第70話 召喚、炎蛙《えんあ》
アクリさんから連絡が来たのは、約束していた二週間後のことだった。
『できたぞ。取りに来い。』
電話越しの声が、いつもより少し得意げだった。
学校が終わった後、マサトと小林さんとエミリさんを連れて店へ向かった。カウンターの向こうから、アクリさんが何かをそっと取り出した。
炎のように波打つ綺麗な短剣がそこにはあった。
フランベルジュという名前の通り、まるで炎の形そのものを刃にしたみたいだった。柄の部分には、小さく炎の意匠が彫り込まれている。
「……すごい。」
思わず声が出た。
「触ってみろ。」
恐る恐る柄を握った。
その瞬間、刀身が一瞬だけ赤く輝いた。
「……っ。」
「驚くな。お前の魔力に反応してるだけだ。」
アクリさんが言った。
「あ~それと、もう一つ。お前に説明しなきゃいけないことがある。」
「何ですか?」
「この短剣、やっぱり特殊能力がついちまった。」
「……特殊能力?」
「あぁ、しかも召喚だ。」
僕は固まってしまう。
「……召喚って、まさか。」
「魔石の中に宿っていた個体の意思を、呼び出せる。お前のあの槍と同じ仕組みだな。共鳴でもしたのか…とにかく召喚だな。」
ルージュと同じ仕組み。
つまり、剛腕炎蛙――ヘカトンケイルを、呼び出せるということだった。
「……でも、あいつ、あの戦いで消えたんじゃ。」
「消えたわけじゃない。魔石になった、ってことは、形を変えて存在し続けてるってことだ。お前の槍と同じだよ。」
僕は短剣を見た。
刀身の中心に、小さな赤黒い結晶が埋め込まれている。あの時の魔石の名残だった。
「……試してみるか?」
アクリさんが言った。
「ただし、店の外でやれ。狭いと危ない。」
◇
店の裏手の空き地で、僕は短剣を構えた。
「……呼んでみます。」
刀身に意識を集中させた。
「……炎蛙。聞こえますか。」
短剣の結晶が、赤黒く脈動した。
光が膨らんだ。
熱気を伴った輝きが空き地を満たし、人の形を作っていく。
そして、そこに立っていたのは――
「……え。」
マサトが、口を開けたまま固まった。
小林さんが「うわぁ……」と声を上げた。
エミリさんも、珍しく驚いた表情をしていた。
そこにいたのは、少女だった。
赤黒い髪が、炎のように揺らめいている。瞳は赤く、どこか爬虫類的な縦長の瞳孔をしていた。肌の一部に鱗のような模様が浮いていて、頭の両脇には小さな水かきのようなものがついた耳がある。服装は、戦闘用の軽装に近い赤黒い衣装だった。
明らかに、人間ではない要素を持っている。
だけど、見た目は完全に少女だった。
「……えっ女の子だったの!?」
僕は思わず叫んでしまった。
少女が、僕を見た。
その赤い瞳が、見覚えのあるものだった。
「……ぬし。」
口調も、聞き覚えがあった。
整っていない人語ではない。完全に、流暢な人間の言葉だった。
「……お前、もしかして。」
「……炎蛙です。あの時の。」
少女は、深々と頭を下げた。
「……はい。敗者は、勝者に従う。それが、我らの掟です。」
「……あの、頭を上げてください。」
「……ぬしに従い、群れを形成したいと思います。」
「群れ……?」
「はい。我が眷属を呼び寄せ、ぬしの軍勢として――」
頭に浮かぶのは、少女たちが僕の前で跪いて「「「ぬし」」」と連呼しているのが浮かんでしまった。
「やめてください!!」
慌てて止めた。
「群れとか軍勢とか、そういうのは要らないです。本当にやめてください。」
炎蛙は、少し困惑した顔をした。
「……敗者は勝者に従うのが、我らの本能です。」
「人間社会では群れを作ったら大変なことになるので、お願いします。やめてください。」
「……ぬしの意思に従います。」
炎蛙が、すんなりと納得した。それも逆に怖かった。
「……あの、記憶、全部残ってるんですか。」
「はい。ヘカトンケイルだった時の記憶も、その前のマグマトードだった時の記憶も、全て。」
「……渋谷ダンジョンのことも?」
炎蛙の瞳が、少しだけ揺れた。
「……はい。あの時、ぬしに逃された記憶も。」
「……。」
「2回目…ぬしを逃がし舞った時の記憶も。」
「……。」
「……あの時から、ずっとぬしを追ってきました。今は、それが間違っていたとは思っていません。むしろ、こうしてぬしの一部になれたことを、幸運だと思っています。」
その言葉に、何と返せばいいか分からなかった。
そんな僕たちのやり取りを、ずっと黒い目で見ていた誰かがいた。
宝魔槍――いや、今は短槍に改造されたそれが、腰のベルトでカタカタと震えていた。
「……ぬしさま。」
ルージュの声が、低かった。
短槍から光が溢れ、ルージュが現れた。出てきた瞬間、炎蛙を見て、目が据わった。
「……あなた。」
「あら、あなたが、従者の兎か、です。」
炎蛙が、優雅に微笑んだ。
「……なんで出てきてるの。」
「ぬしが私を呼んだので?」
「……ぬしさまは、あたしの、ぬしさまだよ。」
「私のぬしでもありますが?」
二人の間に、火花のようなものが見えた気がした。
「……あたしの方が、ぬしさまの役に立つ。」
「あら、私の方が攻撃力では上だと思いますが?」
「……あたしの方が、戦闘経験長い。」
「私はあなたを一度倒したはずですよ?(そんな事実はない。)」
「……っ、それは、あの時のぬしさまが強かったから!(てんぱって記憶違いを起こしているが無表情)」
「私も認めていますよ、ぬしの強さは。ただ、私の方がより役に立てると申し上げているだけです。」
「……あたしの方が、可愛い。」
「……何の話ですか。」
「あたしの方が、ぬしさまにとって可愛い存在。」
炎蛙が、初めて目を細めた。
「……それは、私の方が圧倒的に可愛いと思いますが?」
「……っ、可愛さで勝負する?」
「いいですよ?」
二人が、僕の方を見た。
「……ぬしさま、どっちが可愛い?」
「……ぬし、どちらが可愛いですか?」
「……あの、それは答えられないです。」
「答えてください。」
「答えてください、ぬし。」
二対の赤い瞳に見つめられて、僕は完全に詰んだ。
「……マサト、助けて。」
「無理。俺には無理な質問だ。」
「小林さん。」
「アルト君、頑張って!」
「エミリさん。」
「……私には判断できません。」
全員に見捨てられた。
◇
メールで連絡が来たのは、その日の夜だった。
『田中さん、お話したいことがあります。新宿ダンジョンの件で。明日、時間ありますか?』
リオさんからだった。
学校が終わった後、初めて会ったときに使用した喫茶店で待ち合わせをした。リオさんは、僕が席に着く前から既に座っていて、表情が少し疲れているように見えた。
「……お忙しい中、ありがとうございます。」
「いえ、大丈夫です。」
コーヒーが来るまでの間、リオさんは少し言葉を選ぶような顔をしていた。
「……田中さん、新宿ダンジョンの最深層まで行ったと聞きました。」
「……はい。」
噂は早かった。
リョウたちが話したのか、それとも管理局の方から漏れたのか分からないけれど、もうリオさんの耳にまで入っていた。
「……100層で、何か見ましたか。碑文のようなもの、あるいは、何か特殊な構造物を。」
リオさんの目が、真剣だった。
僕は、あのダンジョンでの出来事を思い出した。
ダンジョン賊。閉門衆?変異種。巨大なコア。ダンジョンボスの死骸。ヘカトンケイルとの死闘。
なにも関係なさそうだ…。
碑文のようなものを、見た記憶はなかった。
「……すみません。あの時は、それどころじゃなくて。碑文みたいなものは見ていません。」
リオさんの表情が、少しだけ曇った。
「……そうですか。」
「お力になれず、すみません。」
「いえ…。」
リオさんは、しばらく黙っていた。
「……父が新宿ダンジョンの調査中に行方不明になったのは、もう数か月も前のことです。最後に父が向かったのが、30層だったと、当時の記録に残っています。だから少しだけ期待していたのですが…。あっ、いえ、すみません。」
「……。」
「もし、何か手がかりがあれば、と思ったんです。すみません、いきなり聞いてしまって。」
「……いえ、全然大丈夫です。」
リオさんは、コーヒーを一口飲んだ。
「……でも、田中さんが100層まで到達できたこと自体、私には信じられないです。新宿ダンジョンの100層は、今まで誰も到達したことのない領域だったはずなのに。」
「……運が良かったんだと思います。それと、先生が一緒にいてくれたので。」
今は入院しているけど…。
「先生、というのは。」
「僕の担任の先生です。壊し屋、っていう異名を持ってる人で。」
リオさんが、目を見開いた。
「……壊し屋、ですか。奥多摩ダンジョンのコアを単独で破壊した人物ですよね。」
「はい。」
「その人が、田中さんの担任なんですか?」
「……はい。色々あって。」
リオさんは、少し考え込むような顔をした。
「……田中さん、本当にいろいろなことに巻き込まれていますね。」
「…ハハハ。自分でも、そう思います。」
リオさんは小さく笑った。
それから、また真剣な顔に戻った。
「……もし今後、新宿ダンジョンや、他のダンジョンで碑文を見ることがあれば、教えていただけますか。父の手がかりに繋がるかもしれないので。」
「もちろんです。」
「……ありがとうございます。」
リオさんは、それから少しだけ表情を緩めた。
「……渋谷ダンジョンの封鎖が解除されたって、聞きましたか?」
「……封鎖、解除されたんですか?」
「はい。マグマトードの異常発生が原因で封鎖されていましたが、その個体が新宿ダンジョンで討伐されたという情報があったらしく理由はよく分からないですが、移動?したんですかね。」
僕は、何も言わなかった。
その理由を、僕は知っている。
蛙の境界渡り。
渋谷から新宿へ、僕を追いかけて渡ってきた、あの個体のことだ。
「……田中さん?」
「…あ、すみません。少し考え事をしてました。」
「渋谷ダンジョン、またヒナさんたちと一緒に行く予定はありますか?」
「……あると思います。」
「……その時、私も同行させてもらえませんか?」
リオさんの目が、また真剣になった。
「父の手がかりが、渋谷にもあるかもしれないので。」
「……分かりました。」
「ありがとうございます。」
リオさんは深く頭を下げた。
窓の外、夕方の光が喫茶店の中まで差し込んでいた。
封鎖が解除された渋谷ダンジョン。
そこにまた、何かが待っているような気がした。
――ぬし、強者に尊敬を…。
――何を言っとるのじゃ、アルトが強いのは当たり前じゃろ。
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