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夢森の歌  作者: K_yamada
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黒田悠木は続かない・2

 悠木は眉間にしわを寄せながら、自分の書いた文章をじっと読む少女を椅子から見上げた。出来る限りに己を捨てて、要求されている寄生虫との“際どい接戦”を書き込んだつもりだったが、悠木にとっては全く無価値な文章である事も紛れもない事実である。真実ではない、虚構。そんな文章に、少女がどんな反応を示すか、気になったのだった。

「……よく出来ました、という内容ね」

 少女は五枚目の原稿用紙を閉じて、そう言った。

「半年間勉強しただけあるわ。七ペケだけれど」

「まさか、監視役が付いてくるとは思いもしなかったんでね」

 悠木は、大学の卒業と同時に召集を受けてから、半年間の記述訓練を受けていた。しかし、いわゆる基礎日本語の訓練で、優等生の上を行く悠木には眠気を誘う物以外の何でもなかったのだが。

「それで、俺は解放されるのかい?」

「一週間程度は暇になるでしょうね」

「そうか。あの文章が、気に召したか」

 少女が少女の基準をもって文章の評価をしている訳でないのは、百も承知である。だが悠木は、少女の気性が日本政府の横暴を許している事に、少し幻滅した。

「ただし、七ペケよ」

「あえて聞かなかったんだがな。そのペケは、どういう意味なんだ」

「私があなたに、七つ命令できるという意味」

 少女はにこりともせずにバインダーから書類を取り外して、その言葉に軽く硬直している悠木の前の机に置いた。

「嘘よ。命令されたいと言うなら、別だけれど」

 その書類には、目立つ赤い文字で『一ペケ/減給千円』と大書されていた。

「おいおい。あんたの気まぐれで、俺の給料が下がるのか」

「気まぐれではないわ。ちゃんと、基準に沿って付けているし」

 少女の言うとおり、書類の赤い大文字の下には、びっしりとペケを付ける場合と理由と数について書かれていた。中には納得の行かない物もいくつかあったが、悠木は書類をそれ以上見ないようにして少女に返した。

「七千円の減給か。恐ろしいな」

「あら、良いじゃない。どうせ寮住まいで、お金を使う所なんてないわよ」

「給料ってのは、仕事の対価だからな。給料が減ると、仕事が悪かったって事になるだろう」

「実際悪かったのよ」

 すまし顔で書類をしまう少女に、悠木は一計を案じた。

「それじゃあ、七ペケ分は減給でなく、命令を聞く事にするかな」

「……なら、給料の半分をちょうだい」

「馬鹿。冗談に決まってるだろ」

 悠木は言いながら、立ち上がって部屋の出口へと歩いた。涼やかな顔を崩さない少女を、言いよどませた上でいなしてやった。それだけで、何となく悠木の心は明るくなった。

 記録業務室を出て、同じ建物の四階にある自分の部屋へと向かう。記録業務室は五階にあるから、わざわざ遠くにあるエレベータまで歩かなくても、近くの階段から降りればよかった。

 四階の廊下を一人歩きながら、悠木は考えていた。今日が初勤務の日だったとは言え、もう半年ここに居る事になる。その半年は、多分怠惰の時と呼んで間違いない。そして人類最大の戦いの展望は、日に日に悪化を遂げ続けている。

 部屋に入って、テレビを付ける。連日続くアメリカ各地の戦況報道に比べて、日本での戦いについては殆ど述べられてはいない。ただ、半月前まで青森だった戦いの場は二ヶ月前には秋田になり、今日には福島になっていた。東京や神奈川については、報道すらされない。日本が生み出し、世界中で用いられるようになった『人間に従順な凶暴バエ』も、原因の解決、すなわち寄生虫の駆除に至れない時点で、特効薬にはなり得なかった。

 ごく客観的に見て、人類は不利の側に立たされていた。ヨーロッパは、なくなった。アジアは、連絡が途絶えた。青森県も秋田県も、既に寄生虫の支配下にある。殺虫剤はほぼ無限にあるが、寄生虫も減る事を知らない。寄生虫が自滅するとすれば餌がなくなっての生態系としての餓死だろうが、それが起こるのは人間が絶滅した後の事である。何か手を打たねばならないのに、人類はただ防戦に甘んじて、徐々に狭まっていく安寧の地をただ見守っている。

 何か、発火剤のような、一挙逆転の鍵が必要だった。そうすれば、数十年を掛けて、人類は過去の栄光を取り戻すことが、出来るかも知れない。

(…………)

 しかし、悠木にとってそれは、どうでも良い事だった。数十年を掛けて人類が再興を果たした時、自分はいくつなのか。最も輝くべき、輝いているべき年月を、闇雲にこんな所で費やさざるを得ない事に、悠木は絶望していたのだった。

 テレビは、ミシシッピ州が壊滅した事を伝えた後、日本政府が秋の国防隊召集を明日完了するというニュースを流した。今回の採用は前回の二倍ほどで、悠木が居る京都には、戦闘員二百名と、非戦闘員百五十名が新たに来るらしい。

 茶番だった。まともに訓練を受けてもいない、ただ体格が良いだけの戦闘員二百名ですらまだマシな方で、非戦闘員百五十名など、既に飽和状態である京都に必要がある筈もなかった。

 いっそ、日本総人口三千万人の内、一千五百万人が全員で既に失われた東京や神奈川、東北を取り戻しに突撃した方が良いと悠木には思えた。一千五百万人が一斉に突撃すれば、取り戻せる可能性はそう低くなくなる。それに、それで取り返せないなら、今後どんな抵抗をした所で、無駄という物だ。

 絶望的な閉塞感が、悠木を襲っていた。テレビでは続けて、ロシアが四ヶ月前に行った核爆弾による微生物死滅作戦が、成功した事を述べた。ただし、ロシア国民全員の犠牲を伴って、である。

「日本には、それもないんでね」

 悠木はそう独りごちて、テレビの電源を落とした。

 四,五分ほど硬いベッドに寝転がって目を閉じていると、無機質な呼び鈴代わりのチャイムが部屋に鳴り響いた。

「開いてるよ、ご勝手に」

 起き上がるのが面倒だった悠木は、そのままの体勢でまぶただけ開いてそう声を掛けた。扉はその声に応えて、ゆっくりとスライドして開いた。

「まだ八時よ? 良いご身分ね」

 つかつかと中へ入ってきた少女は、さっきの悠木の所業を全く覚えていないような涼やかな表情で、早速そう言った。

「今ちょうど、テレビ学習を終えたんでね。あんたこそ、こんな時間に出歩いていて良いのかい」

「あら。あなたの書いた文章の評価を伝えにきたのだけれど、不要だったかしら」

 少女は、悠木に承諾を得る事もなく椅子に姿勢よく座ると、さすがに寝転がってはいられなくてベッドに座った悠木に、メモの切れ端のような紙切れを手渡した。

「少々冗長だけれど、悪くはなかったそうよ」

「ふうん。冗長、ね」

 嘘に冗長も不足もあるものか、と思ったが、悠木はそれよりも紙切れの荒っぽい走り書きが気になって、それに目線を落とした。

「えらく、汚い字だな。これ、あんたの字か」

「ええ、そうよ。汚くて申し訳ないわね」

「驚いたな。心はともかく、字は綺麗そうなのに。それで、これはなんて書いてあるんだ?」

 崩されすぎた字は、元の形をイメージしにくいほどに変化してしまって、読むに堪えない。皮肉交じりに、悠木は訊いた。

「……歴史を、書いて欲しいのよ」

 少女は、今日一番の間を置いてから、そう言った。

「歴史と言っても、人類史ね。この、寄生虫との戦いについての」

「歴史なら、さっき書いたばかりだろう」

 苦々しく思う心を押し殺して、悠木はそう紙切れをベッドそばの小机に置いた。あれは歴史などではない。ただの、フィクションだ。

「私はあれを、歴史とは呼ばない。私が書いて欲しいのは、本物の歴史よ」

 少女が語調を強めたのか、それとも悠木の耳が反応しただけなのか。悠木は、少女のその言葉が何度も脳で反芻されるのを聞いた。

「事実その通り書けって事か? 俺が書いても、書き直すよう言っただろう」

「あんな物に書いた所で、誰かが書き換えてしまうでしょう? あちらはあちら、あなたにはこちらで事実の歴史を作って欲しい」

「……その見返りは?」

 他にも言いたい事はあったが、まず悠木はそれを尋ねた。

「七ペケは、なかった事にしてあげるわ」

「七千円か。そりゃあちょっと、安すぎるんじゃないか? 書くってのは、中々疲れるんだぜ」

「……なら、何をしたって構わないわ。何なら今すぐ、私を押し倒したって良い」

 少女はそう言ってから、ぐっと唇を真一文字に結んで悠木の応答を待った。真っ先に見返りを尋ねた悠木の目的とは、少女の決意を量る事に他ならない。

「止めてくれ。俺は、幼児性愛は持ち合わせてないんだ」

 既にコートを脱ぎ始めていた少女を、悠木は言葉で制した。

「分かった。書こうじゃないか」

「本当に? さっきのような戯れだったら、ペケが十は増えるわよ」

「おお、そりゃあ怖い。だが、本当さ。ただ……」

「ただ?」

 少女の表情に緊張が走るのを見てから、悠木は笑いながら、

「名前を教えて貰えると助かるんだがね」

 と言った。

「……ああ、そんな事。上の名前が高田、下の名前が美優よ」

「ふうむ。また、似合わず可愛げのある名前だな」

 少女……美優の顔が、心持ち赤くなった。そして、それをごまかす様に、これまで通りの落ち着いた声で、それはありがとう、と言った。

「それで、美優ちゃんよ。書くったって、紙もペンもここにはないんだが、どうするつもりだい?」

「もちろん、私が用意するわ。あなたは、書くだけで良い」

「ほう。そりゃあ楽で良いな。しかし、それだと、あんたが一人で書いた方が早いんじゃないか」

 悠木の質問に、美優は一瞬固まった。それから溜め息をつくと、椅子から立ち上がった。

「それは盲点だったわ。そうね、私が一人で書けば良かったのに」

 そう言いながら、脱ぎかけたコートを羽織りなおす。その表情は、追い詰められた詐欺師のそれではなく、滑稽さを笑う観客のそれであった。

「だけれど、何故かあなたに頼まなければならない、と思ったのよ。それ以上の理由はないわ」

「それは光栄だね」

 悠木は、そんな美優の雰囲気につられて、笑った。

 そのまま、その場はお開きとなった。美優は明日も来ると言い残して、扉の向こうへと去っていった。その後姿を見送ってみて、悠木は自分の心がいくらか軽くなっているのに気が付いた。

(まあ、だからつって戦況が良くなる訳じゃないんだがな)

 自分の変化をそう誤魔化して、悠木はウィスキーに手を伸ばした。

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