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コールドノヴァ~void〜  作者: 鯖虎
序章 新たなる世界
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第二十六話 新たな真実


紅ノ王



菱本 朱音



倭ノ国最大となる産業都市、

”幸風“を運営している名家菱本家の現当主。

巧みな話術と卓越した槍術が有名で

名家らしい気品ある女性。

数多の星喰人を屠り、

返り血を浴びた姿が紅色になったことから紅ノ王と呼ばれるようになる。

夕暮れ時。


 赤く染まった太陽が、ゆっくりと地平線へ沈もうとしていた。


 第四地区――幸風。


 昼の賑わいを残していた商業街も、少しずつ夜の気配を帯び始めている。


 三人は飯処つばめを後にし、石畳の道を歩いていた。


 先頭を歩く杉田冬馬。

 その後ろを、喜一と宗次郎が続く。


 だが。

 不思議なほど会話は無かった。

 つい先程まで笑っていたはずなのに。


 杉田も。

 宗次郎も。

 誰も口を開こうとしない。


 沈黙だけが続いていた。


 夕陽が長い影を伸ばす。

 街並みは少しずつ変化していく。


 商店街を抜け。

 住宅地を越え。

 やがて、その姿が見え始めた。


 鳴上城。


「……でかいな」


 喜一は思わず呟いた。


 視界の先。


 夕陽を背負うように、巨大な城郭がそびえ立っている。

 所々へ塗られた紅色の塗膜。

 夕陽を受けて、まるで城そのものが燃えているように見えた。


 高い。


 とにかく高い。

 現代で言うならば、十階建ての高層建築にも匹敵する規模。


 さらに、その周囲を囲む外壁も異常だった。

 厚く。

 高く。

 まるで巨大な砦そのもの。

 第四地区の中心を守護する絶対の防衛拠点。


 それが鳴上城だった。


 喜一は城を見上げる。

 宗次郎も黙ったまま前を向いている。

 だが、その横顔にはどこか強張った色が見えた。


 喜一自身も同じだった。

 胸の奥がざわつく。

 理由は分からない。


 だが、何かがおかしい。

 誰かに見られているような感覚。

 背後から向けられる視線。


 振り返ってはいけない。

 宗次郎がそう言った声が、未だに頭から離れない。


 気づけば、三人は巨大な正門の前へ辿り着いていた。

 紅色の大門。

 鋼鉄で補強された分厚い扉。

 門番達が槍を持って立っている。


 杉田が前へ出た。


「僕だ!」


 よく通る声だった。


「杉田冬馬だ! 門を開けてくれ!」


 直後。


 重々しい音が響いた。


 ――ゴゴゴゴゴ……。


 巨大な門が動く。

 鉄と木が擦れ合う音。

 やがて紅色の大門が、ゆっくりと左右へ開いていった。

 その光景は圧巻だった。


 杉田が振り返る。

 いつもの笑顔。


「さあ」


 軽く手を広げる。


「城の中だ」


 そして続けた。


「玉座まで案内しよう」


 喜一と宗次郎は無言で頷く。

 再び、杉田の後を歩き始めた。


 城内は活気に満ちていた。

 武士達が鍛錬を行っている。


 槍を振る者。

 木刀を打ち合う者。

 警備に当たる者。

 休憩しながら談笑する者。


 そこには確かな日常があった。

 だが、城の内部へ進むにつれ、空気が変わる。


 冥合城とは違う。

 重厚さの中に華やかさがあった。

 鮮やかな紅色。

 美しく磨かれた柱。

 丁寧に整えられた装飾。


 戦うためだけではない。

 誇りを示すための城。

 そんな印象を受ける。


 長い廊下を進む。

 そして、ついに玉座の間へ続く大扉の前へ辿り着いた。


 杉田が立ち止まる。


 深く息を吸う。

 そして、大きな声を響かせた。


「菱本様!」


 城内へ声が響く。


「お二人をお連れしました!」


 一拍置き。


「失礼します!」


 杉田が扉を押し開いた。


 ゆっくりと。

 静かに。

 玉座の間が姿を現す。


 そこは広かった。


 高い天井。

 紅を基調とした内装。

 左右へ並ぶ燭台。


 そして、その最奥。


 玉座へ腰掛ける一人の女性がいた。


 美しい着物姿。

 長く艶やかな黒髪。

 凛とした眼差し。


 静かに座っているだけなのに、不思議な威厳がある。

 その手前には、二人の護衛らしき人物が控えていた。


 杉田が一歩前へ出る。


「喜一」


 そして、玉座の女性へ手を向けた。


「この方が――」


 一瞬、空気が引き締まる。


「第四地区を治める城主」


「菱本朱音様だ」


 宗次郎が即座に膝をつく。


 深く頭を下げる。

 喜一も慌ててそれに倣った。


 静寂。


 しばらくして、柔らかな声が響く。


「宗次郎」


 懐かしむような声だった。


「久しぶりね」


 朱音は微笑む。


「話はある程度聞いていたよ。これから安須森様の所まで行くらしいわね。何より元気そうで良かったわ」


 宗次郎は頭を下げたまま答えた。


「はい。その通りでございます。菱本様も、お元気そうで何よりです」


 普段の宗次郎からは想像も出来ないほど丁寧だった。

 朱音は小さく笑う。

 そして、ゆっくりと視線を移した。


 その瞳が、真っ直ぐ喜一を捉える。

 まるで、その人物の本質を見抜くように。

 静かに。

 だが確かな重みを持って。


 紅ノ王――菱本朱音は口を開いた。


「――貴方が」


 一瞬の沈黙。


「日陰喜一ね」


 玉座の間の空気が、さらに静かに張り詰めた。

 息苦しいほどの静寂だった。

 朱音は終始、穏やかな表情を崩さない。


 柔らかな声音。

 優しい眼差し。


 だが、喜一にはその姿が巨大な猛獣にしか見えなかった。


 逃げ場がない。

 隠し事も許されない。

 心の奥底まで見透かされているような圧迫感。


「喜一、貴方の経緯を教えてもらえないかしら」


 朱音は微笑んだ。


「どうしたの?随分緊張しているみたいだけれど」


「……い、いえ」


 喜一は脂汗を滲ませながら答える。


「何でもありません」


 喉が渇く。

 胸が苦しい。

 だが、ここで怯む訳にはいかなかった。

 喜一はゆっくりと口を開いた。


「俺は元々、天体観測を専門にしていた研究者でした」


 宗次郎が僅かに目を細める。

 朱音は何も言わず、続きを待っていた。


「星や惑星の動き。超新星爆発。ブラックホール。中性子星。そういった宇宙現象を観測していたんです」


 夜空を見上げることが仕事だった。


 観測所。

 巨大な望遠鏡。

 静かな研究室。


 それが、かつての日常だった。


 だが、全てはあの日に終わった。


 赤い光柱が空を裂いた夜。

 世界各地へ降り注いだ災厄。

 アルハルド事件。

 九城間研究所。

 黒い異形との遭遇。

 逃げ惑う人々。

 崩壊していく世界。


 そして――ファンドレア・グラントス。


 あの男が現れてから、空間そのものが捻じ曲がった。


 世界が歪み。

 景色が裂け。

 まるで宇宙そのものへ飲み込まれるような感覚。


 気付けば、喜一は三十年後の世界へ立っていた。


「俺は何も分からないんです」


 喜一は拳を握る。


「何故生きているのか。何故三十年後へ来たのか。何故この世界がこうなったのか」


 悔しそうに唇を噛む。


「だから知りたいんです。何が起きたのかを」


 玉座の間へ、深い沈黙が落ちた。

 朱音は最後まで口を挟まなかった。

 ただ静かに聞いていた。


 まるで、一つ一つの言葉の重さを量るように。

 やがて、全てを聞き終えた朱音が静かに口を開く。


「日陰喜一」


 その声が、玉座の間へ響く。


「貴方は特殊な存在なの」


 喜一は眉をひそめた。


「そして貴方自身は気付いていないのでしょうけれど」


 朱音は真っ直ぐ喜一を見る。


「貴方もまた、適合者なのよ」


 宗次郎が僅かに目を細める。

 喜一は息を呑んだ。


 適合者。


 その言葉は何度か耳にしていた。

 だが、自分がそうだと言われても実感が湧かなかった。


「適合者とは、星に選ばれた者ではない」


 朱音は静かに首を振る。


「正確には――アルハルド鉱石に選ばれた者」


 その名を聞いた瞬間、喜一の胸が強く脈打った。


「今から約三十年前。世界各地へ降り注いだ赤き光柱。後にアルハルド事件と呼ばれる世界最大の災厄」


 朱音の声は静かだった。

 だが、その一言一言には歴史そのものの重みがあった。


「全ての始まり」


 空気が重くなる。


「空から降ってきたアルハルド鉱石は燃えず、朽ちず、砕けず、そして人を変える」


 喜一は黙って聞いていた。


「アルハルド鉱石へ長く触れた者。強い意志を持つ者。極限を生き延びた者。そうした極一部の人間だけが、アルハルド鉱石と共鳴する」


 朱音の瞳が静かに揺れる。


「共鳴した精神は、宇宙の彼方に存在する天体と繋がる」


 恒星。

 白色矮星。

 中性子星。

 ブラックホール。

 マグネター。

 あるいは、人類が未だ観測したことすらない天体。


「その力を宿した者を、適合者と呼ぶ」


 喜一の顔色が変わった。

 それらの名を知らない人間ではない。


 研究者として、何度も論文を読み、何度も観測データを見てきた。

 宇宙の極限。

 人類が触れることなど出来ない領域。

 それが今、この世界では人の力として存在している。

 理解が追いつかなかった。


「だが、適合は祝福ではない」


 朱音の声が低くなる。


「多くは死ぬ。精神が壊れ、肉体が崩壊し、その成れ果てが星喰人になる」


 喜一の背筋へ冷たいものが走った。


「適合した瞬間に消滅する者さえいる。そして力が大きいほど、代償も大きい」


 玉座の間は静まり返る。


「さらに、適合者は互いに引き寄せあってしまうのよ」


 朱音は続けた。


「強き星は、より強き星を呼び、出会い、争い、殺し合う。まるで宇宙そのものが定めた宿命のように」


 その言葉は重かった。


「星喰人が都市を滅ぼした例は数多ある。けれど、国そのものを滅ぼした記録の多くは、適合者同士の戦いなの」


 冷たい汗が喜一の頬を伝う。


「グラビティアは倭ノ国にいる適合者を監視し、必要とならば重界騎士団は動くという事なの。」


 そして、朱音の瞳が鋭くなった。


「その中でも貴方は異質な存在」


 静かな声。


「世界崩壊の日をその目で見た人間。そして三十年後の世界へ突然現れた適合者」


 僅かな沈黙。


「そんな人間は、今まで一人もいなかった」


 朱音の表情に、苦味が滲む。


「だから貴方は保護対象であり、同時に監視対象でもある」


 喜一は俯いた。


 保護。

 その言葉は優しい。

 だが、監視という言葉は重かった。


 何も知らない。

 何もしていない。

 それでも危険視される。


 その現実が、胸を締め付けた。

 そして朱音は静かに目を閉じる。


「.....私たちは貴方をグラビティアへ引き渡すように命じられているのよ」


 その直後だった。


「聞いていたわね」


 朱音が立ち上がる。

 着物の裾が揺れた。


「第四地区――重界騎士団長」


 一拍。


「サラザイカ・クーラー殿」


 ドン。


 ドン。


 ドン。


 廊下の奥から重い足音が響く。

 まるで巨大な獣が歩いてくるような音。


 そして、熊を思わせる巨躯が姿を現した。


 黒いロングコート。

 岩山のような肩幅。

 その背後には、数名の騎士達。


 宗次郎の顔色が変わる。


「菱本さん!!」


 怒号。


「杉田ァ!!」


 鋭い眼光が二人へ突き刺さる。


「謀ったな!!」


 その声には怒りだけではない。

 信頼していた相手に裏切られた痛みが滲んでいた。


 だが、サラザイカ・クーラーだけは豪快に笑う。


「わっはっはっはっ!!」


 壁を震わせる大笑い。


「元気の良いガキだなァ!!」


 そして、猛獣のような視線が喜一へ向いた。


「んで」


 口角が吊り上がる。


「お前さんが日陰喜一か」


 その瞬間だった。


 喜一の身体が大きく揺れる。


 吐き気。

 目眩。

 痺れ。


 力が抜けていく。


 脳裏に浮かぶのは、飯処つばめ。


 食事。

 茶。

 杉田。


 穏やかな時間。

 温かな料理。

 あの安心感。


 全てが一本の線で繋がった。


 ――毒だ。


 宗次郎も同じように膝を折りかけている。


 喜一は床へ手をついた。


 吐き気が込み上げる。

 視界が霞む。


 それでも、サラザイカから目を逸らせなかった。


 重界騎士団。

 それは英雄ではない。


 怪物だ。

 秩序を守るために存在する逸脱者達。


 必要ならば国を守る。

 必要ならば人を救う。


 そして必要ならば――人を縛る。


 その理の重さが、今まさに喜一達の目の前へ姿を現していた。


 喜一が宗次郎の方を見ると

 覚悟を決めたように、刀を握っていた。


 震える指。

 毒に侵された身体。

 額から流れる汗。


 誰が見ても満身創痍だった。

 それでも、その瞳だけは死んでいない。


 怒り。

 悔しさ。

 焦燥。

 気付けなかった自分への憤り。


 その全てを刀へ込めるように、宗次郎が呟く。


「……ふざけるな」


 低く押し殺した声。

 次の瞬間、宗次郎の身体が弾けた。


 床を蹴り、サラザイカへ一直線に飛び込む。

 渾身の袈裟斬り。


 だが。


 ――キィィィィィンッ!!


 玉座の間へ異様な硬質音が響き渡った。

 火花が散る。

 衝撃が走る。

 そして、宗次郎の刃は弾かれた。


「な……ッ」


 驚愕に染まる宗次郎の顔。

 切り裂かれたロングコートの隙間。

 そこから覗いていたのは、人の肉体ではなかった。


 黒く。

 鈍く。

 宝石のように煌めく結晶。


 まるで鉱石そのものが人の姿を取ったような異形。

 サラザイカ・クーラーは豪快に笑う。


「わっはっはっはっ!!」


 腹の底から響く大笑い。


「無駄だ無駄ァ!!」


 ドンッ!!


 自らの胸を叩く。

 瞬間。


 ガキィィィン――。


 金属でもない。

 石でもない。


 それでいて両方を混ぜ合わせたような異様な音が鳴り響いた。


「わしの体はなァ!!」


 両腕を大きく広げる。


「炭素で出来た星の適合者なのだァ!!」


 黒い結晶が妖しく輝く。

 無数の宝石が肉体へ埋め込まれているかのようだった。


「ダイヤモンドのように硬く!!」


 拳を握り。

 空気が軋み。

 床が微かに震える。


「鋼すら砕く強靭な肉体を持つ!!」


 獣のような笑み。


「その程度の刀でわしを斬れると思ったかァ!!」


 喜一は床へ手をついたまま、奥歯を噛み締めた。


 吐き気が込み上げる。

 視界が霞む。

 呼吸が苦しい。


 ある事が脳裏へ蘇る。


 六業の滝。

 白い霧。

 轟く滝音。


 銀髪の女。


 イザック・ニコレット。


 細剣を一振りしただけで、周囲一帯を氷の世界へ変えた女。

 星喰人の群れを、悲鳴すら許さず、一瞬で氷塊へ変えた怪物。


 新都市グラビティア直属の戦力。

 騎士長級は、一人で戦場を変える存在だと。


 そして今、目の前にいるのもその一人。

 サラザイカ・クーラー。


 宗次郎の一撃すら通じない大男。

 理解してしまった。


 イザック・ニコレット。

 サラザイカ・クーラー。


 目の前にいるのは、重界騎士団という名の逸脱者達の一角に過ぎない。


 まだいる。

 同じような存在が。


 あるいは、それ以上の化け物達が。

 

 そして――。


 毒に蝕まれながらも、再び立ち上がろうとする宗次郎を見た時だった。


 喜一の胸が締め付けられる。


 宗次郎の腕は震えていた。

 呼吸は荒い。

 顔色も悪い。


 それでも宗次郎は立つ。


 倒れない。

 刀を手放さない。


 まるで、その背中だけで何かを守ろうとしているように。


「……宗次郎」


 掠れた声が漏れる。

 だが、届かない。

 宗次郎の視線は、サラザイカだけを見据えていた。


 喜一は知っている。

 宗次郎は強い。

 だが、目の前にいる怪物には届かない。

 その事実を、誰よりも宗次郎自身が理解しているはずだった。


 それでも立ち上がる。

 それでも刀を握る。

 それでも前へ出ようとしている。


 なぜだ。

 なぜそこまで出来る。

 なぜ諦めない。


 喜一の脳裏に、第七地区で出会った時の宗次郎の姿が浮かぶ。


 門前で助けてくれた時。

 冥合城を案内してくれた時。

 共に旅をした日々。


 不器用で。

 口が悪くて。

 だが誰よりも真っ直ぐな男。


 その背中が、今は妙に大きく見えた。

 そして同時に、ひどく痛々しく見えた。


 ――これ以上。


 ――もう誰も傷ついてほしくない。


 その想いが、胸の奥底で静かに渦を巻き始めていた。


 その時だった。

 霞む視界の中で、朱音が僅かに杉田へ視線を向けたのが見えた。


 ほんの一瞬。

 誰にも気付かれないほど短い視線。


 だが、杉田はその意味を理解したようだった。

 いつもの軽薄な笑顔は無い。


 神妙な顔のまま、ゆっくりと、本当にゆっくりと、腰元へ手を伸ばしている。


 そこにあるのは武器。

 戦場で幾度も血を吸ってきた得物。

 今すぐ抜くわけではない。

 だが、いつでも抜ける距離だった。


 まるで、これから起こる何かへ備えるように。

 あるいは、誰かを守るために。


 喜一にはそう見えた。


 朱音もまた何も言わない。

 玉座の傍らへ静かに立ったまま、サラザイカを見つめている。両隣にいる護衛も静かに座っている。


 その横顔には、迷いとも、覚悟とも、諦めとも取れる複雑な影が差していた。


 そして喜一は気付く。


 玉座の脇。

 手を伸ばせば届く場所に、一振りの槍が立て掛けられていることに。


 紅を基調とした美しい槍。

 だが、それは飾りではない。


 柄には無数の傷。

 刃には研ぎ澄まされた殺気。


 幾多の戦場を潜り抜けてきたことが一目で分かる代物だった。

 朱音の右手は、いつの間にかその槍の近くへ置かれている。


 握ってはいない。

 だが、いつでも掴める距離。


 まるで、何かあれば即座に動くと決めているかのようだった。


 重界騎士団へ従うしかない。

 だが、全てを受け入れている訳ではない。


 そんな複雑な感情が、確かにそこにはあった。

 そして、その空気など意にも介さず。


 サラザイカ・クーラーだけが再び豪快に笑った。


「わっはっはっはっ!!」


 玉座の間へ響く大音声。


 斬撃すら効かぬ大男。

 圧倒的な力。


 宗次郎は毒に侵されながらも刀を握り直す。

 その瞳だけは、まだ死んでいない。

 喜一もまた、床へ膝をつきながら拳を握った。


 悔しさ。

 無力感。

 焦り。


 様々な感情が胸の中で渦巻いていた。


 玉座の間には、誰も口を開かない。

 ただ張り詰めた沈黙だけが続く。


 まるで、巨大な嵐が訪れる直前の空のように。

 不気味な静寂だけが、その場を支配していた。



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