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春の翼  作者: Mariko
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13/41

1・別の場所(12)

 塾のネットワークサービスを利用していると、チャットルームに入ることができる。

 ネットで授業を受けている生徒たちには交流の機会がなく、コミュニケーションも大切な教育の一環だから、と塾は説明している。


 チャットルームでは、生徒は本名を名乗る必要はなく、それだけ本音に近い発言も出るらしい。それが塾の目論見で、塾にふさわしくない生徒をあぶり出すためだ、という説もある。本名を出さなくても、塾の担当者には書き込んでいるのが誰かわかるはずだからだ。

 涼は、のぞいてみることはあるが、自分で書き込んだことはない。


〈みんな、もう知ってると思うけど「モグラ」のこと。「モグラ」、つまり、中学の数学やってた山城のことです。昨日国会前でデモやって捕まった。当然、塾はクビだよね。「モグラ」がどうやって塾の講師になんかなれたんだろ。ひでー詐欺師だ〉

〈それは塾にも責任があるよ。ちゃんと調べないで採用したんだもの。これからネットワークサービスがもっと普及したら、うさんくさい講師はどんどんカットできるんじゃないかなあ〉

〈でも、山城先生の授業はわかりやすかった。おもしろい先生だったと思います。いい授業をしてくれるなら、モグラでもタヌキでもよくない?〉

〈「モグラ」の味方ととられるような発言は、君のためにならないよ。ここ、見られてるのわかってるよね? そうだね。タヌキなら僕だってかまわないけど、モグラはお断りだね〉


 涼は息が苦しくなる。どうして山城先生はあそこへ行ったんだろう。

 ああいう行動をとる人たちと、何もしない人たちとは、何が違っているんだろう。


〈そもそも、原発事故ってなに? 原発はクリーンで、安全なんだよね?〉

〈原子力発電所の事故って、どういうことなんだろうね。「モグラ」は、どこかの原発が事故を起こしたって言ってるらしいけど〉

〈だいたい原発ってどこにあるんだっけ〉

〈あちこちにあるはずだよ。全国の電気をまかなってるんだから〉

〈「モグラ」は、不安をあおろうとしてるだけじゃないかな〉

〈なんのために? 人を不安にさせてなんのいいことがあるのさ〉

〈何にでも不満を言うだけのやつらが何考えてるかなんて、わかるもんか。とにかく、事故があったっていうなら証拠を見せてほしいよ。説得力がないよ〉


 画面に文字が積み重なっていく。

 涼は、何も書き込めないままチャットルームを抜けた。



 冷たいみぞれの降る路地で、ミドリは涼を待っている。ここでは虚像でしかなく、寒さを感じることも、ぬれることもない涼は、うしろめたい気持になる。


 ミドリはコートの上に毛布を巻きつけて座っている。ひざを抱えて頬杖をつく姿は、涼にはおなじみになってしまった。


「僕の塾の先生だった人だけどね……」

 珍しく涼の方から話しはじめたので、ミドリは目を輝かせて身を乗り出す。

「うん、なあに?」


 涼は、山城先生のことをミドリに話す。今でもいい先生だと思っていること。なのに、チャットルームにそう思う自分の気持を書き込めなかったこと。あとから見たら、あのログが全て削除されていたこと。


 ミドリは眉間にしわを寄せた。

「デモしたら捕まるの?」

 涼はなんとも言えない。

「原発事故があって、それを……国……政府……? が隠してるって、モグラの人たちは言ってるの?」

「……たぶん」

「大きな事故なら、隠してなんかおけないでしょ」

「と思うけど」

「パソコン使ってるんなら、ネットで調べられない?」

「ネットは塾だけだよ。僕のは塾からレンタルしてる端末なんだ」

 ミドリが、ちょっと瞬きする。

「それじゃ、インターネットとかメールとかは?」

「コンピューターの使い方は、学校の情報の授業でやるけど。一般の家庭でパソコンがある家って、まずないよ」

「モバイルは? 携帯電話……っていうか、今じゃ……あの、前まではほとんどスマホだった。スマホでネットにつながるでしょ」


 スマホ?


「携帯電話って、すごく高価だろ。使用料だってバカにならないし、特別な人しか使ってないと思う。それに、うかつにインターネットにつなぐと、個人情報が世界中に筒抜けになるっていうから」

 ミドリは、首をかしげた。

「……そう、なのかな? セキュリティがちゃんとしてても? ……あたしもわからないけど」


 そして、ため息をついた。

「あたし、高校に入ったらスマホ買ってもらうことになってたんだ」

「高校生で?」

「中学でも持ってる子はいたけどね。小学生だっているわよ。両親とも夜まで仕事してるとか、習い事をしてて親の送り迎えの連絡が必要な子とか。あたしは特にそういうのがなかったから、高校に入ってからでいいだろうって親が言ってたのよね。うちにはパソコンはあったから、何か調べたいときはそれを使ってたけど」

「……ふうん」

「そしたら、原発事故があったかどうかはわからないの? 放射能とか、漏れてたら大変だよね。あったかどうかはともかく『事故があった』って言ってる人たちはいるってことよね」

「うん」

「その人たちは、本当のことを言ってほしいんだよね。それなら、事故がなかったんなら、国は『ないです』って言えばいいのよね?」

「……うん」

「どうして国は、『ないです』って言わないで、デモした人たちを逮捕するんだろう」


 涼には答えられない質問を投げかけたミドリは、頬杖をついたまま考え込むように唇をかんだ。

「涼のほうと、違うところ、いっぱいあるね」

「うん。登場人物は同じみたいなんだけど」

 涼がそう言うと、ミドリはちらりと笑った。

「涼って、時々まじめにおもしろいこと言うのね。でも、そうね。筋書きと演出がちょっと違うお芝居みたい。もっといい脚本だったらよかったのにな。そしてみんな幸せに暮らしました、って終わるような」

「そうだね」

「お互いにね」


 涼は、一瞬虚をつかれた。


 僕の世界に小惑星が落ちたわけじゃない。否応なく冬に閉じ込められて、不自由な生活をしなきゃならないのは僕たちじゃない。ミドリが「もっといい脚本」を望むのは、よくわかる。

 でも、僕がそれを望むとしたら……何か間違ってるような気がする……。


 僕たちの世界で「もっといい脚本」を書かなきゃならないのは……。


「涼って」

 しばらく涼を見ていたミドリが言う。

「言葉を口から出す前に、よくよく考える人なのね。あたし、少し見習わなくちゃならないかもね。あたしは、しゃべっちゃってから考えるほうだから。あ、言わなきゃよかった、ってこともよくあるし」

「僕は、しゃべるのが苦手なだけだよ」

 涼は、ちょっとあわてて答える。

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