↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/26

第二十四話:初めて読まれた本

 三月の最初の週、図書館の空気はまだ冬の名残を持っていた。しかし、午後の光の角度が少しだけ変わっていた。窓から差し込む光が、棚の間を長く伸びている。春が、まだ遠慮がちにそこにいた。


 閉館間際、利用者が一人また一人と出口へ向かっていった。

 いつもの席の老人が、新聞を折りたたんだ。毎回同じ動作、毎回同じ順番でコートを着る。カウンターの前を通り過ぎる。


「春めいてきましたね。また来ます」


 それだけ言って、自動ドアの向こうへ消えた。

 栞(しおり)は返却台の整理をしていた。答えなかった。


 しばらくして、政子(まさこ)が返却台を拭きながら、独り言のように言った。


「結局、誰も借りなかったね」


 布がテーブルの上を往復する。


「あの本」


 政子はそれだけ付け加えた。

 栞は答えなかった。手元の本を、ワゴンに積み続けた。

 しばらくして、政子はエプロンを外した。鞄を手に取り、栞のほうを一度だけ見た。


「お先に」

「はい」


 自動ドアが開き、冷たい空気が一瞬だけ流れ込んだ。閉まると、館内には栞だけが残った。

 閉館作業を続ける。照明を一つ、また一つと落としていく。棚の輪郭が、薄暗さの中に沈んでいく。

 最後の照明を落とす前に、栞は手を止めた。

 人文系の棚へ向かう。暗い中でも、その場所は分かった。何度も背表紙を整えてきた棚だ。


 一冊の本を手に取った。『夜の終わりを歩く人へ』。

 表紙を、一度だけ見た。

 カウンターへ戻る。

 最後の照明を落とした。

 棚の輪郭だけが、薄く残っている。

 窓の外の街灯の光が、ガラスを通して細く差し込んでいた。


 栞はカウンターの前に立った。

 モニターの電源を入れる。

 青白い光が、栞の顔を照らした。

 本のバーコードをスキャンする。


 ピッ。


 音が、暗い館内に一度だけ響いた。

 モニターに、貸出情報が表示される。

 モニターの明かりの中で、最初のページの言葉を小さく声に出して読んだ。


「眠れない夜に、この本を開いてくれた人へ」


 栞は本を鞄に入れた。

 モニターの電源を落とす。

 栞は暗い館内を歩き、扉へ向かった。鍵を回す音が、静寂に響く。

 外へ出ると、三月の夜気が頬に触れた。冬より少しだけ、やわらかかった。栞は鞄を肩にかけ直した。鞄の中に、十二年間誰にも読まれなかった本がある。


 栞は歩き出した。

 足音が、夜の静けさに溶けていった。



お読みいただきありがとうございます!


少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、

下部にある【ブックマーク登録】や【いいね】、ページ下部の【★★★★★】評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!


次回もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。