黒田悠木は続かない・4
悠木にとって、今夜はとても寝苦しい夜に感じられた。
もしあれが、美優でなければ。つまり、気性が強く、心根のしっかりした女でなければ、多分こんな想いはしているまい、と悠木は思った。一言一言見直せば、自分の発した言葉はいかにも無遠慮で不用意で、美優の返す言葉はよく洗練され精査されていた。
無論、それは恋情ではない。尊敬である。悠木は常より、自分は一対一で話をする場面においては、冷静かつ正論論者であると思ってきていた。だが少なくとも、今日に限って言えば、間違いなく悠木は色をなした異端者だった。
一体、これはどんな感情なのだろう。悲しいのとはもちろん違うし、悔しいのとも少し差がある。あえて言えば、年下の少女に恥じ入ってるような、そんな気分を悠木は得ていた。
そう、彼女は少女なのだ。まだ二十歳にも達していないような少女が、自分と同じ事を憂えていたのだ。そして、消極的だった自分に比べて、彼女は積極的に行動し、酒よりももっと手に入りにくい紙とペンを手に入れたのだ。
考えれば考えるほど、少女の偉大性のみが拡大されていく。そんな不思議な感覚を、悠木は得た。
時計はもう、早朝二時を指していた。多分、明日も美優はここに来る。それならばその時、心のわだかまりを解消すればいい。悠木は、散らばった思考を一箇所にまとめるようにゆっくりとそう思い直して、ベッドの掛け布団をさっきよりもずっと首に近付けた。
驚くべき事に、美優は今回の件についても、まるで起こらなかった事のように振舞った。美優が来て、話がその話題に及んだら謝ろうという物だった悠木の目論見からは大きく外れ、美優はいつもの落ち着きある調子で朝九時から姿を見せ、悠木にペンと紙を渡した。
「ペンはまだまだ余裕があるわ。だけど、紙は不足しているから、できるだけ節約してちょうだい」
「驚いたな。こんな物、どこから仕入れてきたんだ」
「あなたがお酒を手に入れるのと同じ様な方法よ」
悠木が酒を手にした経緯の説明は、偉いのだろう男が誰かしらの女の所へ夜這いをかけようとしているのを発見した事から始まる。男がかなりペコペコして悠木に見逃してくれるよう頼んだので、悠木はその交換条件としてウィスキーを提案した。さすがにその夜の寝心地の悪い事はこの上なかったが、その分、後日届けられたウィスキーは、悠木の睡眠薬として働くようになった。
問題なのはその委細より、美憂の言葉の方だった。その所業が美優に知られていて、しかも美優も同じ事をした、という事実に、悠木は軽いめまいすら覚えた。
「嘘よ。馬鹿ね。だけれどその様子じゃ、相当な事をしたみたいね」
軽いめまいは、めまいになった。
「脅かしてくれるな、美優ちゃんよ。本気で引きかけたじゃねぇか」
「良いじゃない。少なくとも前に出てこられるよりは、ずっと良いわよ」
「ま、違って安心したがね。それで、実際はどうやって仕入れてるんだ?」
机に置いた原稿用紙のパックとペンをしげしげと見つめながら、悠木は尋ねた。
「企業秘密よ。あまり、綺麗なルートではないとだけは言っておくけれど」
「悪どい話だな。まだ子供の癖してよ」
ホッと一息つく。美優との会話は、実際的な意味でドキドキさせられる。悠木にはそれが、一種の娯楽のように感じられ始めていた。
だが、いつまでも娯楽に興じている訳にはいかない。悠木はペンを手にとってそれが安物のボールペンである事を確認すると、原稿用紙を一枚抜き出した。
「しかし、引き受けておいて何だが、俺が知ってるのはせいぜいテレビの報道くらいだぜ? そうとう、俺たちが書こうとしている真実からは、遠いと思うがね」
「大丈夫よ。これまでについては、そのテレビ報道から推測される真実を書けばいい。これからについては、とりあえず協力者を数人得ているから、そこからの情報を利用すれば良いわ」
立ったまま、美優は悠木の抜き出した原稿の裏の、隅の方を指差した。
「それが連絡先よ。地名の横が、それぞれの協力者の名前と電話番号になっているわ」
「こりゃあ……」
地名欄には、北から南まで、まだ戦闘区域に入っていない都道府県の名前がずらっと羅列されていた。美優がどうしてこんなにも協力者を得る事に成功したのかは分からないが、凄まじい量である事は間違いなかった。
また小さなめまいに襲われかけた悠木に、美優は小型の電話を手渡した。
「一番下の、京都の協力者。彼女は昨日入ってきた新戦闘員だから、挨拶しておくといいわ」
「女が戦闘員か。世も末だな」
プッシュボタンしかない電話を恐る恐る受け取りながら、悠木は肩を竦めた。
「あなたがこんな所にいるのだもの。もう何があってもおかしくないわ」
「それは、褒めているつもりかい?」
「世辞よ。単純ね」
美優は笑った。それにつられそうになりながらも、悠木は京都の横に書いてある番号を、プッシュボタンで正確になぞり始めた。




