1・別の場所(18)
まだ秋なのに、ミドリの世界ではもう雪が降っている。この街は、本来なら真冬でもほどんど雪が降ることはない。温暖な地域なのだ。「衝突」がなければ降らなかったはずの雪だ。
「涼のお兄さんて、いいじゃない」
ミドリが言う。
「そして、涼のお兄さんみたいな人はほかにもいるってことよね。もっとたくさんの『公平な人』がいるんだ。……そういえば、塾の先生どうなったの?」
「わからない。中学の担当だからもともと僕には山城先生の勤務の状況はわからないし、チャットルームにアクセスしても、そのことに関しては書き込みがないし」
ミドリがちょっと眉を寄せる。
「管理者が書き込みを削除してると思う?」
「もしかしたら」
そして、その管理者もどこかから管理を受けているのかもしれない。
それでも、あの国会前のデモのあとから小さいコラムを載せている新聞があった。
原子力発電所の事故のことには触れていなかったが、「モグラ」と呼ばれるような活動家がなぜ生まれたのか、彼らがこれまで主張してきたのはどんなことかを伝える内容だった。これまで批判の味付けなしに「モグラ」のことを報道する媒体はほぼなかったから、これはかなり大胆な試みだったろう。
「あ、そうだ」
涼が声をあげる。
「今日、兄ちゃんの誕生日だった」
「ほんと。いくつになるの?」
「二十歳。僕より四つ上だから」
「二十歳……」
ミドリは、ため息をつくようにつぶやいた。
あと四年。この世界はどんなふうになっているのだろう。
「兄ちゃんは父さんによく言われてた。おまえのようなやつは、戦時中なら軍隊にやって根性をたたき治させてるところだって」
涼は、ミドリの世界への不安を押しやるようにそう言った。
思いがけず、「捨て石部隊」という言葉が浮かんだ。
僕の世界はどんなふうになっているだろう。
ミドリは首を傾げた。
「軍隊で根性を治すなんてできるのかしらね? 根性ってなんだろ? 根性が、へこたれずに自分の考えを曲げないでいることなら、涼のお兄さんはすごく根性あるよね。軍隊って、根性なんか捨てて、命令にしたがうようにしつけられるところなんじゃない?」
命令にしたがうようにしつけられる。
それは「少年団」のようだった。学校のようだった。
「戦争や軍隊なんて、一九四五年で終わりになってよかった。世界を見ると、まだまだ紛争地域はあったけど、今はきっとそれどころじゃないよね……」
ミドリが言うのにうなずこうとし、涼は、ふっとひっかかった。
「一九四五年?」
「第二次世界大戦が終わった年よ。知ってるでしょ。日本はそれから戦争は……」
「一九四五年って」
涼にしては珍しく、ミドリの言葉をさえぎる。
「それって、昭和二十……」
「昭和だったら二十年よ。そっちで言う方が慣れてる?」
涼は首を振った。昭和二十年。
「……大東亜戦争は昭和二十二年に終わったんだ。だから……一九四七年」
ミドリが背筋を伸ばした。
「大東亜戦争って、第二次世界大戦のこと、でいいのよね。でも、あたしまちがってないよ。一九四五年は、東京が大空襲を受けて、アメリカ軍が沖縄に上陸して、八月に広島と長崎に原爆が落とされて、そして八月十五日に、天皇が、ラジオ放送で日本が負けて戦争は終わったって言ったのよ」
「原爆? 原爆って……」
「原子爆弾よ」
「それって、核兵器じゃないか」
ミドリが涼を見つめる。
「八月六日に広島、九日に長崎。原爆はふたつの街に落とされた」
涼は、ミドリのうしろの錆びたドアを見つめた。
現在、世界の平和は核兵器を使わないようにするために保たれている、と教わってきた。核兵器を持っている国同士が戦争になって、そこで核が使われたら世界は終わってしまう。核兵器は抑止力なのだと。各国が競って原子力開発を進め、技術の向上を目指すのも、この緊張感を持続させるためなのだ。
原子力発電所。
放射能が外に出ないよう安全に管理されている、と言われている。「出ないように」ということは、管理されなければ放射能が外に出る、ということだ。
もし、どこかの原発で事故があったら?
原子力発電所は、副産物として電気を作っている核兵器なんだろうか……?
「ミドリの世界では、日本に核兵器が使われた……?」
「そうよ」
ミドリがうなずく。
「核兵器なんか使われたら、日本は死の国になっちゃうだろ」
「広島も長崎も、ものすごくひどい目にあったわよ。たくさんの人が……実際に戦ってた兵隊じゃない、普通の人たちが大勢亡くなった。子どもも。生き延びた人も被爆して苦しんだ」
ミドリは、ちょっと考えるように間をおいた。
「あたしなんかが、簡単に『大変なことだった』なんて言っちゃいけないような気がするほど、ひどいことだったと思う。……あたしも、広島に行ったことがある。小・中学生対象のピースツアーっていうのがあってね、市の主催なんだけど、夏休みに広島に行くのよ。リョウも」
また間があいた。
「……リョウも行った。小学六年のときよ。各学校から何人か行けるの。ピースツアーに行って、レポート書くの。うちの学校からは、全部で四人行ったんだった」
ミドリは、あらためて涼を見る。
「そうか、原爆落とされなかったんだ、涼の世界」
そして、自分でうなずいた。
「原爆なんか、落とされない方がいいに決まってる。核兵器なんか、ない方がいいに決まってる。よかった。よかったね、涼の世界」
でも、核兵器はあるんだ。
涼はうなずくことができない。
◆
涼の日本には、原爆は落とされなかった。広島にも。長崎にも。どこにも。ひとつも。
第二次世界大戦は、一九四七年の春に終わったと言っていた。具体的にどういう経緯をたどったのか、涼も詳しくは知らないみたいだったけど、ソ連の参戦と、東京と長野県への大空襲がきっかけだと思う、と言っていた。天皇の身の安全とか国体護持が保証されなければ降伏できないって言われていたとか。
ソ連に裏切られたって思うからか、アメリカの方の影響を大きく受けて民主主義の国になってきたらしい。戦後のことは、こっちとあんまり変わらないのかな。それでも、今まで話しただけでもいろいろ違うところがあるんだから、その「民主主義」自体あたしたちと同じものじゃないのかもしれない。
涼の世界では戦争は一年半くらい長く続いた。戦時下の一年半は大変だっただろう。長かったぶん、たくさんの人が亡くなったんじゃないかな。原爆が落とされなかったとしても、たくさんの人が。
やっぱり、戦争なんかだめだ。
小惑星が落ちるのは防げなかったけど、戦争は人間がはじめることだから、そもそもやらなければ防げるはずだと思う。
涼の世界には、小惑星も原爆も落ちていない。
それなら、小惑星だけ落ちて、原爆は落とされなかった世界もあるんだろうか。原爆だけ落とされて、小惑星は落ちなかった世界も? 小惑星と原爆だけじゃなくて、異星人の侵略とか、未知の病気の流行とか、日本沈没とか、もっとたいへんなことになってる世界もあるのかな?
……戦争も何もなくて、天災もなくて、みんながただ楽しく暮らしてる世界も?
そこにも、リョウとミドリはいるかしら。
わからないことがたくさんある。調べたい、教えてほしいことがたくさん。あたしは勉強したい。勉強したくてたまらない。
相変わらずのおかゆ。でも、今日は豪華に乾燥卵とふりかけつき。小さい子には粉ミルク。
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