第65話 剛腕炎蛙《ヘカトンケイル》
先生が踏み込んだ。
4本腕のマグマトードが、前脚2本を同時に叩きつけてくる。地面が砕け、溶岩が噴き出した。先生はその溶岩の上を躱すように横へ跳び、着地と同時に手斧をなぞる動作へ移行した。
ドンッ!
音がした。
だが、マグマトードは揺れただけで崩れなかった。
「……核が動いてるのか。」
先生が低く言った。
「そして、さっきより速くなってるな…。」
吸収した直後より、さらに核の移動が速くなっていた。先生が手斧でなぞった瞬間には、すでに核が別の場所へ移動している。
背中の腕が振り下ろされた。
先生は前へ跳んで躱した。だが着地した直後、前脚が横から薙ぎ払ってくる。4本が独立して動く。前を防いでも後ろから来る。上を躱しても横から来る。
それでも先生は動じなかった。
「……先生、優勢に見えます。」
隣でエミリさんが言った。確かにそうだった。
先生は攻撃を的確に躱しながら、手斧をなぞる動作を繰り返している。ダメージは通っていないが、先生自身もまだ無傷だった。
だが、その時だった。
マグマトードの体表が輝いた。
炎の温度が、目に見えて上がった。体表の溶岩が煮え滾り、滴り落ちる液体の量が増した。周囲の岩盤が、その熱だけで焦げ始めた。
「……っ、熱いっ!」
マサトが顔を手で覆った。
全員が、熱波に押されて一歩後退する。
マグマトードが変わっていた。
体が大きくなっていた。わずかに、ほんのわずかだが、さっきより大きい。
「……成長してる?」
先生が呟いた。
「戦いながら成長する特殊個体か。」
マグマトードが咆哮した。
「ケロォォォッ!!」
その瞬間、口から大量の溶岩が吐き出された。先生目がけて、扇状に広がりながら迫ってくる。
先生は跳んで躱した。
だが溶岩は地面に広がり続けた。足場が、みるみる溶岩で塞がれていく。
先生の動ける範囲が、狭くなり始めた。
「……厄介だな。」
先生が呟いた。それでも表情は変わらない。
◇
「ᚹᚨᛏᚱ ᛊᛏᚱᛖᚱ――水流陣!」
エミリさんが詠唱した。
空中から大量の水が溢れ出し、広がっていた溶岩へ叩きつけられた。ジュウウウウッという激しい蒸気が上がり、溶岩が急速に固まっていく。
「佐藤、いいぞ。」
「……はい!」
エミリさんの目が、まだ燃えていた。怒りが、的確な魔法陣として形を成していた。
先生が踏み固まった溶岩の上を走りながら、再び懐へ踏み込んだ。
今度は慎重に、手斧でゆっくりと体表をなぞる。核の動きを追いながら。
「……いた。」
ドンっ!
今度は通った。マグマトードが大きく揺れた。四本の腕がバラバラに動いた。体表の溶岩が乱れ、一瞬だけ輝きが薄れた。
「効いてる!」
マサトが叫んだ。
だが、マグマトードは倒れなかった。
乱れた体表が、次の瞬間には元に戻っていた。いや、元に戻っただけでなく、さっきより輝きが増していた。
「……再生してるっ!?」
エミリさんが息を呑んだ。
「ダメージを受けるたびに、回復しながら成長しているんだ…。」
「まずい展開だな。」
先生が静かに言った。
その言葉が、静かに全員に広がった。まずい、と先生が言った。
マグマトードの背中の腕が、また増えていた。
2本だったものが、4本になっていた。前脚2本と合わせて、6本腕になっていた。それぞれがバラバラに、複雑な軌道で動いている。
「……腕が増えた。」
リョウが固い声で言った。
先生が踏み込もうとした瞬間、6本の腕が一斉に動いた。
それも全方位から。
「……っ!」
先生は3本を躱し、1本を手斧で弾いた。残りの2本が、先生の身体を掠めた。
ジャケットが焦げた。
先生が、初めて後退した。二歩、三歩と。
「……先生!」
「黙ってろ。」
静かな声だった。その声に焦りは感じない。
だけど、先生の腕に焦げた跡があった。
◇
戦いは、変わり始めていた。
先生がまだ優位を保っていたが、その差が縮まっていた。6本腕の攻撃は、さっきまでの4本とは比較にならない複雑さだった。1本を捌けば別の1本が来る。2本を同時に躱せば、別の角度から3本目が追ってくる。
「ᛏᚱ ᚨᚾᛏ――束縛陣!」
エミリさんが詠唱した。
光の鎖がマグマトードの腕に絡みつく。だが今度は一瞬で引きちぎられた。さっきより、力が増している。
「……もう束縛は効かないか。」
エミリさんが悔しそうに言った。
「水流陣は?」
「試します。」
「ᚹᚨᛏᚱ ᛊᛏᚱᛖᚱ――水流陣!」
水が叩きつけられた。
マグマトードは動きを止めなかった。体表の溶岩が一瞬固まったが、すぐに内側から溶け直した。体温が上がっている。水流陣の効果が、前より薄くなっていた。
「……適応してる。」
エミリさんが低く言った。
「さっきの攻撃を学習して、対策している。」
その言葉が、全員の空気を重くした。
成長する。再生する。適応する。
この個体は、戦えば戦うほど強くなっていく。
「先生!」
マサトが叫んだ。
マグマトードの体が、また大きくなっていた。背中の腕がさらに増えた。6本から8本へ。
8本腕それぞれが別々に動く。
先生の回避できる空間が、どんどん狭くなっていく。
先生が踏み込んだ。手斧をなぞる。
ドン
通った。だが、そこへ別の腕が来た。
先生は弾こうとしたが、間に合わなかった。
「……っ!」
溶岩のような腕が、先生の脇腹を直撃した。
どごっ、という重い音がした。
先生が吹き飛んだ。
5メートル、いや10メートル近く吹き飛んで、岩盤に叩きつけられた。
「せ、先生!!」
全員が声を上げた。
先生がゆっくりと身体を起こした。脇腹を押さえながら。ジャケットの下から、血が滲んでいた。
「……一発もらったか。」
呟いた声は、やはり落ち着いていた。だが立ち上がった時の動きが、さっきより鈍かった。
「……先生、血が。」
「見えてる。」
「治癒魔法を――」
「いらん。」
先生は手斧を持ち直した。
マグマトードが、ゆっくりとこちらへ向かってくる。腕が揺れていた。8本の腕が、それぞれ独立して動きながら。
その時だった。
宝魔槍が、激しく光った。
「っ!?」
僕の手の中で、槍が熱くなった。光が膨らんでいく。
「ルージュ、待って――」
「……だめ。」
ルージュが出てきた。
槍から光が溢れ、ルージュの輪郭が現れる。着地した瞬間に、騎士の目をしていた。
「……ぬしさまのせんせいが、やられてる。」
「ルージュ――」
「……あたしが出る。」
「駄目です。あれはルージュでも――」
「……分かってる。」
ルージュが静かに言った。
「でも、ぬしさまのせんせいが血を流してる。あたしはそれが嫌だ。」
「……っ。」
「……佐藤。」
先生が、そこで口を開いた。
「……はい。」
「ルージュを止めろ。」
「……でも先生、あなたは――」
「止めろ、と言ったぞ。」
エミリさんはルージュの前へ出た。両手を広げて、ルージュと先生の間に立った。
「……ルージュ。先生は大丈夫です。あなたが出ても、あれは止められない。今の段階では。」
ルージュが、エミリさんを見た。
「……せんせいは、血を流してるよ。」
「……私も見えています。でも、だからこそ、今は信じましょう。」
ルージュは、しばらくエミリさんを見ていた。
それから、ゆっくりと後退した。
「……ぬしさま。」
「うん。」
「……あたしが出るタイミングを、ちゃんと教えて?1日1回のスキル使うから。」
「……分かった。約束する。」
ルージュは頷いて、また槍の中へ消えていった。
その間、先生はマグマトードと向き合っていた。
脇腹を押さえながら。それでも立って、手斧を握って。
マグマトードの体が、また光った。
8本腕から、10本腕へ。体がさらに大きくなった。体表の溶岩の温度が、また上がった。近くにいるだけで、全員の肌が熱くなる。
「……先生。限界じゃないですか。」
マサトが絞り出すように言った。
先生は答えなかった。
ただ、手斧を握り直した。
「……まだだ。」
マグマトードが再び咆哮した。
「ケロォォォォォッ!!」
10本の腕が、一斉に動いた。地面を叩き、溶岩が噴き出した。空気が揺れ、熱波が走った。
蛙の動きに合わせ先生も動く。
重傷を負っているのに、動いた。さっきより遅い。だがそれでも、先生は前へ向かっていた。
「……どうして。」
小林さんが呟いた。
「あんなに傷を負っているのに、どうして進めるんですか。」
「……恐怖と共存しろ、と言っていたからだと思います。先生はそれを今実践して見せてくれているんだと思います…。」
エミリさんが静かに言った。
「怖いまま動け、と。先生は、自分が言ったことを、自分でやってみせている。」
その言葉が、空間に静かに広がった。
先生が、また踏み込んだ。
10本の腕が迫ってくる。先生は6本を躱し、2本を手斧で弾いた。残りの2本が――
来た瞬間に、先生は手斧をその腕へ当てた。
腕ごと、壊した。
ドンっっっ!!!!
腕が崩れ落ちた。
マグマトードが、初めて怯んだような動きを見せた。腕を失った痛みではなく、何かを確認するような動きだった。
そして、その赤黒い瞳が動いた。
先生から、外れた。
僕を見た。
「……ケロ。」
その声が、違った。
さっきまでとは明らかに違う。音の質が変わっていた。ただの鳴き声ではなく、何か別のものが混じっていた。
「……ケ、ロ。」
また違った。
さらに変わっていく。
「……オ、マ、エ。」
全員が、固まった。
「……お前、だ。」
これ、は、言葉だ。
しかも、僕たちが使うような人語だ…。
短い、しかしそれは確かな、人間の言葉だった。
「……っ。」
「……お前、だ。」
マグマトードの赤黒い瞳が、まっすぐに僕を見ていた。
体の中で、何かが膨らんでいく感覚がした。
恐怖か、それとも別の何かか、自分でも分からなかった。
「……ず、っと……お前を、ず、っと。」
マグマトードの体が、また輝き始めた。
腕が、また増えていく10本から15本へ。
体がさらに大きくなる。
体表の溶岩が激しく揺れ、階層全体が赤黒い光に染まっていく。
「……剛腕炎蛙ってところか…?」
先生が、静かに言った。
「……お前にはそういう名前が、ふさわしいな。」
先生の右手の光が、また変わった。
腕全体を覆っていた破壊属性の光が、今度は手斧の刃先一点に凝縮されていく。
輝きが増していき、それが手斧の刃先で、静かに、深く、燃えていた。
「……お前ら見とけよ?」
先生が言った。
「今から、本当の意味でヤる。」
「……でも、先生、重傷なのに。」
「構わない。これからが面白くなるんだぞ?」
「……でも。」
「構わない、と言ったぞ?お前、邪魔すんのか?」
その声に、有無を言わせない何かがあった。
そして、僕たちを見るのその目はまるで獣のような威圧感を放っていた。
先生が蛙を見た。
蛙の瞳が、また僕を見た。
「……お前を、ず、っと。お前を、追っ、て、き、た。」
言葉が、少しずつ整ってきていた。
「……お前、が、ゆるせ、ない。」
脂汗が、また出てきた。
この個体とは3回会ってきた。
…その3回とも、僕が起点だった。
「……そうか。」
先生が、マグマトードへ向かって言った。
「だが。」
手斧の刃先が、深く輝いた。
「相手は俺だ。そしてお前は今日で終わりだ。」
先生が踏み込んでいく。
剛腕炎蛙の無数の腕が、一斉に動いた。
――あぁ、焦れったいっ!
はよぅ、出せぃ!
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