三組はあった。
死んだ生徒は、この教室の真上から、さっきのつつじの横に落ちたのだ。それは下校時間後のことで、朝には全てが片付いていた。何もなかったかのように。
その生徒が身を乗り出して窓枠を超え、その足裏が床から離れたとき、この学生カードはあそこに落ちたのだろうか。生徒たちは、カードをたいてい胸のポケットに入れている。
落ちる少年の体の横を、呑気な蝶のようにきらきらと舞うカードが見えるような気がして、涼は身震いした。
「学生カード?」
ミドリが毛布の中から聞き返す。
仮想現実の街の色がネオンのようにちらちら揺れて、雪と闇を不自然に彩っている。この前よりもさらにひどい。
これは、ミドリには見えていない。それでよかった、と涼は思う。自分がいつも通りの顔をしていればすむ。それとも。
もうあまり時間がないかも、って言った方がいいんだろうか。
ミドリは屈託なく続ける。
「この前も、そのカードのこと言ってなかった? それがないと学校のコンピューターが使えないって」
「うん。コンピューターだけじゃない。図書室で本を借りるにも、学生割引なんかの手続きをするにも、何をするにも必要なんだ」
「涼は、拾ったカードを使ってお兄さんにメールを出すつもり?」
そのことは考えないではなかったが、ミドリにあっさりそう聞かれて、涼はちょっとたじろいだ。
「……連絡をとったとして、それから僕に何ができるんだろう。だいたい、なんのために連絡をとるのかも決まってないんだ。それに、あのカードが使えるかどうか……」
ミドリが微笑む。
「死んじゃった人に申し訳ない?」
「うん……。そういうのもあるけど、生徒が死んだ時点で、カードが受け付けられなくなってるかもしれない。カード本体がなくて、そういう処理ができるのかどうかはわからないけど」
涼は、しばらく考える。洸に会ってから、ずっと疑問に思っていたことがある。
「兄ちゃんは、どうして僕に連絡をとる方法を教えたんだと思う? 兄ちゃんが家にいたころ、僕はただ学校の勉強ができるだけで、兄ちゃんを殴る同じ教師から褒められるような子どもだった。兄ちゃんは、僕が兄ちゃんを裏切って、アドレスを育成局に言いつけるとは思わなかったんだろうか」
ミドリは涼を見つめる。
「お兄さんの考えはわからないけど、もしかしたら、キャンプにいても涼のことを知る手立てはあったのかもよ。涼は信用されてるんだと思うよ。自信持ったら?」
自信を持つ。
「ひとがどうしてほしがってるかなんて、考えなくていいんじゃない? だって、ひとってみんな自分と違うんだよ。涼がいいって思うことと、お兄さんの『いい』は違うかもしれない。涼とお兄さんは別な人なんだから、そういうことだってあるよ、きっと」
ミドリは静かな口調で言った。ミドリの毛布は、ギリシャの賢人のトーガみたいだ、と涼は思った。
「涼はどうしたいの? お兄さんに連絡とりたい? そうしたいなら、してみればいいわ。その次どうするかは、リアクションがあってからまた考えたらいい」
涼は、空を見上げる。闇の中から雪がひっきりなしに舞い落ちて来る。そして、紙吹雪のように明るい街の色の断片が散る。
僕がどうしたいか。
僕は、どうしたい?
「あたし、明日はたきぎ拾いに行くのよ」
ミドリが、話題を切り替えるように言った。
「たきぎ拾い?」
「童話の継子いじめみたいね。雪の中へたきぎを探しに行かなきゃならないなんて。だけど、あたしを助けてくれる十二の月の精はいない」
例によって、碧は涼にはわからないなにかの物語のことを言う。
「ほんとはね、空き家になった家を壊しに行くのよ。建材を燃料にするの。公民館にあるエアコンは電気がなくちゃ役に立たないから、吹き抜けのある一階ホールにブリキの大きな囲いを作って、それを暖炉にしてるわけ。まあ、ほとんど焚き火よ」
ミドリは、笑ってみせる。
「せっかく家を壊しても、中には燃やすと有毒ガスの出る新建材もあるから、手間かけたわりには収穫の少ないこともあるけどね。どっちにしろ、燃やしてるわけだから、CO2は出ちゃってるけど」
またひとつ、ミドリの世界の現実を突きつけられる。ここでは、暖をとるために、家を壊して燃やすのが日常なのだ。
「十五歳以上の者が十人でチームを組むんだけど、たいていの人がどこか調子悪くてね……。それでも、ここは若い男の人が比較的多くてまだましらしい。配給センターの人がそう言ってた」
ミドリは、そのことがとても幸運であるかのように、明るく言った。
「この冬が越せたらね……」
ミドリは、遠くを見るような目をして言う。
「来年の春はましになると思うわ。宇宙ステーションでも、何かの手を考えているはずだし。誰かが言ってた。ステーションの機能を拡大して、地球で生き残っている子どもたちを収容する用意をしてるって」
それはいつになるだろう。宇宙ステーションはどのくらいの広さがあるのだろう。
今地球にいる人全てを収容できるはずはない。子どもだけに限ったってそうだろう。
誰を助け、誰を見殺しにするのか。それを誰が決めるのか。
「そうなんだ」
涼は、それだけ言った。それ以上言えなかった。
わずかな本から得た知識だけでも、この気候がそう簡単に暖かくならないことを知っている。もし雨が止んだとしても、衝突のときの火災で発生した窒素酸化物はオゾン層を破壊して、今度は陽の光が別の脅威になるだろう。
「涼のところも、来年はいい春になるといいね」
ミドリが涼を見つめている。
やつれた顔の中で、瞳が希望のように輝いていた。




