4.べべべーべべべべーべ
晩餐会の前に招かれたサイラスの私室で、ジュリアは目を瞬いた。
指に乗る懐かしい感触は、前世で慣れ親しんでいたコンタクトレンズだという。
「コンタクトレンズ。ジュリアは知ってるよね?」
「なぜ、それを、」
前世の記憶があることを、誰にも話したことはない。言ったところで、ジュリアには平凡な記憶しかないからだ。
「前世では着けてた?」
「……はい」
サイラスに手伝ってもらい、おそるおそるコンタクトを目に入れ、パチパチと瞬く。
この世界の瓶底眼鏡よりも遥かにクリアな世界が広がった。
「すごいです!! めっちゃ見えます!!」
思わずソファーから立ち上がって腕を振り上げ、はしたなくもジャンプしてしまう。興奮で息が上がり、少し苦しくなった胸を押さえながら、サイラスを見て――
「お、王子っ!?」
言葉にしてからハッとして、口を押さえた。
「そう呼ばれるのには慣れているけど、君の言う王子は『デンジャラス』の小池奏のことだよね?」と、嬉しそうに笑っている。
初めて見るサイラスの顔に、前世で大好きだった懐かしい彼の顔が重なった。
「い、いつから気付いてたんですか!?」
「君が意地悪な縦ロールの令嬢に転ばされて、ドレスが破れて泣いていたときからだよ」
「そんな前からですか!?」
「うん。最初は助けようと思って近づいたんだ。でも君はすぐに回廊に逃げ込んで、うずくまって泣きながら『時の悪戯』を口ずさんでた」
『時の悪戯』は、前世でジュリアが好きだったバンド、『デンジャラス』の曲の中で、一番好きだった曲である。
「しかも泣いてるのにイントロから歌っててさ、べべべーべべべべーべって、あの曲は優がベースの僕にイントロのメロディを弾けって無茶振りした曲なんだよ。それをべべべーべべべべーべって……あの死ぬほど苦労した曲を、転生したこの世界で、しかも僕のベース音から聞いたときの衝動、わかる? 僕は駆けだして君を抱きしめたい気持ちを抑えるだけで精一杯でさ。あの場で抱きしめたら本当に幼女趣味ってことになっちゃうし」
優とは、デンジャラスのリーダー、ギター担当の高杉優のことである。超絶技巧もさることながら、作る曲は激しくも切なく胸に迫る。彼を神と崇めるファンは後を絶たなかった。
「もしかしたら優のファンかもしれないから、凄く迷ったんだよね。がっかりさせるかなって。ジュリアは顔の造形の細かな部分までは見えてないみたいだったし、それならいっそ、このまま顔は見せないほうがいいのかも、とか。でも杞憂だったな。王子って呼んだってことは、僕のファンだよね?」
ベース担当の小池奏は、目の付け所が鋭いことから一部のファンからはシャープ小池と呼ばれていた。紡ぐ言葉は常に正論。言葉が鋭すぎるという批判もあった。
しかし、彼の熱心なファンは『王子』と呼んでいた。見た目が王子様そのものだったから。
コクコク頷くジュリアを見て、サイラスは「必死でコンタクト作って良かったぁ」と胸を撫でおろしている。
「あの、自惚れだったら申し訳ありません。もしかして、私のためにコンタクトを作って下さったんですか?」
何をいまさらと言わんばかりの顔でサイラスが答える。
「ジュリアの為以外ではやりたくないよ。デオギニアの前世持ちの人と共同開発したけど、前世と同じ資材はこの世界にはないらしくて、想像以上に時間がかかったし。さっきのアンナ殿下は僕の顔が気に入っちゃってしつこいし。他の令嬢にも言い寄られて面倒くさいったら。あの国の節操の無さには本当にげんなりするよ。おまけに帰国すれば、どれだけ否定しても僕の浮気説ばかり流れてくるし。ジュリアもなんだかそれを信じてるっぽいし。いつでも身を引きますみたいな顔するし」
「それはあの……ごめんなさい」
サイラスの視線が痛い。
「年齢差があるから距離を縮められなかっただけだからね?」
「はい……」
やりとりした手紙はラブレターとは言い難かったが、サイラスの人柄を知るには十分だった。風邪をひけば薬が送られてきたり、おでこに乗せるひんやりしたシートなんかも入っていた。多くはないが、一緒に山や川にでかけたこともある。一緒に過ごした時間は楽しく、一つ一つは短くとも大切な思い出だ。それだけに、サイラスには他に想う人がいると思うと悲しかった。
「僕は断じて幼女趣味なんかじゃない」
「わ、わかってます!! それはもう、絶対に!!」
この八年間、挨拶程度のキスや軽いハグもされたことがない。幼女趣味などと勘違いするはずもない。
「どうする? 小池奏と結婚したい? それともサイラス?」
「ああああああああの」
「はいはい」
「王子はあくまでも前世の推しでして、私がお慕いしてるのはサイラス殿下です」
「ふーん。サイラスでいいの?」
「もちろんです!!」
「お慕いしてたんだ?」
「して……してます……いつも、気にかけていただいてましたし、それに、纏っているお色が好きで」
ジュリアはうつむいた。色の話をするのは勇気がいる。
「色?」
「はい。私、見えないぶん、色で景色とか感情を見分けていまして、人の周りに、その人を表す色みたいなものが見えるんです」
「オーラみたいな?」
「そんな感じです」
「ジュリアが好きだっていう僕の色は何色なの?」
「秋の綺麗な空の青です。今は見えませんけど」
「どうして?」
「裸眼のときしか見えないんです」
「そうなんだ……便利といえば便利なのかなぁ」
サイラスは何かを思案するように顎に手を当てて考えている。
「裸眼でも景色はわかるの?」
「はい。むしろ色が鮮明になるんです」
「なるほど? 目が悪いという割に足取りがしっかりしてるのはそれだったのかな」
「はい……でもそれを家族に指摘されたことはなくて……ポリーはうっすら気付いてたと思うんですが、私が聞かれたくないことは絶対に聞いてこないので……色が見えて助かることはあっても困ることはなかったですし……その、隠しててごめんなさい。変な子だと思われるのが怖くて、誰にも言ってないんです」
「僕が初めて?」
「はい」
おずおずとサイラスを見上げたジュリアは息を呑むことになる。
自意識過剰だと言われてしまいそうだが、サイラスが独占欲の強い男性の顔をしているように思えたから。
「教えてくれてありがとう」
サイラスはジュリアを引き寄せると、耳元で囁いた。
「晩餐会で優と柊に会えるけど、浮気しないでよ?」
「なんっ」
目を見開いたジュリアの唇が塞がれた。
頭の中は、真っ白だった。
次からサイラスのターンです。
この作品に登場する人物・バンド名・楽曲は架空のものであり、実在する人物・バンド名・楽曲とは一切関係ありません。転生しても大好きなままでいられるぐらい素敵なバンドになぁれ~と思いながら書いてます( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )




