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第四話:どこでもない場所の扉

 閉館間際の図書館は、ひときわ静かになる。

 空調の音が止まり、空気の中に溜まった言葉たちが、一斉に眠りにつく準備を始めている。


 栞(しおり)は、雑誌コーナーの整理をしていた。

 棚の端に、一人の男性が座っている。

 テーブルの上にはビジネス誌が数冊積まれているが、彼の手は、それらをめくることなく止まったままだ。


 男性のスマートフォンの画面が、音もなく光った。

 彼はそれを見て、一度だけ深く、誰にも聞こえないようなため息をついた。

 それからまた、読み古された週刊誌に目を戻した。その視線は、文字を追っているようには見えなかった。


 館内に、閉館を告げるアナウンスが流れる。

 他の利用者が席を立ち、出口へと向かう。

 新聞コーナーのいつもの席にいた老人が、きっちりと新聞を畳んで立ち上がった。

「また明日来ます」

 誰にともなくそう言って、迷いのない足取りで帰っていく。

 一方で、男性は動かなかった。鞄を握る手が、微かに力んでいる。


 栞は雑誌を元の位置に収めながら、彼の横を通り過ぎる。

 男性は、まだ開館しているかのような顔で、白黒の広告ページを眺めていた。


「まもなく、閉館です」


 栞の言葉に、男性は顔を上げた。

 目の下に刻まれた隈が、夜の照明の下で濃く見えた。


「ああ……すみません。もう、そんな時間ですか」


 彼は慌てて雑誌を片付けようとして、バランスを崩し、一冊を床に落とした。

 栞は屈んで、それを拾い上げる。

 それは住宅情報の雑誌だった。


「お帰りの前に、一冊いかがですか」


 栞は、カウンターの下に置いてあった、大判の写真集を差し出した。

 表紙には、どこか遠い国の、青いペンキが剥げた古い扉が写っている。


「……これは?」

「世界の窓と、扉だけを集めた本です」


 栞は男性の目を見ず、本の手触りを確かめるように指を滑らせた。


「中には、誰も住んでいない部屋の窓もあります。どこにも繋がっていない、ただそこにあるだけの扉も」


 男性は戸惑いながらも、その重厚な表紙を撫でた。


「今の私には……こういう、綺麗な家は、少し眩しすぎるかもしれません」

「家ではなく、扉です」


 栞は静かに言い直した。

 男性はしばらく、表紙の扉を見つめていた。

 それから、ゆっくりと自分の鞄を肩にかけ直した。


「……一晩だけ、借りてもいいでしょうか」

「もちろんです。では、こちらで」


 カウンターでバーコードを読み取る。ピッ、という音が、夜の静寂に響いた。


「返却は二週間後です。気が向いたときに、開いてみてください」


 男性は写真集を抱え、自動ドアの向こう側へと消えていった。

 外は、街灯の光と車の音が混ざり合う、騒がしい夜が広がっている。


 栞は雑誌コーナーの照明を落とした。

 闇の中に、さっきまで彼が座っていた椅子の輪郭だけが浮かんでいる。


 栞はその椅子の背もたれを指先でなぞり、それから一列、棚の背表紙を整えた。

 少しの間をおいて、最後の一灯を消した。


お読みいただきありがとうございます!


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次回もよろしくお願いします。

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