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コールドノヴァ~void〜  作者: 鯖虎
序章 新たなる世界
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第二十一話 僅かな希望

――ドクン。

荒桜の刀身に宿った淡い光が、 静かに揺らめいた。

それは、 天地を覆すほどの力ではない。

空を裂く雷でもなければ、 山を砕く暴威でもない。


ただ、ほんの僅か。

空気の流れが変わる。


舞っていた埃の軌道がズレる。

足元の砂粒が、 音もなく震える。

それだけの変化。


だがその小さな揺らぎは、 確かに“運命”へ触れていた。

見えない歯車を、 ほんの僅かに狂わせるほどには。


そして。

麻生勝新は、 それに気づいた。


閉ざされた両目。

見えているはずのない瞼の奥から、 凄まじい殺気が噴き出す。


空気が軋む。

腐臭に満ちていた第六地区が、 一瞬で“死地”へ変わった。

今まで麻生勝新は、 俺をただの獲物としてしか見ていなかった。


虫けらのように。

斬れば終わる存在として。


だが違う。

今、この瞬間だけは。

麻生勝新は、 俺を“敵”として認識した。


それが分かった。

皮膚が裂けそうな殺気。

足が震える。

呼吸が乱れる。


それでも、 俺は前へ出た。

一歩。

その時だった。


石畳へ転がっていた小石が、 つま先へ当たる。


――カラ……


小さな音。

小石は、 ゆっくりと転がり。

麻生勝新の足元へ辿り着いた。


誰も気にしない。

普通なら。

ただの小石。

ただ転がっただけ。

それだけ。


だが次の瞬間。

麻生が踏み込もうとした足が、 その石を踏んだ。


――ずるり。


ほんの僅か。

一瞬にも満たない乱れ。


だが。

その“あり得ない隙”を見た瞬間、 宗次郎の目が見開かれた。


「……何だ、今の……」


空気を読み。

鼓動を読み。

筋肉の収縮すら先読みし。

動作の起こりそのものを潰す剣鬼。

その麻生勝新に。

意識外から、 隙が生まれた。


ただ、 小石が転がっただけなのに。

この死地で。

決して起きるはずのない“偶然”が、 麻生勝新の完全な読みを乱した。


極小の変化。

けれど、 確かに運命は揺らいだ。


宗次郎は血に濡れた身体で、 再び刀を構える。


「……喜一」


その声には、 驚愕と確信が混ざっていた。

俺は荒桜を握る。

刀身の光が、 さらに淡く滲む。


「うおおおおおッッ!!」


叫びながら、 麻生勝新へ突進した。


その瞬間。

麻生勝新の全身から、 凄まじい気迫が噴き上がった。


「喝ッッッッッ!!!!」


世界が止まる。

否。

止められた。

空気が潰れる。

鼓膜が裂けそうな怒号。

身体が硬直する。


宗次郎すら、 その場で動きを封じられた。

石畳の砂粒さえ、 空中で縫い止められたようだった。

本来なら、 この先で起こるはずだった流れ。


勝新の乱れ。

俺の踏み込み。

宗次郎の追撃。

その因果そのものを。

麻生勝新は、 ただ一喝で捻じ伏せた。


理屈じゃない。

技でもない。

積み重ねてきた死地。

狂気。

執念。

剣へ人生を捧げ、 壊れ果てた怪物だけが辿り着く領域。

それだけで、 運命の揺らぎを押し潰した。


麻生の口元が、 ゆっくり歪む。

黒い粘液が、 歯の隙間から垂れ落ちた。

笑っていた。

腐った亡者みたいに。


「……そンな……物では……」


喉の奥で、 腐肉が擦れるような声。


「わし……は……」


閉ざされた瞼が、 こちらを向く。


「トまらン……ぞ……」


その瞬間。

死が、 さらに一歩近づいた。


次の瞬間だった。


――ドンッ!!


爆発的な踏み込み。

石畳が爆ぜた。

麻生勝新が今までとは比較にならないほどの速度で

こちらに向かってくる。


突然、視界から消える。

速い。

いや、 速すぎる。

気づけば、 もう目の前だった。


黒錆びた刀が、 頭上高く振り上げられている。

その軌道を見た瞬間、 本能が理解した。


防げない。

あれは、 人を斬る斬撃じゃない。

巨木を断つ。

城門を砕く。

そんな“破壊”そのもの。

唐竹割り。

空気が悲鳴を上げる。

死ぬ。

そう理解した瞬間。


「うああああぁぁッ!!」


反射的に、 荒桜を掲げていた。


――ギィィィィィィンッ!!!!


凄まじい衝撃。

両腕の骨が軋む。

受けた。

だが、 止まらない。


重い。

重すぎる。

握力が消える。


そして。


――バキンッ!!


荒桜が、 弾き飛ばされた。


「……ぁ」


次の瞬間。

黒い斬撃が、 胸を裂いた。


――ズバァァァッ!!


熱い。

身体の中を、 何かが通り抜けた。

視界が揺れる。

足の感覚が消える。

身体が、 ゆっくり倒れていく。


空が見えた。

灰色の空。

腐った風。

蠅の羽音。

全部が遠い。

時だけが、 異様にゆっくり流れていた。


宗次郎が見える。

何か叫んでいる。

でも、 聞こえない。

麻生勝新が見える。

刀を振り下ろした姿勢のまま、 俯いている。


ぼやける。

霞む。


「あ……」


口から血が溢れる。

鉄の味。

肺が焼ける。

寒い。

急速に、 身体の熱が抜けていく。


――オレは、 ここで終わりか。


ぼんやり、 そう思った。

結局、 何も出来なかった。

守れなかった。

変われなかった。

また、 誰かに守られて終わるのか。

宗次郎が、 麻生へ斬りかかっている。

激昂していた。

今まで見たことがないほどに。


火花。

斬撃。

血飛沫。

だが、 全部遠い。

寒い。

目が霞む。

死ぬんだな。

そう覚悟した――その時だった。


「これこれ」


しわがれた声。

まるで、 近所の老人が子供を窘めるみたいな、 場違いなほど穏やかな声。


「悪さをしてはいけないぞ」


ぼやけた視界の端。

崩れた家屋の奥。

その暗闇から、 ぬうっと人影が現れた。


逆光で、 姿がよく見えない。

杖を突いた老人……?


宗次郎の動きが止まる。

目を見開いていた。


「……ッ」


そして、 掠れた声で呟く。


「あなたは……  新都市の……」


最後まで言葉が続く前だった。


――バチッ。


空気が裂けた。

次の瞬間。

世界が、 閃光に呑まれる。


青。

赤。

二色の雷。


現実では有り得ない色をした稲妻が、 螺旋を描きながら奔った。

まるで、 天そのものが怒り狂ったみたいだった。


――ドゴォォォォォォンッ!!!!


轟音。

大気が爆ぜる。

麻生勝新の身体が、 紙切れみたいに吹き飛んだ。


「――ッ!?」


異常なまでに重かったはずの身体が、 宙を舞う。

そのまま。

崩れた家屋へ、 叩き込まれた。


――ズガァァァァンッ!!!!


瓦礫が吹き飛ぶ。

衝撃波が町を揺らす。

遅れて、 雷鳴が轟いた。

宗次郎が息を呑む。


俺も、 薄れる意識の中で、 ただ呆然と見ていた。

煙の向こう。

そこには。

青と赤、 二色の雷光を身に纏った老爺が、 静かに立っていた。


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