3.いよいよ
婚約して八年が経った。
「えっ!? 帰国してるの!?」
サイラスが帰国しているらしい。
最近会ったのは三か月前、ジュリアの十六歳の誕生日、成人を迎えた日だった。その日でさえ、一緒に紅茶を飲んだだけで、彼はすぐにデオギニアへ戻ってしまった。予定が無いこの時期に帰国の知らせが届けば驚くのも無理もないだろう。
「明日、王城で晩餐会?」
手紙には、サイラスの弟、第三王子レオナルドの婚約者であるエリーサベトの快気祝いを兼ねた晩餐会が、急遽開かれるという。ジュリアはルーペを動かし、もう一度手紙を読み直した。
サイラスは六歳下のレオナルドを溺愛している。可愛くて仕方がないのだと、そんな風に言っていたことがあるのだ。そのレオナルドと、エリーサベトの婚約が危うくなっていたらしい。エリーサベトの原因不明の体調不良が原因だったらしい。
サイラスは急遽帰国し、婚約解消を進めていた国王や王太子の説得に当たったのだとか。急ぎ帰国し、対応する必要があったため、ジュリアへの連絡が遅くなったと書かれている。
エリーサベトの体調が回復し、婚約解消の話は立ち消えたので、何事もなかったかのように『回復してよかったね』と言わんばかりの晩餐会を開くらしいよ、という嫌味たっぷりな言葉が添えられていた。
珍しく踏み込んだ内容に驚きながら、苦い気持ちになった。
(誰だって体調を崩すときぐらいあるじゃない)
公爵令嬢であるエリーサベトが、その程度で婚約者から外されそうになるなら、ジュリアなど、いつどこで婚約解消されても不思議ではない。
サイラスが不在のため、公務のほとんどをレオナルドとエリーサベトが担っているというのに、そんな危ないことになっていたなんて。
(晩餐ということは、この箱はドレスね?)
眼鏡をかけ、手紙と一緒に送られてきた箱を開ける。白と水色と青のグラデーションが美しいドレスだった。
次の日、贈られたドレスを着て身支度を整えると、サイラスが迎えに来てくれた。彼は相変わらず美しい青い色をしている。
「晩餐まで時間があるから、先に僕の部屋へ行こう。見せたい物があるんだ」
「はい」
城に到着すると「足元、気を付けてね」と言いながら、ジュリアに向けて腕を差し出してくれる。いつも通り、その腕にそっと手を乗せると、サイラスから嬉しそうな気配を感じた。それを合図に顔を上げ、背筋を伸ばして一歩を踏み出す。長らく王子妃教育を受けてきたジュリアに染み着いた振舞いだ。
「サイラスぅー!!!」
城内に響き渡る大声と共に、錆色の塊のような令嬢がこちらに走ってくる。
「急に帰国するなんて、聞いていないんだからねっ!?」
令嬢は息を切らしながらサイラスに詰め寄っていた。
「アンナ殿下……いつ、こちらへ?」
サイラスの声には鋭さがあった。そこへ駆けつけてきた人がアンナ殿下と呼ばれた令嬢に声をかける。
「姫様、なりません。今日は町の散策だけの約束だったはずです」
「だって、サイラスを見つけちゃったんだもん。しょーがないでしょう?」
「陛下はくれぐれもサイラス殿下にご迷惑をおかけしないようにと仰ってましたよね?」
「うるさいなぁ、お父様のことは今はいいでしょう? ねぇ、サイラスお願い!! 町を案内して? 私、ルヴァルド王国って初めてだからよくわかんないの」
斜め上のサイラスが、ため息を吐いた。
「アンナ殿下、何度もお断りしてますよね?」
「婚約者がいるから私とは付き合えないって話?」
「そうです。いま、僕の横にいる彼女が見えてますか?」
「見えてるわよ、この国のドレスって古臭いわよね。ひと昔どころかふた昔前って感じ」
「話になりませんね」
サイラスが手を振り上げると、騎士が駆けつけた。
「お連れして。デオギニアへお帰りいただくよう手配を」
「かしこまりました」
「ちょっと!! サイラスってば!! ねぇ!! 待って!! そんなダサいドレスの女のほうがいいって言うの!? ねぇ!?」
騎士に連れていかれそうになってもなお、叫び続ける彼女の錆色の赤と茶色が分離していくように見えた。
纏う色が激しく変化するとき、大抵よくないことが起きる。
眼鏡をかけていると見えない不思議な色は、祖父が倒れた時にはわからなかった。家族の前では眼鏡をかけていたからだ。
あのとき、眼鏡を外して祖父のことを見ていれば、事前に防げたかもしれない。足腰の弱った祖父は転倒し、強く頭を打ち付け、帰らぬ人となった。
それ以来、家族のみならず、フィンズベリー伯爵家で働く皆のことも、一日一回は必ず裸眼で見るようにしている。
サイラスの茶会でスザンナのことを助けたのは、あんな思いを二度としたくないからだった。
ジュリアは咄嗟に動いていた。
泣き出す前の幼子のような癇癪に、本気でぶつかってはいけない。
「ちょっと、触んないでよ!! 不敬よ!?」
騎士を振りほどき、声を張り上げる彼女に触れた。近くで見ると、ますます彼女の幼さが際立つ。
「アンナ殿下」
「なによっ!? 勝ったつもり!?」
ジュリアはゲームで負けて泣き叫ぶ、前世の従妹を思い出していた。
ゲームでジュリアが勝ったときだ。彼女は気難しく、負けると泣き、手加減されて勝っても泣いた。大人たちは早々に彼女とゲームすることを放棄した。
「あの、実は私、この近くに美味しいパフェのお店を知ってるんです」
「は!? パフェなんか、デオギニアにだっていくらでもあるわよ」
「桃ですよ?」
「えっ?」
ここでわざと、噂話でもするように耳元で囁く。
「私の親戚が営んでいるお店なんですが、侍女が案内しますので行ってみませんか?」
桃はルヴァルド王国の名産品で、甘くてジューシーだと国外でも人気がある。
冬の寒さに長くさらさないと上手く育たない品種の桃なので、南国のデオギニアでは育ちにくい。大ぶりな桃は皇室への献上品にもなるぐらいなので、きっと喜んでもらえるだろう。
「私の侍女は他にも楽しいお店を知っています。お供させていただけませんか?」
喚き散らす従妹を説得するには矛先を変えてしまうのが一番てっとり早かった。
彼女と似た気配のアンナであれば、乗ってくると思ったのだが。
「ちょっと、なんなの、あんた、人を幼子みたいに!!」
「失礼致しました。ですが、このまま騎士に連れていかれてしまうと、ルヴァルド王国の美しい景色も、美味しい食べ物も、楽しい町歩きも経験なさらずに帰国することになってしまいませんか?」
ここで空気を読んだポリーと、サイラスの侍従がジュリアの横に並んだ。
「サイラス殿下の侍従と共に、お供させてください」
二人が同時にアンナに頭を下げると、彼女の色が穏やかな色になっていく。
ポリーは緑色の優しい色を持っているし、サイラスの侍従は重厚な濃紺で、とても綺麗な顔立ちをしていると噂だ。二人に頭を下げられて悪い気はしないだろう。
「そんなに言うなら仕方ないわねっ。いいわ、案内させてあげる」
ツンと上を向いているように見えるが、声や色に明るさが出てきた。
(良かった。ここで騒ぎになると、サイラス殿下のお立場も悪くなるし)
すでに王城で働くたくさんの人に見られているが、少しでも丸く収まってくれるといいなと思う。
アンナの侍女、護衛、ポリーとサイラスの侍従を従え、城の外へ歩き出した彼女の背中を見送り、ホッと息を漏らした。
「お騒がせしました」
「騒がせたのはアンナ殿下で、ジュリアは丸く収めた人だよねぇ?」
呆れたような声が上から聞こえてきたけれど、ジュリアの心には清涼な風が流れていた。
サイラスがアンナに、婚約者と告げてくれていたことが、とても嬉しかったのだ。




