1・別の場所(17)
公民館の入り口になっているガラス扉の左右には、一枚ずつ看板がかけてあった。
右の看板は「公民館」だが、左の一枚は「少年団」となっている。
少年団は全国組織で、各自治体に支部があり、街頭募金や公園の清掃、スポーツ大会など、たくさんの健全な活動をしている。内部の規律はかなり厳しく、年齢や経験による序列がきっちりしているらしい。自分より上の者の意に沿わないと、ここでも殴られる。
統制のとれた集団行動ができるよう細かい規則がたくさんあり、違反者は処罰され、違反が多いと退団させられる。そろいの制服を着て行進するとききれいに見えるよう、体重も管理されると聞いた。
「あそこにいると根性できるよ。体も心も鍛えられるしな」
少年団員だった中学の同級生は、誇らしげにそう言っていた。
「ここ?」
碧が、玄関をのぞきこみながら言う。
「裏口しか見たことがないんだ」
「そんなら、裏にまわってみようか」
碧は、くるっと自転車の向きを変える。
建物の裏側とブロック塀にはさまれて、狭い路地があった。
ここだ。
殺風景なコンクリートの風景。ミドリの世界に入るときは、この路地の入り口にあのドアがあるのだろうか。
薄曇りの午後のひざしの中で、白じろと無機質なコンクリートの段、そして、古いスチールのドアがある。ミドリがいつもうずくまっている場所だ。
不意打ちのように目がかすんで、涼はちょっとよろめいて壁にぶつかった。
「霜村君?」
驚いた表情の碧の上に、雪が降っている。まわりの建物は、白いひざしと白い雪をかぶっている。
階段の上のドアは、いつのまにかぬれて錆が浮いている。殴りつけたらこわれそうだ。あの中にミドリがいる? あのドアを開けたら、ミドリは陽の射す表に出て来るだろうか。こんな曇り空のあわいひざしでも、その光をミドリにまとわせてやれるだろうか。
「霜村君、どうしたの?」
涼がドアに向かって歩き出したのを見て、碧が声を大きくした。がちゃん、と自転車が倒れる音がして、碧に腕をつかまれた。たしかなその手を感じて、涼は我に返った。
「ごめん。……目が……あっちの世界がここに見える……」
言いかけたとき、裏口のドアが中から開いた。
「おい、こんなところで何をしている」
出てきた男は、モスグリーンの少年団の制服を着ている。指導者のひとりなのだろう。大人になってしまえば体型の規定はゆるやかになるのか、腹のあたりがでっぷりとしていた。
「おまえたち、さっき玄関からのぞいていたな。何か用があるならはっきり言えよ」
涼は口がきけない。開いたドアから、男の背後の闇が見える。公民館のピンクのリノリウムの床とまぶしい蛍光灯のあかりの底に、向こうの世界の闇が見える。
毛布をかぶった人影がちらりと廊下のはしを横切って、涼は声をあげそうになった。
「ええ? こんな人目につかないところに入り込んで、何たくらんでる? 逢いびきでもしようってのか? 不純な行為をしてるって通報してやろうか」
碧の愛想のいい声が聞こえた。
「なんでもないんです。学校の帰りで。帰り道なんです」
碧の声が、明るく響いている。何がどうなったのかよく把握できないまま、涼は碧に路地から引っ張り出された。
公民館から少し離れて、やっと碧は涼の腕をはなす。
「ねえ、さっきから変よ。何かあった? あそこ、やっぱりそうだった? 気分でも悪い? 大丈夫?」
涼はうなずく。まわりの雪はうすれ、あたりの景色はカメラが自動で焦点を調整するように、少しずつピントが合っていく。
「大丈夫ならよかった。わたし、片手で自転車起こして、そのまま引っ張ってきたのよ。もう片方の手は、霜村君を引っ張らなきゃならなかったから」
「ごめん」
「だから、大丈夫ならいいけど」
「……ときどき、あっちの世界がこっちに重なって見えるんだ。幻みたいに。あのドアの中に……あっちのドアの中に、向こうの誰かがいるのが見えて……でも、もう見えなくなった。こっちの世界だけになった」
碧は涼を見つめた。
「それじゃ、あそこにいるとき、ここと同時に向こうが見えてたってこと? それであんなにぼうっとしてたの?」
「そんなにぼうっとしてたんだっけ」
「そうよ」
碧が軽く答えたので、涼はなんだかほっとした。
「何か言われた? あの、出てきた人。少年団の人だっけ」
碧は笑顔になる。
「わたしの制服見て、どこの高校かわかったらしい。ぶつぶつ言ってたけど、あんまり追求されなかったよ。進学校に通ってて、得することのひとつかもね」
男子の制服はどの高校もたいてい黒の詰襟だが、女子の制服は学校ごとに違う。ほとんどがセーラー服だが、涼と碧が通っている高校は前身が旧制中学だったからか、しばらくは男子校で、共学になったあと女子の制服が定められた。前にボタンの並んだ丸襟の黒い上着とプリーツスカート。上着の中には、学校指定の白いブラウスを着る。
洸は、涼とは違う高校へ行った。成績はともかく素行の面でいい評価がされなくて、高校の選択肢はあまりなかった。父親は、あざけるような響きをこめて「あの学校」としか呼ばなかった。父親がそうだったから、母親もちゃんとした校名を口にすることはなかった。
涼が今の高校に受かったとき、父親は涼をひと言もほめはしなかった。それなのに、会社ではずいぶんと自慢したらしい。自分の息子は優秀なのだ、と言わんばかりに。洸がなにかの間違いであったかのように。




