第二十一話:白い本
十二月の午後、図書館の外は風が強かった。
自動ドアが開くたびに、冷たい空気が滑り込んでくる。
暖房が追いつかず、入口付近だけが少しだけ温度が低い。
窓の外では、枯れ枝が揺れていた。葉のない木が、灰色の空を細かく切り取っている。
学習室は半分ほど埋まっていた。
年末が近づくにつれて、静かに席を求める人が増えてくる。
一人の女性が、学習室と一般書の棚の間を行き来していた。
三十代後半から四十代前半だろうか。くたびれたコートに、無造作にまとめた髪。
かつては気を使っていたのかもしれない。でも今は、そういう余裕が見えなかった。
手にはノートを持っているが、何も書かれていない。
棚の前で立ち止まり、背表紙を眺める。文芸の棚へ行き、一冊抜き出す。数ページめくる。戻す。今度は演劇や脚本が並ぶ棚へ移動する。また一冊抜き出す。また戻す。
それから学習室へ戻り、ノートを開いて、また閉じる。
ペンを手に取る。でも動かない。また置く。
その繰り返しだった。
栞はカウンターの内側で、破損した本の補修作業をしていた。
剥がれかけた背表紙にテープを当て、丁寧に押さえていく。
手を動かしながら、女性の様子を視界の端に置いていた。
三度目に女性が棚へ戻ってきたとき、栞はカウンターを出た。
「お探しのものはありますか」
女性は振り返った。
目の下に濃い隈がある。頬が少しだけこけていた。
「あ、いえ……創作の参考になるものを、と思って」
女性は抱えたノートに視線を落とした。
「でも、何を調べればいいのかも、よく分からなくなっちゃって」
少し間があった。
「行き詰まってしまって。もう長いこと、一文字も書けていなくて」
それだけ言って、女性は口を閉じた。
それ以上は言わなかった。言えなかったのかもしれない。
栞は女性の手元のノートを一度だけ見た。
それから、カウンターの奥へ向かった。
戻ってきたとき、手には一冊の分厚い本があった。
装丁は丁寧で、手触りが良い。
ただ、タイトルも著者名も書かれていない。
「こちらをどうぞ」
栞は女性に差し出した。
女性は受け取り、表紙を見た。
首を傾ける。
ページを開いた。白かった。
次のページも、白い。
その次も。
女性はしばらく、無言でページをめくり続けた。
最後のページまで、文字は一つもなかった。
女性は本を閉じた。
それから、栞を見た。
何かを言おうとして、やめた。
また本を見た。
また栞を見た。
「……白紙、ですね」
「はい」
栞は答えた。それ以上は言わない。
女性の表情が、少しずつ固まっていった。
唇が薄く開く。
「そっか」
小さな声だった。
「やっぱり、そういうことか」
乾いた、力のない笑いが漏れた。
笑っているのに、目が笑っていなかった。
女性はその本を、ノートと一緒に抱えた。
抱えた腕に、少しだけ力が入っている。
「借りていきます」
声は平坦だった。
貸出カウンターで手続きをする。
ピッ、という短い音が鳴る。
「返却は二週間後です」
女性は頷き、出口へ向かった。コートの背中が、小さく見えた。
自動ドアが開き、冷たい空気が流れ込む。
栞はカウンターの内側へ戻った。
補修作業の続きをしようと、テープを手に取る。
手が、少しだけ止まった。
そして、背表紙のテープを指で押さえた。
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