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現代冒険者のすゝめ ~高校受験に落ちた僕、冒険者になってみた!~  作者: あっかんべー
第3部:深層と蛙と痛み

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第71話 碑文

週末の渋谷は、いつも通り人が多かった。

住宅街を出た瞬間に、人の波に飲まれそうになる。ダンジョンができてからも、渋谷という街の賑わいはあまり変わっていない。


むしろ、ダンジョン関連の店や施設が増えたことで、以前より栄えているくらいだ。

待ち合わせ場所に着くと、リオさんが先に来ていた。


「……田中さん、おはようございます。」


「おはようございます。今日はよろしくお願いします。」


「こちらこそ。」


リオさんはいつもと同じく、落ち着いた印象だった。シンプルな服装に、調査用の小さなバッグを持っている。碑文の記録用に、ノートとペンも入っているらしかった。


……これからダンジョンに行くんだけどなぁ。

装備は…なしかぁ。今日は護衛をすればいいのかな…?


「ヒナさんは?」


「もうすぐ来ると思います。」


少しして、ヒナさんが駅の出口から出てくるのが見えた。


「……おはよう、アルト君…それにリオさんも。」


「おはようございます、白川さん。」


「おはようございます、ヒナさん。」


ヒナさんはいつも通り、そう聞こえた。

笑っているし、声のトーンも普通だ。


だけど、何かが違う…?

うまく言葉にできないけど、ただ、どこかがいつもより落ち込んでいるような…?


「サクラさん、今日は来られないんですね。」


リオさんが言った。


「えっあ、うん、用事があって。残念だけど。」


「また今度、ですね。」


「そうですね。」


ヒナさんが笑った。

それも、いつも通りの笑いだった。


だけど、僕の目には、その笑いの少し後ろに何か別のものが見えた気がした。


何なんだろう?と思いながらも、僕たちは渋谷ダンジョンの入口へ向かった。



「封鎖解除、本当に良かった。」


ダンジョンの入口を抜けながら、ヒナが言った。


「ここ、閉まってる間ずっと気になってたんだよね。」


「マグマトードの件がなければ、もっと早く来られたんですけどね。」


「しょうがないよ。……それより、リオさん。今日は碑文の調査が目的でしたっけ?」


「はい。田中さんにもご協力いただけると助かります。」


「もちろん。」


一層は、以前と変わりなかった。

封鎖されていた期間があったおかげか、魔物の数が少し多い気がしたが、それほど問題にはならなかった。


ヒナさんが前衛で崩して、リオさんが補助して、僕が仕上げる形でさくさく進んでいく。


「……田中さん、フランベルジュ、もう慣れましたか。」


リオさんが歩きながら言った。


「まだ完全には。でも、ナイフより手に馴染む気がします。」


「炎の性質を持っていますからね。田中さんの魔力と相性がいいのかもしれません。」


「……そうかもしれないです。」


「……あの短剣、見せてもらえますか?」


ヒナさんが横から言った。

僕はフランベルジュを腰から外して渡した。

ヒナさんが、両手で受け取って、光にかざした。


因みにまだ、召喚できることは伝えていない。

だって、召喚すると喧嘩するし、片方だけ召喚すると片方が拗ねてしまうから…。

現在は、武器の中で反省させている。


「……綺麗な刀身だね。波打ってる。」


「フランベルジュっていう形なんです。職人さんが作ってくれて。」


「アクリさん?」


「はい。」


ヒナさんは少しの間、刀身を眺めていた。

それから、僕に返した。


「……大切にしてね。」


「もちろんです。」


その一言だけだった。

それだけなのに、なぜかその言葉が、少し重く聞こえた。


「ヒナさん、大丈夫ですか?」


つい聞いてしまった。

ヒナが、ちょっと目を丸くした。


「……え、何が?」


「なんか、今日、いつもより少し……。」


「…元気ないように見える?」


「……少し。」


ヒナさんは少しの間、僕を見ていた。それから、笑った。


「ちゃんと見てくれてるんだね、アルト君は。」


「……はい。」


「大丈夫だよ。ちょっとだけ、考え事してるだけ。」


「……そう、ですか。」


「うん。」


それ以上は聞かなかった。

ヒナさんが話したくないなら、聞かない。


話してくれるまで待とう、その方がヒナさんにとっていいと思うから。



二層への階段を下りた先、少し進んだところに、それはあった。


通路の壁の一角、他の壁とは明らかに違う石材が使われているところ。表面が滑らかで、光の反射が違う。


碑文だった。


これを見るのもとても懐かしいなぁ。

つい最近見たばっかなのに、色んなことがありすだよね…。


「……ここです。」


リオさんが、立ち止まった。目が輝いていた。

ノートをバッグから取り出して、構える。


「…それで、その、田中さん、読めますか?」


「……読んでみます。」


近づいた。

壁に刻まれた文字を見た。


前に来た時からまた変わっていた。


……やっぱり、文字の量が増えてる…。


前は「帰還者よ、門はまだ開いている」から始まっていたものが、今日は冒頭から違っていた。


「……読みます。」


息を吸って、声に出した。


【王は帰ってきた。

強き意志と仲間を携え、帰ってきた。

我らは祝福する、王の帰還を。

愛しき、我らが王――】


――っ!?


そこで、手が止まった。

最後の一行に、名前と思しき文字があったから。


今まで碑文には、名前など出てきたことがなかった。

ただ「王」と呼ばれていた。

だけど今日は違った。


「……アルディス。」


声に出した瞬間、頭の中で何かが動いた。


「……っ。」


景色が、少しだけ揺れ頭痛がする。


気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪いっ!


目を閉じていないのに、別の場所が見えた。


大きな城だった。

夜空の下、無数の松明が燃えていた。

遠くで誰かが叫んでいた。

戦の声か、あるいは歓声か、どちらか判断できなかった。

手に、剣を握っている感触があった。

鎧の重さが、肩にある感触があった。


そして、誰かの声が聞こえた。


『――陛下。』


誰かが、僕を呼んでいた。

陛下、と。


「田中さんっ!」


リオさんの声で、現実に引き戻された。


「……っ、あ、すみません。」


「大丈夫ですか?急に黙ってしまったので。」


「……大丈夫です。少し、ぼーっとしてしまって。」


「名前が書かれていたんですね?さっきの、アルディス、という名前が。」


「……はい。」


リオさんの目が、興奮で輝いていた。


「田中さん、これは重要です。今まで碑文に人名が出てきたことは、どのダンジョンでもなかったはずです。もしかしたら、これが重要な名前なのかもしれません。」


「……そうかもしれないですね。」


「記録します。少しだけ待ってください。」


リオさんがノートに碑文を書き写し始めた。

僕はそちらに背を向けながら、さっきの感覚を反芻していた。


城と剣と鎧とあの歓声……。

それに「陛下」という呼びかけ。


夢とは、少し違うのだろう。

夢はいつもぼんやりしていて、形がはっきりしない。だけどさっきのは、違った。


でもさっきのあれはもっとくっきりしていた…。

まるで、本当にそこにいたみたいな――


「アルト君。」


ヒナさんの声だった。

振り返ると、ヒナさんが僕を見ていた。


その目が、少し違った。

ヒナさんはいつも、僕を見る時に温かい目をしている。心配する目、笑う目、呆れる目、でも全部、温かい色をしている。


だけど今は、違う色が混じっていた。


どうしたんだろうか?


「……ヒナさん?」


「……ねえ、アルト君。」


ヒナが、少し声を落として言った。

リオさんに聞こえない音量で。


「その名前、どこかで聞いたことある?」


「……少しだけ。」


「少しだけ、か。」


ヒナが、小さく息をついた。


「……そっか。」


「ヒナさん、何か知ってるんですか?」


ヒナさんは少しの間、何も言わなかった。

それから、首を横に振った。


「……ううん、何でもない。」


「……本当に?」


「本当に。」


ヒナさんが笑った。

でも、その笑いは今日一番、薄くカラカラと乾いていた。


「……なんか、アルト君が遠くに行っちゃう気がして。」


「……どういう意味ですか?」


「分からない。ただ、そんな気がして。」


ヒナは、自分でも答えが分からないという顔をしていた。

だから僕も、それ以上聞けなかった。


「……行きませんよ。どこにも。」


「……うん。」


「ヒナさんたちがいるから。」


ヒナさんが、また笑った。

今度は、少しだけいつものヒナさんに近かった。


「……そっか。じゃあ、それでいいや。」


「田中さん、ありがとうございます。書き写せました。」


リオさんが振り返った。


「アルディスという名前、今後の研究に重要な手がかりになりそうです。父の残した資料にも、この名前が、もしかしたら出てくるかもしれない。」


「……リオさんのお父さんの資料に?」


「はい。帰ったら確認してみます。」


リオさんは嬉しそうだった。

その横で、ヒナさんは通路の奥を見ていた。

何を考えているのか、僕には分からなかった。

だけど、ヒナさんの横顔が、今日初めて、本当に疲れているように見えた。


「……戻りましょうか。」


「そうしましょう。」


「うん。」


三人で、来た道を戻り始めた。

通路の壁に刻まれた碑文が、後ろで静かに輝いていた。


――アルディス


その名前が、頭の中でずっと響いていた。

知らないはずなのに、知っている。

不思議な感覚……。


それが自分の名前のように、当たり前のこととして認識できたことは胸に秘めておこう。


きっと、気味悪がられてしまうから。



ダンジョンを出ると、もう夕方になっていた。

渋谷の街が、オレンジ色に染まっていた。


「今日はありがとうございました。」


リオさんが、深く頭を下げた。


「重要な発見でした。また同行させてもらえると嬉しいです。」


「もちろんです。」


「では、私はこれで。帰って資料を確認します。」


リオさんは足早に駅の方へ向かっていった。

ヒナさんと二人になった。


「……どうする?どこか寄る?」


「ヒナさんが行きたいところがあれば。」


「ん~…。」


ヒナさんが少し考えて、首を横に振った。


「……今日は帰ろうかな。ちょっと疲れちゃった。」


「そうですか。」


「うん。」


駅の方へヒナさんが歩き出した。


「……アルト君。」


「はい?」


立ち止まらずに、背中を向けたまま言った。


「また来週も一緒に行こうね。」


「……もちろんです。」


「……約束ね。」


「約束します。」


ヒナはそれ以上何も言わずに、夕暮れの人混みの中へ入っていった。


金色の髪が、オレンジ色の光を受けて揺れていた。

僕はしばらく、その後ろ姿を見ていた。


その背中が、僕には小さく…今にも消えてしまうんじゃないかと思うほどに寂しそうに見えた。


――今回は、無理だったか。

――むむむ…。気を付けよ、アルト…。


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