第73話 守護と女の子の決意
連続別視点!
※別視点
呼び出されたのは、夜の9時過ぎだった。
夕食を終えて部屋に戻ろうとしたところで、使用人が廊下に立っていた。「旦那様がお呼びです」と、それだけ言った。
父に呼ばれることは、珍しくなかった。
ただ、この時間は珍しかった。
書斎のドアを開けると、父とは別に、もう一人いた。
スーツを着た男だった。
三十代半ばの、顔色の悪い男…この人は閉門衆の幹部だ。
…父の傍らに立って、いつも報告をしている人だった。
「来たか。」
父が振り返らずに言った。
窓の外を向いたままだった。
「……はい。」
「座れ。」
彼女はソファに座った。
男が、父に向かって話を続けた。
「碑文の件ですが、先週末の渋谷ダンジョンでも確認が取れました。田中アルトは、第二層の碑文を読みました。しかも今回は、アルディスという名前まで。」
あの時、聞かれていたんだ…。
父の背中が、少しだけ動いた。
「……アルディスと、読んでいたのか?」
「はい。流暢に、正確に。碑文の変化にも対応していました。」
「そうか…そうかっ!」
父は、短くそれだけ言うと、ひじ掛けを強く握りしめた。
「……確定、ということか?」
男が、慎重に言った。
「9割以上、かと。あれほど流暢に読める人間は、一度向こうにいた者でなければ不可能です。しかも、アルディスの名前に反応していました。体内魔力が碑文に反応したものかと。監視員からの報告です。」
父が、ようやく振り返った。
その顔は、いつもと変わらなかった。
怒っているわけでも、興奮しているわけでもない。ただ、何かを処理している顔だった。
「……組織を発足させた当時の目的を、もう一度確認する。」
男が頷いた。
「はい。王をアルカディアに殺害、若しくはアルカディアに帰さないことだ。王が存在する限り、我々の世界は破滅へと向かうだろう。我々は帰還することを最優先としていたが、王が現れたのなら話が変わる――」
――王候補は排除する。
父が、静かに言った。
「長かった…こちらに来て8年前か。」
男が、また頷いた。
「……田中アルトの日常行動の把握は、どこまでできている?」
「学校の時間割、放課後の行動範囲、よく行くダンジョン、交友関係、全て把握しています。」
「同行者は?」
「複数います。ただ、単独になる時間も存在します。下校後、ダンジョンに向かう前の短い時間帯に。」
「そこを狙え。」
彼女の、手が震えた。
「……時期は?」
「急ぐ必要はない。ただ、長くなればなるほど記憶が戻る可能性がある。記憶が完全に戻った状態では、排除が出来なくなる。出来るだけ早い方がいいだろう。」
「では、来週中には計画を固めます。」
「頼んだぞ。」
男が書斎から出ていった。
部屋に、父と彼女だけが残った。
父が、彼女を見た。
「……聞いていたな。」
「……はい。」
「いい機会だ。」
父は、ソファの向かいに座った。
「お前も知っておくべき話だ。田中アルトは、我々の目的の障害になる存在だ。感情で判断するな。」
彼女は、何も言わなかった。
「お前があの少年と行動を共にしていることは知っている。情報収集として、これまでは黙認していた。」
「……。」
「だが、これ以上近づく必要はない。理解できるか?」
彼女は、顔を上げた。
父を見た。
「……はい。」
「よし。下がれ。」
彼女は書斎を出た。
廊下に出た瞬間、足が止まった。
壁に手をついた。
手が、震え息が、うまくできない。
来週中に計画を固める、そう言っていた…。
その言葉が、頭の中でぐるぐると回る。
「……っ。」
声を殺した。
廊下に、誰もいない。
誰もいないのに、彼女は声を出せなかった。
お前も知っておくべき話だ。
感情で判断するな。
理解できるか?
理解できない、でしょ。
できるわけがないっ!
できるわけが、なかった。
◇
翌日から、彼女の行動が変わった。
自分でも分かっていた、変えているのではなく、変わらずにはいられなかった。
学校では、同じ学年ではないから一緒にいられない。それだけは、どうにもならなかった。授業中もずっと、あの子に仕掛けた盗聴器で何が起きているかを聞いていた。
でも、放課後は違う。
「ヒナさん、今日も来たんですか?」
あの子が、驚いたような顔で言った。
「うん。だめかな?」
ずるい言い方だ。
こういえば、この子が断らないことを知ってて言っているのだから。
「だめじゃないですけど、最近毎日来てますよね。」
「うちがいたいから、いるんだよ~。」
あの子は何か言いかけて、やめた。
それでいい。理由を聞かれても、答えられないんだから。それに、答えたくない…。
ただ、傍にいたい。
傍にいることだけが、何もできない今の彼女にできる唯一のことだった。
ダンジョンに潜る時は、前衛に入った。
以前より、意識して前に出るようにした。
あの子をなるべく後ろに置きたかった。
「ヒナさん、今日は積極的ですね。」
エミリという女が、少し不思議そうに言った。
「なんかやる気が出てきた感じって言えばいいかな?」
「…そうですか。」
エミリは特に深追いしなかった。
賢い女だ、と思った。
夜、部屋に戻ってから、スマホを開き、配信アプリのアイコンを、長い間見つめた。
動画配信を辞めてから、もう2ヶ月も経っていた。
辞めた理由は、あの子には成長の為と言ったが、本当は父に止められたからだ。
目立つな、余計なことをするな、と言われた。
だから辞めさせられた。
でも今は、配信を再開しようと思っている。
配信なら、皆に見てもらえる。
ダンジョンで何かが起きた時、記録として残る。
自慢じゃないが、結構配信者としては、に気があった方だと思う。…まさか役に立つとは思いもしなかったけど。
でも、それだけじゃなかった。
ただ、声を届けたかった。
あの子に、うちの声を、届けたかった。
アプリを開いた。
配信設定の画面を開いた。
タイトルを入力する欄に、指を当てた。
少し考えて、打ち込んだ。
『帰ってきた、ヒナヒナ!またダンジョン配信を再開します!見てくれるかなぁ?』
シンプルだった。
それでいい、と思った。
計画は来週中にと言っていた。
時間がない…。
彼女に何ができるかは、まだ分からない。
誰かに話すことも、助けを求められない。
きっと、うちも消されるのだろう…。
でも、これは生まれて初めての父への反逆だ。
ならば、出来るだけ視聴者を集めなければいけない。そうだ、ダンジョンに潜る前に挨拶動画くらいは撮ろう、少しでも視聴者を。
それだけを、今はやる。
スマホを持ち直し配信ボタンを、押した。
画面の中に、自分の顔が映った。
そうこれが、うちのいつも通りの顔だった。
――うちは偽りの笑顔《仮面》を被る。
「……お久しぶりです。ヒナです!帰ってきましたっ!」
カメラに向かって言い放つ。
「またダンジョンに潜ろうと思って。しばらくお付き合いください。」
コメントが流れ始めた。
久しぶりっ!?、とか、お帰りっ!!!!、とか、そういう言葉が並んでいた。
彼女はそれを見ながら、笑い続けた。
笑うのは得意だった。
ずっと、笑い続けてきたんだ。
だから、今夜もうちはちゃんと笑える。
カメラの向こうにいる誰かに向けて、画面のこちら側の本当の気持ちを隠しながら。
それが彼女の、育ててきた心の仮面。
――うちが…うちが守ってみせる。
――無理をする必要はないのよ?
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