第9話 神崎リオと王の器
待ち合わせの喫茶店に入ったら、すぐわかった。
窓際の席に座っている女の子が、スマホを持ったまま入口を見ていた。
目が合った瞬間、立ち上がった。
そう僕は以前メールを送ってきた人に会いに来ている。
朝、家を出るときに義父さんにどこに行くのか聞かれた時は少し焦ってしまったが。
彼女は背が高く百六十五センチくらい。
一部を除き黒髪をポニーテールにまとめていて、服装はシンプルなジャケットとスラックス。
顔立ちが整っていて、落ち着いた雰囲気がある。
年齢は二十代前半か、あるいは大学生か。
「田中アルトさんですか?」
「…はい、以前メールをくれた方ですか?」
「そうです、冒険者大学所属の神崎リオです。本日は、来てくださってありがとうございます」
深く頭を下げた。
とても丁寧な人の様だった。
僕は向かいの席に座りとりあえず、コーヒーを頼んだ。
「…それで、話というのは?」
リオが僕を見た。その目は真剣なものだった。
「メールでもお話をしましたが、一昨日の田中さんが出ていた配信を全部見させて頂きました。」
「…ありがとうございます。」
「碑文の話、ヒナさんたちとしていましたよね?そして…帰還者、という言葉も」
僕は少し黙った。
「…見てたんですか、あの場面も?」
「見てました。……田中さん、私はその言葉を、実は前から知っているんです。」
コーヒーが来た。
僕はカップを持ちながら、リオを見た。
そして、気づいた。
「…前から、というのは?」
「…新宿ダンジョンにも、同じ碑文があります。私が最初に見たのは、二年前でした。」
「……読めたんですか?」
リオが少し間を置いた。
「少しだけ断片的に。でも田中さんほど明確には読めていません…。」
僕はコーヒーを一口飲んだ。
そして、コーヒーカップを持つ僕の手は震えていた。
理由は、彼女の見た目だった。
「……それで、俺に何を話したかったんですか?」
リオが姿勢を正した。
「田中さんは、帰還者だと思います。本物の」
「…本物の、というのは?」
「この二年間で、碑文が読めると言った人間は私の知る限り三人います。でも田中さんほど流暢に読める人は、いませんでした。それは…一度あちらに行って、戻ってきた人間にしかできないことだと、私は思っています。」
静かな喫茶店だった。
BGMがかすかに流れていた。jazz系の、落ち着いた曲。
僕はしばらく何も言わなかった。
「……あちら、というのは?」
「…ダンジョンの奥の繋がっている先です。」
リオの目が静かだった。嘘をついている目ではなかった。
「…異世界、ということですか?」
「はい。」
僕は震えを抑えながらカップを置いた。
「……一つ聞いていいですか?」
「何でも」
「なぜそれを知っているんですか?」
リオが少しだけ、目を伏せた。
「……私の父が、帰還者だったからです。」
「…お父さんだけですか?」
「……私も数年前にD災害に巻き込まれたことがあります。」
彼女は僕の目に気付いていた。
彼女は僕の目を見て逸らさなかったし、彼女の髪は一部が紫色であった。
だから、なんとなく彼女がDサバイバーなのかと思ったのである。
「田中さんにお願いがあるんです。」
「…何ですか?」
「次の探索に私も同行させてください。」
◇
翌日の探索は、渋谷ダンジョン第四層の続きからだった。
ヒナ、サクラ、そして今日は新たにリオも同行することになった。
入口でヒナがリオを見た。
「…神崎リオさんですよね?昨日アルト君から連絡を貰いました。」
「はい。今日はよろしくお願いします」
ヒナがリオを見て、リオを見て、もう一度僕を見た。
「……アルト君、昨日どこで会ってたんですか?」
「喫茶店で少し…」
「なんでうちに言わなかったんですか?」
「…言う必要があると思わなかったので。」
普段気さくで明るいヒナの口調がいつもと違った。
そして、ヒナの目が細くなっていき、場の雰囲気が凍る。
サクラが横で小声で「…ヒナ、落ち着いて」と言った。
「オチツイテル」
「全然落ち着いてないわよ!」
リオが僕の隣に並んで、ヒナに向かって笑顔を向けた。
「白川さん、田中さんのこと、よく知ってるんですか?」
「……知ってます。うちが一番知ってますからっ!」
「…そうなんですね。」
リオが僕を見て言った。
「田中さんのこと、私も、もっと知りたいと思っています」
「はあ…?」
ヒナのこめかみに青筋が立っていることから目を逸らし前を歩く。
後ろでヒナが何か言いかけて、サクラが止めていた。
僕はどうすればいいのか分からず、とりあえず三人を連れて、第四層への階段を下りた。
僕には女の人の心模様は難しく、やはり平和に生きるのは難しいと思った。
◇
第四層の奥は、来るたびに雰囲気が変わる。
今日は空気が違った。
壁の赤みが強くなっている。
光苔が少ない。代わりに床が、微かに温かかった。
「……熱源が近いっ!」
リオが呟いた。
「第四層の深部に《マグマトード》の群れがいるはずです。両生類型の高熱魔物で、体内温度が八百度を超える。近づきすぎると周囲の気温が上昇します。」
「詳しいですね」
「父の資料を読んでいたので。」
リオの声が少しだけ落ちた。
僕は何も聞かなかった。
彼女もDサバイバーであることを隠したい様だったから。
通路の奥から、低いうなり声が聞こえてきた。
《マグマトード》
昨日の《フレイムリザード》よりさらに大きい。
体長三メートル近い両生類型の魔物が、通路を塞ぐように五体、並んでいた。全身が煮えたぎる溶岩のような橙色で、足を踏み出すたびに石畳が焦げていた。
ヒナが武器を構え、リオも構えた。
「アルト君!」
ヒナが言った。
「後ろにいてください。二人で——」
「大丈夫です。」
僕は前に出た。
一体目が口を開け熱線に近い、凝縮された炎が飛んでくる。
…やっぱり、鮮明に見える。
僕はナイフを構えず右手を前に出した。
炎が、手のひらで止まった。
消えたのではない。
止まった。
僕の右手に吸い込まれるように、炎を握りつぶした。
手のひらが、かすかに熱が残っていた。
手に魔力の紫色の煙が僕には見えている。
「……っ」
後ろでリオが息をのんだ。
僕は特に考えずに自然に前へ踏み込んだ。
一体目の額を右手で軽く叩いた。衝撃波が走って、一体目が石畳に倒れた。
二体目、三体目。同じように。
四体目は逃げようとした。僕は足元の石畳を蹴って、一瞬で間合いを詰めた。
五体目は、僕を見て、最初から動かなかった。
ゆっくりと、腹を見せるように伏せた。
降参、のような仕草だった。
僕はその五体目をしばらく見た。
「……行っていいよ?」
五体目は素早く立ち上がって、通路の奥へ消えた。
僕は振り返った。
ヒナが口を開けていた。サクラが背嚢を地面に落としたまま固まっていた。リオだけが、静かな目で俺を見ていた。
「……魔力を視認できるんですか?」
リオが言った。
「…なんとなく感じるだけですよ。」
「魔力を辿って握りつぶしていましたよね?」
「……なんとなく出来る気がして。」
「田中さんっ!」
リオの声が、少し強くなった。
「その力、父が言っていた力と同じですっ!」
僕は何も言わなかった。
「……リオさんのお父さんは、何と言っていたんですか?」
「…《王の器》、と呼んでいました。」
再度静寂が落ちた。
《マグマトード》が倒れた石畳だけが、じわじわと冷えていった。
◇
帰り際。
リオが言っていた碑文の前を通った。
やはり今日も、文字が増えていた。
——《帰還者よ、門はまだ開いている。汝が思い出す時、すべてが始まる。鍵は、汝の血の中にある。器が満ちる時、門は開く》
器が満ちる時、門は開く?
今日、炎を見たときに魔力の流れが昨日よりはっきり見えた。それが関係しているのだろうか?
王の器?
僕はこの言葉を、どこかで聞いた気がした。
夜見ている夢の中では、なかった。
もっと遠い場所で。
もっと昔、という感覚とも違う。
——当たり前のこととして、知っていた気がした。
ヒナが僕の隣に来た。
「アルト君。」
「…あ、はい、どうしましたか?」
「……大丈夫?」
ここ最近頼りにされていたようだが、考え込んでいる僕をヒナが心配そうに見ていた。
僕は回答に困り少し考えた。
「大丈夫ですよ?」
「…本当に?」
ヒナさんは僕のことをちゃんと見てくれているようで、僕は少し嬉しかった。
だからこそ、ヒナさんに心配を掛けたくない。
「本当に大丈夫です!」
ヒナが僕の顔を見上げるように見てきた。
「それ、強がりでしょ?」
「…はい。少しだけ強がっちゃいました。」
「ほらぁ~、やっぱりね!」
ヒナが少し笑った。
小さく、静かな笑いだった。
「……今は教えられない感じ?」
「僕の覚悟の問題でまだ言えません。」
「そっかぁ。…うん、分かった!言えるようになったら教えてね?」
ヒナの機嫌を損ねたかもしれないかと思ったが、どうやらその心配はないようだった。
「ヒナさん…ありがとうございます。」
僕はそれ以上何も言わなかった。
ヒナさんは待っていてくれると思ったから。
ヒナさんは歩き出した。
後ろでサクラが「ヒナ何を話していたの?」と小声で言っていた。
ヒナが「ひみつ~!」と小声で言っていた。
リオがその二人を静かに見ていた。
僕は前を向いたまま、歩いた。
今日は疲れた一日だった。
でも、自分はもう一人じゃないんだと実感できるいい一日だった。
面白いと思ったら、コメント、フォロー、評価をお願いいたします!
とても、励みになります!




