5.サイラス
* * *
幼いころから前世の記憶があったサイラスは、この世界で生きる目標を見つけられずにいた。
前世の記憶があまりにも鮮明で楽しかったせいだ。輝かしい実績を残したバンド、デンジャラスをもう一度やりたい。しかし、王子という立場では、たとえロックという音楽がこの世界に生まれたとしても実現するのは難しい。生まれるなり絶望を感じた。
サイラスはとても頭がよく、一度で何でも覚えられたので今世で困ることは特になかった。武芸にも秀でてしまい、否応なく兄、マイルズに睨まれた。
しかし、魑魅魍魎跋扈する芸能界を生き抜いた記憶を持つサイラスにとって、マイルズなど敵ではない。兄上は凄いですね、などと言いながら、のらりくらり手を抜いて生きていた。
(暇だな)
大好きだったベースを弾くことができない。そもそもまだそんな楽器は存在していない。
暇を持て余したサイラスは人間観察をして過ごした。宮中の魑魅魍魎を眺めるのも最初は楽しかったが、それも長くはもたず、しばらくすると飽きてしまった。
そんな時、弟のレオナルドが生まれた。
その顔を見た瞬間、デンジャラスのボーカル、村内柊だとすぐに気付いた。
レオナルドの言動はあきらかに柊だった。アホ可愛いのである。ペンを持てば転がし、本を読めば居眠りをし、庭に出れば蝶を追いかけ、剣を持てば転ぶ。
生きる目標を見失っていたサイラスにとって、柊が弟として生まれてくれたことは生きがいになった。
(たとえ柊が前世を覚えていなくても、僕が覚えてる)
柊はあまり器用じゃないので、前世は思い出さないほうがいいかも知れない。歌いたくなって、王子業をすっぽかしても困るしね。それでなくとも、幼少期の彼はポンコツ王子なんて不名誉なあだ名で呼ばれていたから。
レオナルドは一歳で生まれたばかりのアムレアン公爵家のエリーサベトと婚約した。
マイルズの婚約候補筆頭だった公爵令嬢が、婚約適齢期になったところで他国の公爵令息にかっさわれてしまったことが原因だろう。三男だけは何としても国内の一大勢力を取り込んでおきたいという意図が丸見えだった。意図というのはもっと隠すものじゃないのかと、サイラスは呆れていた。
その後、すったもんだを繰り返したマイルズの婚約がようやく決まり、いよいよサイラスも婚約者を決めなければならなくなったときのことである。
(女ねぇ……)
モテまくった前世の記憶があるせいで、いまいち気が乗らない。前世でも彼女はたくさんいたが、バンドを優先にした結果、結婚は一度もしなかった。
ただ綺麗なだけの女なんてすぐに飽きるし、性格が合わなかったからといって、この世界で離婚しようものなら大変な労力を要する。厄介なことに自分は王子なのだ。一回の結婚で、一生添い遂げる覚悟を決めなければならないことに戦慄すら覚えた。王子と言われて追い回されてたら本当の王子に生まれ変わってしまったサイラスの、笑えない冗談だった。
(そんなに王子の妃になりたいもんかねぇ)
蹴落とし合う令嬢を見ていると、芸能界と同じだなぁと、元々冷めていた心がもっと冷えていく。
(せめて性格のいい子にしたいんだけど)
人生は長いということをサイラスは知っている。退屈な世界に生まれたことを呪うより、この世界で楽しく生きるために、ベストを尽くすことにした。
令嬢たちには悪いが、わざと茶会に遅れたり、途中で席を外したりして彼女たちを観察した。信頼できる侍従のジェフや、メイドに扮したポリーにも彼女たちの様子を報告してもらう。この二人は長年探し続けて見つけた腹心だ。
その中で、ひと際目立つ存在のジュリアがいた。誰よりも幼いくせに困っている令嬢を助けているという。自分より年上の令嬢の手を引き化粧室に連れて行くのを、サイラスでさえ何度も見かけた。
そうして、これが演技ならすごいな、などと意地悪なことを考えた。
「茶会の意図を理解しての演技だと思うか?」と、ジェフとポリーに聞いたことがある。
「あれを演技だと思う殿下の心が腐っててヤバいっすね」
「どんだけ擦れてるんですか?」
「ジュリア嬢は殿下に全く興味ないじゃないですか」
「お菓子を食べてるとき以外、ほとんど笑いませんよねぇ?」
「完全にお菓子を食べに来てますね」
「ついでに令嬢を助けてね」
「それを演技だと?」
「ジュリア嬢は王子妃なんかに微塵も興味ありませんよ」
毒舌にも程があるが、ごもっともな意見である。そういうところが、この二人を気に入っているところだ。イエスマンなんて要らない。媚びへつらう人間は簡単に裏切るということを知っている。
そんなサイラスの意地悪な思考が吹き飛んだのが『べべべーべべべべーべ』である。
泣いている彼女には悪いが、歓喜のあまり抱きしめたくなってしまったほどだ。それまでは本気で婚約者にしたくて残していたわけではなく、次は何をするのだろうという興味で残していた。この瞬間、サイラスの中でジュリアを婚約者にすることが決定した。
しかし、もう少し段階を経ないといけない。
周りからはいつまで幼女を残すのかと疑問の声が上がっていた。その度に「ジュリア嬢は幼いのに、思慮深く親切ですから」と、丁寧に説明しておいたのが吉と出る。
こちらの意図がなるべくバレないよう、意地悪令嬢を敢えて残したりしながら、少しずつ人数を減らし、最後にケイト、ジュリア、スザンナを残した。スザンナがいるとジュリアが楽しそうだったから。
(ジュリアとなら、楽しく過ごせそうだ)
十歳差など、ジュリアが大人になってしまえばどうでもよくなる。何より彼女にはデンジャラスの記憶がある。
思ったよりも楽しいことになりそうな気配にサイラスの心は浮きたつ。しかし、婚約するなり他に想い人がいるだの、幼女趣味だの好き勝手な噂を面白おかしく流された。
(ネットやSNSが無くても、人間はゴシップが好きなんだな)
低俗な輩に呆れながらも、幼いジュリアと適切な距離を保ちつつ、親交を深める方法はないか考えた。
少し前、デオギニアがコンタクトの製作に着手するという情報が流れてきた。父を通し、デオギニア帝国に前世持ちであることを伝え、製作の一員に加えてもらった。成功すれば、ルヴァルド王国の発展に貢献できるし、目の悪いジュリアにコンタクトを作ってあげられる。そうやって物理的な距離や時間を稼いでいる間に、ジュリアも大人になるだろう。製作発表では、サイラスがジュリアを大切にしていたことが知れ渡るし、国に貢献した実績にもなる。一石二鳥どころか三鳥だ。
ようやく完成し、ジュリアに顔を見せることもできた。
誤算は想像以上に時間がかかったことと、医者の知識が必要になって後半は寝る間もないぐらい忙しかったこと、近寄ってくる女豹たちを交わし続けるのが苦痛だったこと。
そして何より傷ついたのは、ジュリアから、いつでも婚約解消OKですよと言わんばかりの気配がプンプンしたことだ。女慣れしているがゆえに、ダメージが大きかった。
ポリーからは手紙とプレゼントに色気が無さすぎるとさんざん文句を言われたが、手紙もプレゼントも途中で紛失する可能性がある。確実に届く保証がない以上、見られても困らないような手紙やプレゼントにする必要があった。隙を見せたら最後、いつ足元をすくわれるかわからない。
(長かったな)
その苦労も、腕の中の真っ赤なジュリアの顔を見れば報われるというもの。
この可愛い婚約者は、今日も自分より年上の、心が幼い令嬢を助けていた。アンナの年齢が二十五歳だと告げたときのジュリアの顔が忘れられない。
「あの、やっぱり晩餐会ではコンタクト外してもいいですか?」
「うん、別にいいけど。僕の顔がまたぼんやりしてもいいの?」
「はい、いえ!! 決して見たくないとかではないんですよ!? ただ心臓がもう、もたなくて」
「優と柊を見なくていいの? レオナルドは柊だし、パティシエの優も、最後のデザートの給仕で出てくると思うよ?」
「えっ、ムッチーがレオナルド殿下? 優様がパ、パティシエ……? いえ、いいんです!! もう王子に会えただけで十分です」
ジュリアが二人の前世での愛称を口にして、慌てふためく。
「今、ちょっと迷ったよね?」
「ま、迷ってなど!! 嘘です、ちょっと迷いました!! ごめんなさい!! 浮気じゃないです、これは、推し活です!!」
ジュリアは淡い金髪を揺らし、若葉のような瞳を潤ませた。
本人は自分の容姿に無頓着だが、成人したジュリアは美しく育った。柔らかな春のつぼみのような姿に、目を奪われる男は多い。ポリーからは気をつけろと何度も忠告されている。邪な視線をジュリアに投げた男の名前を聞けばなるほどと思う。そういう奴らに限って「幼女と婚約ですか? そういう趣味だったんですね」と言わんばかりの薄ら笑いを浮かべていた。
(これから夜会の度にちょっかい出す男が増えると思うと……腕が鳴るねぇ)
どうやって始末しようか。
「そっか。まぁ機会はこれからもたくさんあるだろうしね。コンタクトはまだ試作段階ともいえるし。短時間からはじめようか?」
頷くジュリアの頬をするりと撫で、思案するサイラスであった。




