第十八話 迂回
元第六地区
夜座城
かつては農業を中心とした栄えた城下町
数年前に星喰人の奇襲に遭い、陥落する。
六業の滝内部は、 外界とはまるで別世界だった。
先程まで耳を支配していた、 滝の轟音。
それが奥へ進むにつれ、 少しずつ遠ざかっていく。
代わりに残るのは――
滴り落ちる水音。
湿った岩肌を伝う雫。
そして、 洞窟全体を覆う異様な静寂だった。
「……広……」
思わず、 声が漏れる。
巨大な鍾乳洞。
天井は遥か頭上。
無数の鍾乳石が、 牙のように垂れ下がっている。
白く霞む空気。
地下水の流れる音。
岩壁には、 薄青く発光する苔のような植物が張り付き、 仄かな光を灯していた。
まるで、 神秘。
そんな言葉が脳裏を過る。
荒廃した外界とは違う。
ここだけ、 時そのものが止まっているみたいだった
。
だが。
その静けさが、 逆に不気味だった。
宗次郎も、 珍しく周囲へ鋭い視線を巡らせている。
「……妙だな」
低い声。
「妙?」
「静かすぎる」
その一言で、 俺の喉が自然と鳴った。
確かに。
これほど広大な空間なら、 獣の気配や水音の反響がもっとあるはずだった。
なのに。
聞こえるのは、 自分たちの足音だけ。
まるで、 何かが息を潜めているみたいな静寂だった。
宗次郎は腰の刀へ手を添える。
「抜け」
「……え?」
「妙な臭いがする」
短い声。
だが、 その声音には明確な警戒が滲んでいた。
俺は無意識に荒桜へ手を掛ける。
その時だった。
――グチャ。
何かを踏み潰した感触。
足元を見る。
骨だった。
人骨。
半ば砕け、 黒ずんだ骨が泥へ沈んでいる。
「……ッ」
背筋が冷える。
さらに視線を巡らせた瞬間、 俺は息を呑んだ。
あった。
岩陰。
洞窟の奥。
至る所に、 白骨死体が転がっている。
噛み砕かれた跡。
引き裂かれた鎧。
乾き切った血痕。
ここで、 何かが喰った。
大量に。
宗次郎の顔つきが変わる。
「下がれ」
低い声。
その瞬間だった。
――ギチ。
暗闇の奥で、 何かが動いた。
次の瞬間。
闇の中で、 無数の赤い眼が一斉に開く。
「――ッ!!」
星喰人。
一体じゃない。
二体でもない。
壁。
天井。
岩陰。
鍾乳洞全体へ張り付くように、 無数の異形が蠢いていた。
まるで。
巣。
ここは、 星喰人の寝床だった。
「走るぞ!!」
宗次郎が叫ぶ。
同時に、 最前列の星喰人が飛び掛かってきた。
「ッラァ!!」
荒桜を抜く。
火花。
衝撃。
重い。
腕が痺れる。
さらに左右から二体。
宗次郎の刃が閃いた。
――ズバァッ!!
血飛沫。
首が飛ぶ。
だが。
減らない。
奥から。
上から。
暗闇の中から。
次々と湧き出してくる。
「数が多すぎる……!」
俺の声が掻き消える。
星喰人たちの咆哮が、 鍾乳洞全体を揺らしていた。
宗次郎が舌打ちする。
「チッ……!」
刃が閃く。
一閃ごとに異形が裂ける。
だが、 それ以上の数が押し寄せてくる。
終わりが見えない。
まるで、 洞窟そのものが生きているみたいだった。
「喜一!! 退路確保しろ!!」
「はい!!」
荒桜を振るう。
星喰人の腕を斬り飛ばす。
だが次の瞬間、 別個体が牙を剥いて飛び掛かってくる。
「――ッ!」
避ける。
肩を掠める爪。
血飛沫。
熱い痛み。
だが、 それ以上に恐怖が勝っていた。
多い。
多すぎる。
このままじゃ、 押し潰される。
宗次郎もそれを理解していた。
「戻るぞ!! ここは抜けられねぇ!!」
即断だった。
俺たちは鍾乳洞を駆け出す。
後方から、 星喰人の咆哮が追い掛けてくる。
湿った岩場を蹴る。
飛沫。
濃霧。
滑る足場。
転びそうになりながら、 必死に走る。
背後から迫る無数の気配。
息が詰まる。
肺が焼ける。
それでも止まれない。
そして――
前方に、 眩い光が見えた。
出口。
俺たちは転がり込むように、 六業の滝外周へ飛び出した。
「……はぁッ……!」
息が切れる。
肺が痛い。
心臓が、 壊れそうなほど脈打っていた。
宗次郎も荒く息を吐く。
だが、 その目はすぐ周囲を見回していた。
「……いない」
「え?」
俺も辺りを見る。
さっきまで戦っていたはずの騎士団。
重界騎士団。
イザック・ニコレット。
その姿が、 どこにも無かった。
残されているのは――
凍り付いた地面。
砕け散った星喰人の死骸。
そして、 静まり返った渓谷だけ。
まるで最初から、 誰も存在していなかったみたいだった。
宗次郎が低く呟く。
「……騎士団はともかく状況は最悪だな」
嫌な予感がした。
宗次郎は六業の滝奥を見つめたまま、 静かに言う。
「第四地区への最短路は潰れた」
「じゃあ……」
「迂回する」
短い返答。
だが、 その顔は険しかった。
「元第六地区を通るしかねぇ」
その言葉と同時に。
冷たい風が、 渓谷を吹き抜けた。
まるで、 これから先へ待つものを告げるみたいに。
――場面は変わる。
元第六地区。
夜座城。
崩れ落ちた城壁。
血に染まった石畳。
黒く乾いた死臭が、 街全体を覆っていた。
静かだった。
あまりにも。
死だけが、 そこへ積み重なっている。
そして。
夜座城の中心。
無数の死体の中で、 “それ”は座っていた。
痩せ細った身体。
ぼろ布のような着物。
髪一つない頭。
閉ざされた両目。
盲目の剣客――麻生勝新。
その手には、 血塗れの刀。
足元には、 積み上がる死体。
武士。
星喰人。
もはや区別すらつかない。
肉塊となった亡骸だけが、 無惨に転がっている。
――グチャ。
麻生は、 死体の肉を静かに喰らっていた。
骨を噛み砕く音だけが、 静寂の中へ響く。
人だったものを。
獣のように。
いや――
既に、 人ではなかった。
アルハルド鉱石に呑まれた存在。
理性を残したまま壊れた、 異形。
その時だった。
麻生の手が、 ふと止まる。
ぴくり、と。
耳が微かに動いた。
風。
振動。
空気の流れ。
遥か遠方。
六業の滝方面から届く、 微かな気配。
閉ざされた両目のまま。
麻生勝新は、 静かに六業の滝の方角を向いていた。
閉ざされた瞼の奥で。
何かが、 ゆっくりと嗤った。




