第二十話:声に出す詩集
十二月の図書館は、暖房の乾いた空気が充満している。窓の外では、冷たい風が落ち葉を転がしていた。街路樹はすっかり葉を落とし、枝だけが灰色の空に細く伸びている。
栞は入口近くの展示棚に、選書した本を並べていた。
年末に向けた「贈る本」コーナーだ。誰かに渡したい一冊、誰かに読んでほしい一冊。
タイトルを確かめながら、背表紙の向きを揃える。
作業の手を止めずに、視線だけを室内に向けた。
閲覧スペースの隅に、老夫婦が並んで座っていた。六十代後半だろうか。夫は背筋を伸ばし、妻は少し肩の力が抜けている。テーブルの上には、雑誌が一冊置かれているが、どちらも開いていない。
会話はなかった。ただ、並んでそこにいた。
夫が時折、妻の横顔を見る。何かを言おうとして、視線を雑誌に戻す。
その動作が、静かに繰り返されていた。
妻は気づいているのか、気づいていないのか。表情は穏やかなまま、変わらない。
しばらくして、夫が雑誌を手に取った。パラパラとめくる。でも目は文字を追っていない。
また置く。
指先が、テーブルの上で少しだけ動いた。
栞は展示棚の作業を終え、夫婦の近くへ移動した。
「何かお探しですか」
夫が顔を上げた。少し驚いたような顔をする。
妻は穏やかに微笑んだ。
「いや、その……」
夫は言葉を探すように、少し間を置いた。
「一緒に読めるような本でも、あればと思って」
妻が夫を見た。
夫は視線を栞に向けたまま、少しだけ耳が赤くなっていた。
栞は児童書コーナーへ向かった。棚の中ほどから、一冊の薄い本を取り出す。
文字が大きく、色鮮やかな表紙の詩集だった。子ども向けの本だが、言葉のリズムは大人の口にも馴染む。
夫婦のテーブルに戻り、それを置く。妻が自然な動作で手に取った。表紙を見て、ページをめくる。
夫が少しだけ身を乗り出した。妻の肩越しに、詩集を覗き込む。
妻の指が、一遍の詩の上で止まった。
短い詩だった。
少しの間があった。
夫が、小さな声で読み始めた。
図書館の静けさの中で、その声だけが低く響く。
妻が振り向いた。
目が少し丸くなる。
それから、微笑んだ。
「……お家でゆっくり読みましょう」
妻が詩集を閉じた。
立ち上がる。夫も続いて立ち上がる。
二人は並んで貸出カウンターへ向かった。
来たときと同じ並び方だったが、歩幅が少しだけ揃っていた。
栞は手続きをする。
ピッ、という短い音が鳴る。
「返却は二週間後です」
妻が詩集を受け取り、夫の腕に軽く触れた。
夫は小さく頷いた。
二人は出口へ向かった。
自動ドアが開き、冷たい空気が流れ込む。
閉まる直前、夫だけが振り返った。
口が、小さく動いた。
栞は入口近くの展示棚を見た。
「贈る本」コーナーの背表紙が、一列に並んでいる。
誰かに渡したい一冊。
誰かに読んでほしい一冊。
栞はその列を、指先で一度だけ整えた。
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