1・別の場所(12)
塾のネットワークサービスを利用していると、チャットルームに入ることができる。
ネットで授業を受けている生徒たちには交流の機会がなく、コミュニケーションも大切な教育の一環だから、と塾は説明している。
チャットルームでは、生徒は本名を名乗る必要はなく、それだけ本音に近い発言も出るらしい。それが塾の目論見で、塾にふさわしくない生徒をあぶり出すためだ、という説もある。本名を出さなくても、塾の担当者には書き込んでいるのが誰かわかるはずだからだ。
涼は、のぞいてみることはあるが、自分で書き込んだことはない。
〈みんな、もう知ってると思うけど「モグラ」のこと。「モグラ」、つまり、中学の数学やってた山城のことです。昨日国会前でデモやって捕まった。当然、塾はクビだよね。「モグラ」がどうやって塾の講師になんかなれたんだろ。ひでー詐欺師だ〉
〈それは塾にも責任があるよ。ちゃんと調べないで採用したんだもの。これからネットワークサービスがもっと普及したら、うさんくさい講師はどんどんカットできるんじゃないかなあ〉
〈でも、山城先生の授業はわかりやすかった。おもしろい先生だったと思います。いい授業をしてくれるなら、モグラでもタヌキでもよくない?〉
〈「モグラ」の味方ととられるような発言は、君のためにならないよ。ここ、見られてるのわかってるよね? そうだね。タヌキなら僕だってかまわないけど、モグラはお断りだね〉
涼は息が苦しくなる。どうして山城先生はあそこへ行ったんだろう。
ああいう行動をとる人たちと、何もしない人たちとは、何が違っているんだろう。
〈そもそも、原発事故ってなに? 原発はクリーンで、安全なんだよね?〉
〈原子力発電所の事故って、どういうことなんだろうね。「モグラ」は、どこかの原発が事故を起こしたって言ってるらしいけど〉
〈だいたい原発ってどこにあるんだっけ〉
〈あちこちにあるはずだよ。全国の電気をまかなってるんだから〉
〈「モグラ」は、不安をあおろうとしてるだけじゃないかな〉
〈なんのために? 人を不安にさせてなんのいいことがあるのさ〉
〈何にでも不満を言うだけのやつらが何考えてるかなんて、わかるもんか。とにかく、事故があったっていうなら証拠を見せてほしいよ。説得力がないよ〉
画面に文字が積み重なっていく。
涼は、何も書き込めないままチャットルームを抜けた。
冷たいみぞれの降る路地で、ミドリは涼を待っている。ここでは虚像でしかなく、寒さを感じることも、ぬれることもない涼は、うしろめたい気持になる。
ミドリはコートの上に毛布を巻きつけて座っている。ひざを抱えて頬杖をつく姿は、涼にはおなじみになってしまった。
「僕の塾の先生だった人だけどね……」
珍しく涼の方から話しはじめたので、ミドリは目を輝かせて身を乗り出す。
「うん、なあに?」
涼は、山城先生のことをミドリに話す。今でもいい先生だと思っていること。なのに、チャットルームにそう思う自分の気持を書き込めなかったこと。あとから見たら、あのログが全て削除されていたこと。
ミドリは眉間にしわを寄せた。
「デモしたら捕まるの?」
涼はなんとも言えない。
「原発事故があって、それを……国……政府……? が隠してるって、モグラの人たちは言ってるの?」
「……たぶん」
「大きな事故なら、隠してなんかおけないでしょ」
「と思うけど」
「パソコン使ってるんなら、ネットで調べられない?」
「ネットは塾だけだよ。僕のは塾からレンタルしてる端末なんだ」
ミドリが、ちょっと瞬きする。
「それじゃ、インターネットとかメールとかは?」
「コンピューターの使い方は、学校の情報の授業でやるけど。一般の家庭でパソコンがある家って、まずないよ」
「モバイルは? 携帯電話……っていうか、今じゃ……あの、前まではほとんどスマホだった。スマホでネットにつながるでしょ」
スマホ?
「携帯電話って、すごく高価だろ。使用料だってバカにならないし、特別な人しか使ってないと思う。それに、うかつにインターネットにつなぐと、個人情報が世界中に筒抜けになるっていうから」
ミドリは、首をかしげた。
「……そう、なのかな? セキュリティがちゃんとしてても? ……あたしもわからないけど」
そして、ため息をついた。
「あたし、高校に入ったらスマホ買ってもらうことになってたんだ」
「高校生で?」
「中学でも持ってる子はいたけどね。小学生だっているわよ。両親とも夜まで仕事してるとか、習い事をしてて親の送り迎えの連絡が必要な子とか。あたしは特にそういうのがなかったから、高校に入ってからでいいだろうって親が言ってたのよね。うちにはパソコンはあったから、何か調べたいときはそれを使ってたけど」
「……ふうん」
「そしたら、原発事故があったかどうかはわからないの? 放射能とか、漏れてたら大変だよね。あったかどうかはともかく『事故があった』って言ってる人たちはいるってことよね」
「うん」
「その人たちは、本当のことを言ってほしいんだよね。それなら、事故がなかったんなら、国は『ないです』って言えばいいのよね?」
「……うん」
「どうして国は、『ないです』って言わないで、デモした人たちを逮捕するんだろう」
涼には答えられない質問を投げかけたミドリは、頬杖をついたまま考え込むように唇をかんだ。
「涼のほうと、違うところ、いっぱいあるね」
「うん。登場人物は同じみたいなんだけど」
涼がそう言うと、ミドリはちらりと笑った。
「涼って、時々まじめにおもしろいこと言うのね。でも、そうね。筋書きと演出がちょっと違うお芝居みたい。もっといい脚本だったらよかったのにな。そしてみんな幸せに暮らしました、って終わるような」
「そうだね」
「お互いにね」
涼は、一瞬虚をつかれた。
僕の世界に小惑星が落ちたわけじゃない。否応なく冬に閉じ込められて、不自由な生活をしなきゃならないのは僕たちじゃない。ミドリが「もっといい脚本」を望むのは、よくわかる。
でも、僕がそれを望むとしたら……何か間違ってるような気がする……。
僕たちの世界で「もっといい脚本」を書かなきゃならないのは……。
「涼って」
しばらく涼を見ていたミドリが言う。
「言葉を口から出す前に、よくよく考える人なのね。あたし、少し見習わなくちゃならないかもね。あたしは、しゃべっちゃってから考えるほうだから。あ、言わなきゃよかった、ってこともよくあるし」
「僕は、しゃべるのが苦手なだけだよ」
涼は、ちょっとあわてて答える。




