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夢森の歌  作者: K_yamada
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黒田悠木は続かない・5

 かなり旧型に思える携帯電話はしかし、何度かの呼び出し音の後に繋がった。

『朝からうっさいよ!』

 悠木が第一声を発するより先に、電話口から苛立っているらしい女の叫び声が流れた。悠木は一旦耳から電話を離して、美優を見た。

「えらく虫の居所が悪いようだがね」

「いつもそんな感じよ、その子。良いから、挨拶しておきなさい」

 美優は半分興味なさげな風で、そう応えた。仕方なく、悠木はまた電話を耳に当てる。

「そりゃあ申し訳ないね。だが、もう九時半だぜ」

『ふん。私は昔っから、十時起きが習慣なんだよ』

「そりゃあ良いご身分だ。見習いたい物だね」

 やけに高圧的な電話の向こうの女の態度に、悠木は軽く対応した。さすがの美優も、人格者を選び出す事は出来なかったと見えて、悠木は劣等感の中にわずかながら悦を感じていた。

『はあ……。あんたも、食えない奴らしいね。何だいここは。純心なお嬢様が居ると思ったら恐ろしい女も居る。これであんたみたいな偏屈なのも居るんじゃ、こりゃ動物園だよ』

 恐ろしい女、というのは多分美優の事だろうと悠木は思った。そして心から同意した。

「動物園か。良い喩えだ」

『ま、飼育されるもの同士、よろしく頼むよ。……にしてもあんたの声、どこかで聞いたね』

 女の言葉に、ギクリと悠木は身じろぐ。それは、昨日の大失態のトラウマを掘り返すのには十分すぎる話題だ。

「よくある声だと思うがね」

『……まあ、構わないけどさ。あんたも、あの恐ろしい女に誘われた口だろ?』

「ああ。そうなるな」

 話題が切り替わった事にホッとしながら、悠木は答えた。

「まあ、利害が一致したって奴だ」

『ま、私もそんなもんだね。そっちは何を交換条件にしたんだい?』

 女は何らか交換条件を呑ませたらしい。その内容にも興味が湧かなかった悠木は、少し考えて返答した。

「……いや、無条件だよ。なんせこちとら、死んでるんでね」

『ふうん。世捨て人みたいだねぇ。ま、私にゃ関係ない事だけどさ』

 世捨て人ではない、と悠木は内心反発した。自分が世の中を捨てたのではなく、世の中の方から勝手に転がっていったのだ、と。

『おはよう。良い朝だね』

 悠木がとりあえずああ、と答えかけた時、電話の向こうから気の抜けた優しげな声が流れてきた。どうしたんだ、と悠木は尋ねたが、返答はない。悠木が更に何度か声を掛けると、やっと女からの返事がやって来た。

『ああ、すまないね。相部屋の奴が起きたのさ』

「相部屋か。新人は大変だな」

 悠木は一人部屋に住んでいる。それは記録員という役割だからという理由だったが、そうでなくても、入って三ヶ月ほどで独室に移るように決められていた。三ヶ月までは、共同監視させる事で逃げるなり反抗するなり、そういう事が出来ないようにしているのである。一致団結して戦っても死ぬか生きるか分からないという戦況で、一致団結すべき人々がそんな風なシステムの中に居る。それは悠木に言わせれば、絶望的な状況だった。

「しかし、何だね。相部屋ってのは、相手は男かい」

『男でも変わらないけどね。女だよ。お嬢様さ』

 女の声は、徐々に棘をなくしてきているようだった。お嬢様というフレーズはさっきも出てきたが、その時と今では受ける印象が全く違う。共通しているのは、ひしひしと感じられる精気だけだった。

「ほう。そりゃ一度、ご一緒したいね」

『お断りだね。あんたが入るほど広いところじゃないんでね』

「そりゃ残念だ」

 女はついに、笑い声を漏らした。悠木もつられて、ふ、と鼻で笑む。

『さて、そろそろ訓練の方へ出向かないとねぇ。切るよ』

「ん、ああ」

 戦闘員の訓練は、ごく一部の技能訓練以外は義務にされていない。つまりは任意である。この制度にも悠木は戦闘能力の低下を嘆いて否定的だったのだが、少なくとも電話の向こうの女は訓練に熱心らしい。電話は、特に引きずる事もなく切れた。

 ハッと振り向くと、まだそこに美優は座っていた。

「その電話は預けておくわ」

「電話、ね。よくこんな物、仕入れたもんだ」

 悠木は電話を二本の指だけで掴みながら言った。酒と同じく、電話は持ち込みできないようになっていた。

「そんな事はどうでも良いの。それより、早速書いて貰いたいわ」

 薄い原稿用紙を一枚だけ袋から引き抜いて、美優は悠木の前の机に置いた。

「書く、か。まあ、ちょっと待ってくれ。俺も少しは考えないと書けないんでね」

 美優は一瞬考え込むように動作を停止したが、すぐにこくりと頷いた。

 さて。困るのは書き出しである。悠木が自分自身で知っている事実とは、フランスに『突如』厄介な寄生虫が現れた、という物だが、テレビで聞いたその情報は、今の状況を鑑みるに信用できない。だが、他に知りたる事柄もない訳で、テレビの情報をあえて避けようとすれば、次はあてずっぽうという事になる。

「分からない時は、分からない、と書けばいいわ。何事も分かっている歴史書より、所々不明な歴史書の方が、信憑性が高く見える事もあるし」

 困り果てた悠木へ助け舟を出すように、美優はその瞳を真っ直ぐ原稿用紙へと向けながら言った。

「ふむ。しかしそうなると、今の今までの正確な記録ってのがないんだから、こりゃ全部分からねぇって事になるぜ」

「馬鹿。思考停止が甚だしいわ。推測し得る部分は、そう断って推測を書けば良いのよ」

 全く、美優の言う通りだと、悠木は笑った。高校生の頃、複雑な証明問題でつまずいた時も、その頃の数学の女先生から同じような事を言われた事があった。複雑に見える証明問題は、実のところ時間が掛かるだけで難解ではなかった。

 かつての恩師の影が、今ピッタリと美優に重なった。まずは書き出せば良い。悠木はそう、ペンを強く掴んだ。


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