第77話 父と娘
※別視点
報告の電話が入ったのは、夕方だった。
男は、部屋の窓際に立ったまま電話を取った。
「……どうだった。」
「碑文の内容、確認できました。今回の内容は『時は近い、王の血が鍵、記憶が扉を開く』という趣旨のものです。」
「……そうか。」
「本人の反応も確認しました。碑文に接触した際、肉体的な反応は今回は見られませんでした。ただ、読む声のトーンが明らかに他の文字と異なっていました。知っている言語を読む時の、自然な抑揚でした。」
「……確信は出来たか?」
「九割五分、といったところかと。ただ、まだ記憶の解放は完全ではないようです。今回の碑文でさらに進む可能性があります。」
男は、少し間を置いた。
「……疑わしきは、処分する。」
「……よろしいのですか?まだ完全な確認が取れていない段階で。」
「構わない。確認を取ってからでは遅い。記憶が完全に戻れば、こちらの手が届かなくなる可能性がある。……それに神崎を処分した時に我々は後に引くに引けないところまで来てしまっている。」
「……承知しました。」
「これで報告は終わりか?」
「……いえもう一つございます。」
声のトーンが変わった。
「……では、報告を続けろ。」
「…はい。本日、想定外の同行者がいました。」
「誰だ?」
「……○○さんです。事前に把握していなかった形で合流し、しかも配信を行っていました。」
「……配信だとっ!?」
「はい。白川グループという社名も、依頼という事実も、視聴者に向けて発信していました。」
電話の向こうで、長い沈黙があった。
「……そうか。」
その声が、低くなった。
「……配信を行われたことで、今回の行動に制約が生じたか?」
「大きくはありませんが少し生じてしまいました。記録の段階では問題ありませんでしたが、実行に向けた次のステップで、映像が残ることへの配慮が必要になります。」
「……あの子は、何を考えているんだ。」
その言葉は、部下に向けたものではなかった。
独り言に近かった。
「……娘さんの件、どう対処しますか?」
「ここに呼んで私の方から注意しておこう。」
「……承知しました。」
「では、残りも頼んだぞ。」
「……はっ!」
電話が切れた。
男は、窓の外を見た。
夜の街が、灯りを灯し始めていた。
やれやれ、というように息をついた。
計画が狂った、という感情ではなかった。
それよりも、もっと個人的な苛立ちだった。
◇
呼び出されたのは、夜の8時を過ぎてからだった。
彼女は書斎のドアをノックして、返事を待ってから入った。
父が、デスクに座っており書類を見ていたが、彼女が入ると手を止めた。
「……そこに座れ。」
短く言った。
彼女はソファに座った。
「……今日、配信をしていたそうだな。」
「……はい。」
やっぱり、西条の方から報告が挙がってしまったようだ。
「社名も、依頼の件も、全部視聴者に流したそうだな。」
「……はい。」
父が、書類をデスクに置いた。
「……なぜそんなことをしたんだ。」
「……記録を残したかったから。」
「記録、だと?」
「……映像が残れば、何かあった時に証拠となり確認が取れると考えました。」
父が、少しの間彼女を見ていた。
「……小賢い真似をするようになったな。」
褒めているわけではないのだろう。
その証拠に目の前の男がうちを見る目は娘を目ではなかった。
「お前が何を守ろうとしているのか、分かっているのか?」
彼女は何も言わなかった。
「一つだけ教えてやろう。…今後、あの少年の周囲で我々の行動を妨害するようなことがあれば――」
父が、うちに向かって静かに言った。
「娘であっても、同様に対処する。」
その言葉の意味を、彼女は一瞬で理解した。
「……それでも、やめないつもりか?」
「……。」
「……そうか。いや、答えなくていい。お前の目を見れば分かる。」
父が、立ち上がった。
窓の方へ歩きながら、話し始めた。
「……一つ、昔話をしよう。あちらの世界の話だ。」
彼女は黙って耳を傾けた。
うちがあっちにいたのは幼少の頃のみであまり記憶がなかったから。
「……王は、最初は希望だったのだ。」
父の声のトーンが、少し変わった。
「あちらの世界、アルカディアには様々な種族がいる。人間だけではなく、魔族、獣族、精霊族、その他にも数多くの種族が存在している。それぞれに争いがあり、長い歴史の中で戦い続けてきた。そして、奴が現れた…魔獣の頂点に座する王【魔獣王】がな。魔獣王は種族関係なく全てを喰らい人類はどんどん数を減らしていった。」
「……知っています。少しだけ。」
「その時世界に、王が現れた。まるで、魔獣王と対をなすようにな。…その王は一人の人間として、全ての種族をまとめた。言葉と力と、そして何よりも、誰もが従いたいと思わせる何かを持っていた…。」
父が、窓の外を見たまま続けた。
「少し話を省くが、その王は、魔獣王を討伐した。世界中の種族が恐れていた存在を、王は仲間と共に討ち滅ぼした。世界は、平定されたのだ。」
「……それは、いいことじゃないんですか?」
「いいことだった。最初だけはな。」
父が、少しだけ振り返った。
「平和になった世界で、各種族は気づいた。王があれだけの力を持つ存在であることに。魔獣王を倒せる力が、今は自分たちに向く可能性があることに。」
彼女は、黙って聞いていた。
「…ある種族は、王の力を恐れた。いつか自分たちが滅ぼされると思い、王を排除しようとした。ある種族は、王を取り込もうとした。その力を自分たちのものにしようとした。そして、ある種族は王を騙した。」
父の声が、少し低くなった。
「騙して、利用して、王が気づいた時には遅かった。」
「……どうなったんですか?」
「各種族が、王をめぐって争い始めたのだ。王の力を恐れる者と、欲しがる者と、利用しようとする者が、ぶつかり合い平定されたはずの世界が、王の存在によって再び戦場になった。」
「……それは。」
「そして王は、その状態を見て――」
父が、窓の外に視線を戻した。
「全てを捨てて、逃げ出した。」
静寂が落ちた。
彼女は、その言葉を反芻した。
逃げ出した。
それも、全てを捨てて……。
「……王が可哀想だと思うか?」
「……はい。……理不尽だと思います。王は世界を救ったのに、なぜそんな目に遭わなければいけないんですか?」
父が、少しの間黙っていた。
「……感情的だな。」
「……でも、そう思います。」
「王に可哀想かどうかは関係ない。」
父は、静かに言った。
「問題は、その力だったのだ。魔獣王を討伐できる程の力が、この世界に存在してはいけない。あの力が目覚めれば、またあちらの世界の繰り返しになる。」
「……でも、それは王のせいじゃない。」
「そうだ。」
父が、意外なことを言った。
「王のせいではない。だが、王の存在がそうさせる。王自身の意志に関係なく、その力が周囲を狂わせる。」
「……。」
「我々は、それを既に知っている。…見てきたからな、だから、閉門衆は作られた。逃げた王を捕まえ二度とアルカディアに来れぬよう追放…もしくは処分するために。」
彼女は、父の目を見た。
その目が、怖かった。
怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもないのだろう。
だけど、その奥の奥に、何か別のものが見えた気がした。
あれは何かもっと違う、ドロドロとした何かだ。
うちは父が怖くなり自然と体が強張んできてしまう。
「……下がれ。」
父がうちに言った。
「……はい。」
彼女は立ち上がった。
ドアに向かいながら、思った。
父の話は、論理としては分かった。
王の力が周囲を狂わせる、だから排除する。
でも、それは王本人に何の罪もないということを、父自身が認めていた。
罪のない人間を、排除する?
それも、確定しているわけでもないのに?
それを、父は「それだけだ」と言ったんだ…。
彼女はドアを開け廊下に出て、静かに閉める。
壁に背中を預けた。
全てを捨てて王は逃げ出したと言っていたけど、それって、どんな気持ちだったんだろう。
誰かが怒っていて、誰かが恐れていて、誰かが利用しようとしていて。
その全部の真ん中に立って、全部を捨てて逃げ出した。
それで今度は、その逃げ先でも追いかけられている。
「……ひどい話だよ、そんなのあんまりだよ…。」
声にも出てきてしまった。
誰もいない廊下に、その言葉が消えた。
彼女はしばらく、壁にもたれたままエレベーターが来るのを待っていた。
――世に理不尽は溢れておるのじゃ、こんなこと望んでおらんかったのに…。
――世界は汚れすぎている…。
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