1・別の場所(13)
野見山碧は姿勢がいい。いつもまっすぐ前を見ている。よく笑う。はっきりと、大きな声で話す。
教室を斜めに横切る対角線の端で、涼はなんだかまぶしい思いで碧を見ている。
僕は、もうひとつの世界の君を知ってるよ。
涼は、碧に隠し事をしているような、妙な気分になる。
そして、あの雨の世界のもうひとりのミドリも、いつもまっすぐ前を見ていることを思い出す。
◆
涼とリョウは似ている。
姿形はもちろんだけど、中身が似ていると思う。
同い年なのにこんな言い方したら変だけど、どっちもいい子だ。……リョウは、「いい子だった」になってしまった。
あたしは、まだ涼の世界の碧のことを聞いてない。あっちの碧とあたしも似ているんだろうか。涼は、あたしたちをいい子だと思うかしら。
まあ、涼にどう思われても仕方ない。あたしはあたしで、他の誰にもなれないし。
涼から聞いた限りでは、涼の住む世界はかなり厳しいところがあるようだ。涼の言っていた体罰にしても、「モグラ」のことにしても、なんだかはみ出しちゃいけないって言われているみたい。言うこと聞きなさい、みたいな。
あたしたちの世界がいいところだ(こんなふうになる前は)とまで言い切る自信はないけど、あたしみたいな言いたいことを言うおしゃべりで、しょっちゅう親や先生にたてついていても、更生キャンプだっけ、そんなところに送られる心配はなかった。
リョウに似ている涼や、あたしに似ているかもしれない碧は、自分たちの世界をどう思っているかしら。生まれたときからずっとそういうところなら、それが当たり前ってことになるのかしら。
涼の言っていた原発事故って。本当にあったのかな。もし本当なら、大変なんじゃないかと思う。何年か前の大きな地震のとき、海の近くにあった原発が津波で壊れて放射能が漏れて、付近の人たちは避難しなくちゃいけないことになった。今だってそこには戻れない。原発事故って、そのくらいすごいことなんじゃないかな。
あのあと、原発をやめてほかの手段に切り替える方針で進んでいたはずだけど、「衝突」までに全部やめてしまう時間なんかなかったはず。「衝突」のときに稼働してたのは、北海道にあった一基と、鹿児島と……ほかにもあったかな?
世界のあちこちにあったはずの原発はどうなっているだろう。なんだか心配になってきた。冷たい雨、みぞれ、雪。このうえ放射能まで降ってくるって、もう、冗談じゃないわよ。
今日はカンパンだった。お湯にひたして、どろどろにして食べる。水だけはどこにでもたっぷりある。(あ、でも、放射能入り?)小さい子どもには粉ミルクの特配。
◆
「ねえ、碧ってどんな子?」
ミドリが、頬杖をついて涼を見る。
「一緒にクラス委員をやってたって言ってたわよね。あたしに似てる? あたしは気が強くておてんばだって言われてた。自分じゃそんなつもりはなかったんだけど。一人っ子だから甘やかされたんだろうって。でも、きょうだいがいるとかいないとか、何番目だとか、そういうのって、性格と関係あると思う? ないわよね?」
涼は、なんだかどぎまぎする。
「野見山のこと、そんなに知らないんだ」
「どうして? 同級生で、一緒に委員をやって、当然話をすることだってあるでしょ? そっちの碧って嫌なやつなの? あ、涼、嫌いなの? 正直に言っていいわよ。あたしのことじゃないもの」
「嫌なやつじゃないよ」
あわてて答える。
嫌いじゃないよ。
「野見山はね、なんか……」
涼は考える。碧を表すのにいい言葉がないか探す。
碧ののびのびとしたふるまい。豊かな表情。教師にも、自分の聞きたいことを聞いた碧。
「……なんか、まっすぐな子なんだ」
「ふうん」
ミドリは、しばらく涼の向こうのどこかを見ていた。
「それって、なんだかいい感じに聞こえる」
そう言って、涼を見て微笑んだ。涼の頰が熱くなった。
野見山碧が教室に入ってくる。ほかの女生徒何人かと一緒だ。
野見山も一人っ子なのかな? あのミドリと同じように。
野見山碧が気弱なタイプじゃないのはわかっている。でも、だからといって気が強いのか、おてんばかどうかはわからない。
涼は、次の授業で使うプリントを教卓の上にそろえて載せる。教師に呼ばれて職員室へ取りに行って来たところだ。
碧は窓側の席に座って、机の上で頬杖をついて、となりにいる女生徒の顔を見上げた。
ミドリの顔が重なった。
冷たいコンクリートの段に座って、頬杖をついて涼を見上げるときのミドリ。
人類が滅びるかもしれない状況で、ミドリがあんなに明るく見えるのが不思議だった。ささいなことに好奇心を燃やして、目を輝かせるのが不思議だった。ミドリはすごい、と思った。
そして、そういうミドリの姿は、涼にはいつも少しばかり辛かった。
「霜村君?」
呼びかけられているのに気づいて、涼は我に返る。碧がこっちを見ていた。
僕、ずっと野見山を見つめていたんだ。
「もしかして、何か用があるのかと思って」
碧が言う。腹を立てているのか、おもしろがっているのか、その両方かもしれない。
「いや、そうじゃなくて」
涼は口ごもる。
「ちょっとほかのことを考えてただけなんだ。……ごめん」
碧を見つめながら、ミドリのことを考えていた。
「そうなの」
碧は女生徒との話に戻る。なんだか嘘をついてしまったような気がして、涼は急いでプリントを並べ終えた。顔を上げると、今度は涼の方を見ている碧と目が合った。女生徒は自分の席に戻ったらしい。
「野見山」
呼びかけてしまった。
僕はものを言う前によく考える人だ、とミドリは言った。でも、今、僕は何も考えちゃいなかった。
「なに?」
碧は、さらっと言った。涼の方は、次の言葉につまった。
「えーと」
ためらうほど、状況は悪くなっていく。
「ちょっと聞いていいかな、あの……」
碧が涼を見ている。
どうして話しかけてしまったんだろう。目が合おうが合うまいが、プリントを置いたらさっさと自分の席に戻ればよかったんだ。僕が親しくなったのは「ミドリ」で、野見山じゃないんだ。
「……野見山って、あの」
ああ、もうしょうがない。
「あの、一人っ子?」
「一人っ子?」
碧の目がまん丸になった。その表情は、たちまち崩れて笑い顔になる。
「何事かと思っちゃった」
笑いながら言う。涼はなんだか居心地が悪くなって、うつむいて足を踏み変えた。
「ごめん、笑っちゃって」
碧は、ちょっと申し訳なさそうに言った。
「そう、あたしは一人っ子よ。でもなぜ?」
「うん……。こっちこそごめん。変なこと聞いて。もういいんだ」
涼は、不器用に言った。
「よかないわよ」
碧が首を振る。髪がぱっと広がった。
「今まで必要最低限の会話しかしたことない霜村君が、どうして急にあたしのことなんか知りたくなったの?」
涼は口ごもる。
「気を悪くしてるんじゃないのよ。単純に、どうしてかなって思ってるだけ」
きらきらする目が見上げている。好奇心に輝く目だ。涼が、もうよく知っている目だ。
「あたしにきょうだいのことを聞きなさい、なんて、天のお告げみたいに誰かに言われた? だって、わけもなく……あ、きょうだいっていえば、そうだ……」
碧は、ごく自然に言葉を続けた。
「霜村君、お兄さんいるんじゃない?」
涼はびくっとする。他人から洸のことを持ち出されると、いつもどこかがびくっとする。両親のように洸のことを恥ずかしく思っているわけではないのに、どうしてこんなふうに反応してしまうのかわからない。
でも、ミドリには自分から兄ちゃんのことを言ったんだった……。
涼は、ちょっと大きく息を吸った。
「うん。ひとりいる。……それより、ほんとにごめん。うまく説明できないんだ。ごめん」
「気を悪くしてるんじゃないって言ったでしょ。でも、うまくなくていいから、説明してほしいわ。ひとのプライバシーを聞くときは、そのくらい覚悟しなくちゃ」
言い方ははっきりしているけれど、確かに気を悪くしているのではないらしい。
「あ、先生が来る!」
窓の外に目を向けて、碧が声をあげた。となりの校舎から渡り廊下を渡ってくる教師の姿が見えたらしい。教師が来る前に、全員着席していなければならない。さもなければ、ぶたれても文句は言えない。
それとも、言えるだろうか?
「あしたでいいわ。あした、説明して。ね、早く席に戻ったほうがいいよ」
涼は、なんだか「碧」という風に翻弄されたような気がする。
「あしたね」
碧は、明るい笑顔を見せた。




