第66話 真・神威解放《シンイカイホウ》
先生が踏み込んだ。
剛腕炎蛙の無数の腕が一斉に動いた。
赤黒い腕が嵐のように迫り来る中、先生は最初の5本を躱し、二本を手斧で壊した。
ドンッ!ドンッ!
腕が崩れ落ちる。
だが崩れた腕の代わりに、新しい腕がすぐに生えてきた。壊しても壊しても、補充される。
「……切りがないな。」
先生が低く呟いた。
それでも止まらなかった。重傷を負った体で、脇腹を押さえながら、手斧をなぞる動作を繰り返す。破壊属性の光が手斧の刃先に灯るたびに、腕が崩れ落ちる。だが次の腕が来る。また次が来る。
「ケロォォォッ!!」
ヘカトンケイルが咆哮した。
15本の腕が、一斉に先生へ向かった。
全方位から、同時に。
先生は8本を躱し、4本を壊した。
残り3本が、先生の身体を捉えた。
どごっ、どごっ、どごっ。
3つの重い音が連続した。
先生が吹き飛んだ。今度はさっきより飛んで、奥の岩壁に激突し岩壁に亀裂が入った。
「せんせいっ!!」
小林さんが叫んだ。
先生は、岩壁からゆっくりと滑り落ちた。膝をついて、立ち上がろうとして、また膝をついた。手斧が手から離れていた。
それでも先生は笑っていた。
口の端から血を滲ませながら、満面の笑みで。
な、んで。
なんで、そんな顔が出きるんだ?
僕は、見ているだけでこんなに身体が震えているのに。
「……面白い。こんな相手、久しぶりだ。本当に久しぶりだ……。」
「先生っ!!」
「……いい、戦いだった。」
先生の目が、ゆっくりと閉じた。
岩壁にもたれるように、体が動かなくなった。
静寂が落ちた。
ヘカトンケイルが、先生を見た。
それから、こちらを見た。
「……っ。」
「……来る。」
リョウが剣を抜いた。
ヘカトンケイルが、ゆっくりとこちらへ向かってきた。先生は倒した。次の獲物へ向かう、それだけの動きだった。
「全員、散れ!!」
リョウの声で、全員が動いた。
エミリさんが詠唱を始めた。
「ᛏᚱ ᚨᚾᛏ――束縛陣!」
光の鎖が走った。
だが、ヘカトンケイルはその鎖を腕1本で引きちぎる勢いで拘束する。
が。
詠唱の間もなく、別の腕がエミリさんへ迫る。
「エミリさん!」
「……ᚹᚨᛏᚱ ᛊᛏᚱᛖᚱ――水流――」
やめてくれ。
詠唱が終わらなかった。
腕がエミリさんを直撃した。
エミリさんが吹き飛んで、転がり、岩盤の上で動きを止めた。
「佐藤!!」
「……大丈夫、です。」
立ち上がろうとして、立てなかった。
膝が、地面についたまま動かなかった。
その間にもヘカトンケイルは動いている。
「でやあっ!!」
マサトが正面から踏み込んだ。
腕を弾き、もう1本を躱して、接近しようとした。だが腕は多すぎた。正面の腕を弾いた瞬間、上から別の腕が落ちてきた。
やめてくれっ。
「がっ……!」
マサトが膝をついた。
それでも歯を食いしばって立ち上がろうとする。
「竜ケ崎、下がれ!」
リョウが前へ出た。剣で腕を弾きながら、別の腕を躱し、ケイたちと連携して攻撃を繰り出す。
だが、やはり数が多すぎた。
腕が1本、リョウの肩を叩いた。鈍い音がして、リョウが膝をついた。ケイが別の腕を弾こうとした瞬間に溶岩が飛んできて、腕を庇った体勢のまま吹き飛んでいく。
やめてくれ…っ。
小林さんが、素早い動きで腕の間を縫うように動いていた。だが躱し続けるのにも限界があった。腕の1本が小林さんの足を掠めた瞬間、バランスを崩す。
「……っ!」
全員が、次々と弾き飛ばされていく。
先生が気絶している。エミリさんは立てない。マサトは膝をついたまま。リョウたちも立ち上がれていない。小林さんだけが、よろめきながら立っていた。
ヘカトンケイルの赤黒い瞳が、僕を見ていた。
僕は呆然としてしまう。
「……お前、を。」
その声が、さっきより整っていた。
「……お前、を、ず、っと、追っ、て、き、た。」
腕が構えられた。
今度は全部が、僕に向かっていた。
20本を超える腕が、全方位から。
「……っ!」
宝魔槍で受けた。
ガァァンッ!!
凄まじい衝撃が全身を貫いた。
足が地面を削り、後退していく。腕が痺れている。正直、立っていられるのが不思議なくらいだった。
「……アルトぉ!!」
マサトが叫んだ。
荒い息が止まらない。
全員が倒れているか、動けなくなっていた。
転移陣はある。ヘカトンケイルが道を塞いでいるけど、たしかに後ろに転移陣が見えている。
ならば、責任を果たさなければならない。
誰も立てない。誰も動けない。
だけど僕の後ろに全員がいる。
「……小林さん。」
「……うん。」
小林さんが、よろめきながらこちらを見た。
「……みんなを、転移陣まで連れて行ってください。」
…これは、僕が背負わなければいけない。
だって、この蛙は僕を追って別のダンジョンにまで追いかけてきてしまったのだから…。
渋谷ダンジョンで誓ったんだ、僕はもう逃げないと。
殺られるなら、最大限足掻いて皆を逃がす。
それに奥の手はある。
「…で、でも、アルトくんは?」
「…最後に行きます。今は、みんなを。」
小林さんは一瞬だけ僕を見た。
それから、立ち上がった。よろめきながら、マサトの腕を掴んで引き起こした。
「……マサトくん、立てる?」
「……立てる。」
「エミリちゃんも。」
「……はい。」
「リョウさんたちは先生を。」
「……分かった。」
全員が、ゆっくりと動き始めた。
ヘカトンケイルが、こちらへ腕を構えた。
「……させ、ない。」
僕は前へ出た。
全員とヘカトンケイルの間に立った。
腕が来た。宝魔槍で受けた。また腕が来た。身体を捻って躱した。また来た。また受けた。
全身が痛い、腕も痺れてきた…。
それでも後ろには皆がまだ動いているんだ。
やっぱり、防ぐことだけなら僕だけでも時間稼ぎ位ならできそうだ…。
「……早くいけぇぇぇ!!」
僕は小林さんに叫び行動を促した。
小林さんの声が、後ろから聞こえた。
「みんな、急いで!」
足音が遠ざかっていく。
よかった…行ってくれた…。
ヘカトンケイルの腕が、また一斉に来た。
受けた。躱した。受けた。
「……お前、が、ゆるせ、ない。」
「……知っています。」
「……お前、は、なぜ、我だけを、逃した?」
「……分かりません。」
腕が迫る。
今度は防げなかった。
腕が、左肩を直撃した。
「……がっ!!」
吹き飛んだ。
転がって、立ち上がろうとして、片膝しかつけなかった。
「……アルトっ!!」
マサトの声が飛んできた。
「先生を先に転移させてください!みんなを!!」
「でも!」
「お願いします!!」
足音が急いでいた。
ヘカトンケイルが、ゆっくりと僕へ近づいてくる。
宝魔槍を杖代わりに、立ち上がった。
「……っ、は……。」
荒い息が止まらない。
限界だった。
自分でも分かっていた。次の一撃を受けたら、立てない。
「……お前、が、ゆるせ、ない。」
「……それでも。」
僕は構えた。
全身が震えていた。
だけど槍だけは手放さなかった。
「……全員を、守れるなら。」
その時、宝魔槍が激しく光った。
今までと違う光り方だった。内側から、押しつぶされるように、強く、強く光った。
「……ぬしさま。」
「ルージュ…。」
「……もう、いい?」
「……お願い。」
「……ぬしさまが言うなら。」
槍から光が溢れルージュが現れた。
着地した瞬間に、騎士の目をしていた。ヘカトンケイルを見て、それから僕を見た。その赤い瞳に、揺るぎない何かがあった。
そう、これが僕の奥の手。
何が起きるのかは僕にもわからない。
でも、ルージュが先生を庇って出ようとしたあの時、きっと何かあるのだと確信したんだ。
「……全部、ぬしさまに賭ける。」
「……うん。」
ルージュは僕の前に立った。
ヘカトンケイルを正面に見ながら、小さな手を後ろへ伸ばして、僕の胸へ当てた。
「……兎の道しるべ。」
その声は、静かで、確かで、揺るがなかった。
ルージュの手から、温かな光が溢れ出した。
赤黒い光ではなく、白に近い、澄んだ光だった。
その光が、僕の胸へ、身体へ、浸み込んでいく。
「……っ。」
何かが、解けていく感覚がした。
ずっとそこにあったのに、封じられていたものが、ゆっくりと、確かに、解けていくかのように。
「……ぬしさまの中に、ずっと眠ってたものを……強制的に目覚めさせる。…思い出して本来の自分を。」
「…え?」
光が膨らんだ。
身体の奥から、何かが溢れ出してきた。
熱いっ!…いや、温かい?
全身に広がっていく感覚が、温かくて、同時にどこか懐かしかった。
目の前が白くなっていく。
◇
白い空間だった。
どこでもない、何もない、ただ白い空間。
「……ここは。」
自分の声が、白い空間に響いた。
「……ようやく、会えたの。」
声が聞こえる…。
穏やかで、温かくて、山の奥の泉のように澄んだ声が聞こえてくる。
振り返ると、そこに誰かがいた。
白い衣を纏った女性だった。
長い黒髪が、風もないのに静かに揺れていた。
その目の色が、太陽のように輝いている。
「……妾は、天照大御神。」
その声が、白い空間に広がった。
「……お前のことは、ずっと見ていたよ。アルト。」
「……ど、どうしてですか?」
「それは、今は言えぬ。時が来れば分かるはずじゃ。」
意味がわからない。
時が来る?…なんの?
聞いたとしても…答えは返ってこないのだろう。
天照大御神は、静かにそして、少し寂しそうに微笑んむ。
「……だが、今ここで言えることだけ言おう。」
「……は、はい。」
「……その子のスキルが、妾を呼んだ。予定より少し早いが、まぁ構わぬだろう。」
ルージュのことだ、とは分かった。
「……お前の仲間が傷ついておる。後ろにいる者たちも、待っておる。分かるかえ?」
「……はい。」
「……妾はずっとお前のそばにいた。お前が知らぬだけで。これからも、そばにいる。」
天照大御神の目が、優しく細くなった。
「……今は力を貸そう。でも、一つだけ聞かせておくれ。」
「……なんですか?」
「……仲間は大切かえ?逃げだしたいとは思わないのかえ?」
その問いが、白い空間に静かに広がった。
質問が僕の頭の中で反芻され先程の光景が浮かんでくる。
全員が倒れていくんだ。
先生も気絶してしまった。
そしてあの蛙が、まだ目の前にいるのだ。
「……怖いです。」
当たり前だろ…。
こんなの嫌に決まっている…。
「なら、逃げても良いんじゃないのかえ?」
「…怖いんです……みんなが傷ついてこのまま死んでしまうんじゃないかと思うと…とても怖いんです。だから――」
「だから?」
「……だから、僕は逃げません。逃げて後悔しないために。…僕は、もう後悔したくありません。」
天照大御神は、笑った。
まるで空に輝く太陽のように燦燦と。
「……よい。とても良い答えじゃ!」
その言葉と同時に、温かな光が天照大御神から溢れ出した。それが僕へ向かって、真っすぐに、流れ込んでくる。
「……これは妾の本来の加護じゃ。お前の中に眠っていたものと、妾の力が交わせる。…綴る――」
――ぬしの名は、田中アルト
――そして、妾が加護を与えし妾の愛し子
――神威の解放を認める…。そして、封じられし枷を今解き放つ。
――解
その言葉が、空間全体に響いていく。
「……ぬしはもう解放の言葉を知っているはずじゃ。行きなさい、アルト、お前の仲間の元へ。」
白い光が、再び僕の世界を包んでいく。
――でかしたぞ!兎ぃ!妾・降・臨★
――兎の道しるべは、導きの兎をモチーフにしているの。一応兎は神様の眷属として用いられることも多いそうだし。(作者)
――えぇい、今はそんな説明求めておらんのじゃ!
妾にもっと注目せい!
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