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コールドノヴァ~void〜  作者: 鯖虎
序章 新たなる世界
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第十九話 第六地区


麻生勝新


異名 ”我武者羅”


盲目の剣客

数年前に陥落した夜座城を

ただ一人で守り続けていた剣客。

アルハルド鉱石に呑まれ

自我を失った怪物となる。

異常発達した神経は空気の僅かな揺らぎすら捉え、敵の位置、呼吸、殺意までも感じ取る。

類を見ない剣速。

細々とした肉体からは想像もつかぬ怪力。

そして相手の動作を先読みする異様な感覚。

夜座城の周囲には、彼に斬られた者たちの死体が、今も無数に転がっている。


六業の滝を後にしてから、丸一日が過ぎていた。

だが、胸の奥へ沈殿した不快感だけは、消える気配がない。


見えない泥を呑み込まされたような感覚だった。

呼吸をする度に、肺の奥が重い。

背後に何かがいる。

ずっと。

そんな錯覚が、離れない。


宗次郎も同じものを感じ取っているのか、道中ほとんど口を開かなかった。

時折立ち止まり、風の流れを読むように目を細める。

その仕草だけで、この先が尋常な土地ではないことを嫌でも理解させられた。


やがて、空が赤黒く染まり始めた頃。

俺たちは、元第六地区の入口へ辿り着いた。


「……ここが」


声が、自然と掠れる。

空気が違った。

まず鼻を突くのは、腐臭。

血だ。


乾ききった鉄の臭いと、腐肉の臭気が風へ溶け込み、辺り一帯へ沈殿している。

胃の奥が軋んだ。

視界を上げる。

草木は全て死んでいた。


大地は黒ずみ、ひび割れ、生命の色を失っている。

木々は枯れ果て、骨みたいな枝だけを空へ伸ばしていた。

風が吹く度、枝同士が擦れ合い、ギチギチと嫌な音を鳴らす。

まるで土地そのものが腐り落ちているみたいだった。


そして、その遥か先。

巨大な城が見える。

夜座城。


崩れた城壁。

黒く染まった石垣。

傾いた櫓。

生者を拒絶するような気配が、遠目にも伝わってきた。


その時。


――ゥゥゥゥ……


低い唸り声のような音が、風へ混ざった。

獣の声じゃない。

人間のものとも違う。

耳の奥へまとわりつくような、不快な響き。

俺は思わず周囲を見回す。


「……今の」


「気にすんな」


宗次郎が即座に返した。

だが、その横顔は険しい。

視線だけは、ずっと夜座城へ向いていた。


「行くぞ。長居する場所じゃねぇ」


低い声だった。

俺たちは、そのまま第六地区内部へ足を踏み入れる。


かつて城下町だった場所。

だが今は、完全な死地だった。

崩れた家屋。

焼け焦げた店。

砕けた石畳。

横倒しになった荷車。

生活の痕跡だけが、無残な姿で残されている。


そして。

死体。


至る所に転がっていた。

武士。

町人。

星喰人。

腐敗し、原形すら曖昧になった亡骸へ、無数の蠅が群がっている。


悪臭が酷い。

呼吸をするだけで吐きそうになる。


宗次郎は止まらない。

ただ前だけを見て歩いている。

だが、右手は既に刀へ掛かっていた。


その時だった。


「……た……す……け……」


微かな声。

俺は足を止める。

風に掻き消えそうなほど小さい。


だが、確かに聞こえた。


「……助け……て……」


男の声だった。

掠れた、弱々しい声。

今にも消えそうな声だった。

俺は反射的に振り返る。


「宗次郎、今――」


「無視しろ」


即答だった。


「……罠だ」


「でも!」


「この地区じゃ、“助けを呼ぶ声”ほど信用出来ねぇもんはねぇ」


冷たい声だった。

だが。

また聞こえる。


「……たす……け……」


苦しそうな息遣い。

血を吐くような音。

本物だ。

そう思ってしまった。


俺は奥歯を噛む。

見捨てるのか。

ここで。

助けを求めてる奴を。


「……っ」


気づけば、身体が動いていた。


「おい、喜一!」


宗次郎の制止を振り切り、声の方角へ駆ける。

崩れた建物の奥。

瓦礫の陰。

そこに、人がいた。


血塗れの鎧。

折れた槍。

若い兵士だった。

腹部が深く裂け、大量の血を流している。

呼吸は浅い。

死ぬ寸前だった。


「おい!! 大丈夫か!?」


駆け寄ると、兵士は虚ろな目をこちらへ向けた。

焦点が合っていない。

それでも必死に口を動かす。


「……逃げ……ろ……」


掠れた声。

息を切らしながら遅れて宗次郎が隣に立つ。


「領地……奪還の為に……  送られて……きた……」


血を吐く。

身体が痙攣している。

兵士は恐怖で壊れかけていた。


「あれは……人じゃ……」


その瞬間だった。


――ズバァッ。


何が起きたのか、分からなかった。

一拍遅れて。

兵士の首が宙を舞う。


「――ッ!?」


鮮血が噴き上がる。

首を失った身体が、崩れ落ちた。

俺と宗次郎は反射的に後退する。


気配が、無かった。

本当に。


何一つ。

足音も。

殺気も。

呼吸音すら。

なのに。


“それは立っていた”。


音もなく。

影すら残さず。

まるで最初からそこに存在していたみたいに、二人の前へ立っていた。

闇そのものが形を成したみたいに。


細い身体。

骨と皮だけのような異様に痩せた肉体。

ぼろ布みたいな着物。

髪の無い頭。

そして。

閉ざされた両目。


だが。

その男は、 確かにこちらを“見ていた”。


瞼は閉じている。

視線があるはずもない。

なのに。

全身の皮膚へ、 ねっとりと絡みつくような感覚が走る。


息が詰まった。

盲目のはずなのに。

見えていないはずなのに。


宗次郎の顔色が変わる。

それを見た瞬間、 俺の血の気も引いた。


この男が、 顔色を変える。

数多の星喰人が相手でも。

宗次郎は一度たりとも動揺を見せなかった。

なのに今。


額には冷や汗が浮いていた。

宗次郎はゆっくり刀を抜く。


――シャァン……


静かな抜刀音。

だが、 その音だけで空気が張り詰めた。


「……下がれ」


低い声。

今まで聞いたことがないほど、 重い声だった。


俺は思わず息を呑む。

目の前の男は、 動いていない。

閉じた目のまま、 ただ立っているだけ。


なのに。

身体が勝手に理解していた。


“ヤバい”。


理屈じゃない。

生物として、 本能が警鐘を鳴らしている。

逃げろ、と。


宗次郎は視線を切らないまま、 低く呟く。


「……昔、第六地区には凄腕の剣客がいたって噂があった」


風が吹く。

腐臭が揺れる。

男は微動だにしない。


閉じた瞼の向こうから、 全身を覗き込まれているみたいだった。


呼吸。

鼓動。

筋肉の動き。

恐怖。

全部。


全部を読まれている。

宗次郎の握る刀に、 僅かに力が入る。


「その者は目が見えぬ代わりに、  空気の揺れだけで全部斬るって話だ」


低い声。


「足音も。呼吸も。殺気も。全部読まれる」


背筋が冷える。

宗次郎はさらに続ける。


「第六地区が落ちた後、奪還部隊が何度も送られたらしい」


低い声。


「……でも戻ってきた奴はいなかった」


風が吹く。

転がる死体。


腐臭。

宗次郎の声が、 少しだけ沈む。


「後から見つかったのは、  原形も分からねぇ斬殺死体ばっかだったって話だ」


喉が鳴る。

目の前の男は、 相変わらず動かない。


なのに。

圧だけが増していく。

空気そのものが、 重く沈んでいく感覚。

まるで、 この場だけ別の世界になったみたいだった。

宗次郎は奥歯を噛む。


「アルハルド鉱石に呑まれた、  夜座城の亡霊――」


その瞬間。

男の首が、 僅かに動いた。

閉じられた瞼。

異様な雰囲気に包まれ

ぞわり、と。

全身の毛穴が開いた。

宗次郎がゆっくり名前を口にする。


「……我武者羅。  麻生勝新」


その名が落ちた瞬間。

まるで、 空気そのものが凍った気がした。


「元第六地区の守り手……  そう噂されてる化け物だ」


麻生勝新は、 何も喋らない。

何も動かない。

ただ。

そこに立っているだけ。


なのに。

その存在だけで、 死が形を持ってこちらを見下ろしているようだった。


微動だにせず。

閉じた目のまま。

ゆっくり。

ゆっくりと。

こちらへ顔を向けていた。


――ポタリ。


刀身から流れ落ちる鮮血。

その音だけが。

死に沈んだ第六地区に、静かに響いた。





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