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現代冒険者のすゝめ ~高校受験に落ちた僕、冒険者になってみた!~  作者: あっかんべー


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第63話 特別授業・後編 《壊し屋の流儀》

――そろそろ、スタンバイするかの。

70層の空気は、重さの質が違った。

これまでも層が下がるたびに空気は重くなっていたけれど、70層から先のそれは単純な重さではなかった。肺に入ってくる空気が、濃すぎる。呼吸するたびに魔力が直接流れ込んでくるような、そういう感覚だった。


「…息が重いです。」


エミリさんが小声で言った。


「慣れろ。」


先生が淡々と返した。


「70層から先は魔力濃度が別格になる。慣れない人間が来れば、ここにいるだけで体力が削られる。さっきより疲れを感じるのはそのせいだ。」


「…歩いてるだけで消耗するんですか。」


「そうだ。深層探索には魔力耐性が要る。技術じゃなくて、体質の問題だ。何度も来れば身体が対応する。一回来て死ぬか、慣れるかのどちらかだ。」


「……物騒ですね。」


「事実だから。」


先生は前を向いたまま続けた。


「ダンジョンについて話す。コアの話からだ。」


全員が耳を傾けた。

生徒ではないリョウたちも、女性パーティーの三人も、自然と先生の背中に意識を集中させていた。


「ダンジョンコアは、ダンジョンの心臓だ。比喩じゃない。文字通りの意味だ。コアがあるから魔物が生まれる。コアがあるから魔石ができる。コアがなくなればダンジョン全体が消える。」


「…コアを壊せばダンジョンが消えると聞いています。」


エミリさんが言うと、先生は少し間を置いた。


「消える、というのは正確じゃない。ダンジョンは消えない。空洞として残る。消えるのは魔力の循環だ。コアが止まれば魔力の供給が止まる。魔物は消え、魔石は砕け、階層を維持する魔力が失われる。結果として崩落する。だから消えたように見えるだけだ。」


「…つまりコアは魔力の供給源。」


「そうだ。地下深くに根を張って、ダンジョン全体に魔力を送り続けてる。ダンジョンが出来たのはここ50年ほどの話だ。だがその短い年月でこれだけの規模になった理由の一つがそれだ。コアが魔力を循環させ続けることで、ダンジョンは急速に成長する。」


「…50年でこの深さに。」


「新宿は特に成長が早い。それだけコアの出力が高いということだ。」


先生は通路の奥に現れた魔物へ、さらりと手を向けた。ドン。崩れ落ちる音が後ろで響く。歩みは止まっていない。


「コアにはもう一つ機能がある。番人を作る機能だ。コアは自分を守るために、特別に強い魔物を生み出す。それが各層に配置される。そいつらを、一般的に階層主と呼ぶ。」


「…全層にいるんですか。」


渋谷ダンジョンでは一回だけ階層主と戦ったことがある。もし、全階層にいたとしたら渋谷ダンジョンは、まだまだ多くの階層主がいることになる。


「全層にいるわけじゃない。大型ダンジョンでは概ね10層ごとに1体いることが多い。コアに近づくにつれて質が上がる。」


「……つまり99層にも。」


「あぁ、いるぞ。」


先生は短く言った。


「新宿の99層の階層主は、俺も今日初めて見るけどな。」


「…先生でも見たことがないんですか?」


「当たり前だ。新宿の最深部には来たことがない。金欠でもなければ来ないな。」


金欠なのか…。


すると、マサトが後ろで呟いた。


「…それ、俺たちと同じじゃないですか。」


「たしかに、同じだ。違うのは、俺はどんなものが来ても対処できるという自信があるだけだ。」


「……その自信はどこから来るんですか。」


「経験だ。知らない相手に会い続けてきた経験だ。」


80層を越えた頃、通路の構造が変わった。

天井が急に高くなり、壁の結晶が消えて黒い岩盤が剥き出しになってきた。足元の石畳が、荒削りな岩盤に変わっている。


空気の重さがまた一段増した。


「…先生は怖くないんですか。知らない相手が来ることが。」


「怖いに決まっているだろう。」


「…。」


「…怖いから、先に見ておきたかったんだ。」


その言い方は、恐怖の話と繋がっていた。


「…聞いとけ。」


先生が続けた。


「恐怖を忘れるな。怖いという感覚は、お前らが生きてる証拠だ。怖いから慎重になる。怖いから考える。怖いから生き残れる。それはとても大切な感覚だ。絶対に手放すな。」


「…でも怖いと動けなくなりませんか。」


「動けなくなるのは恐怖のせいじゃない。恐怖に飲まれるからだ。怖いまま動け。怖いまま考えろ。怖さを感じながら、それでも足を踏み出す。それが強さだ。」


「…恐怖を消すんじゃなくて。」


「恐怖と共存しろ。消したら死ぬぞ。怖くなくなった瞬間に、人間は油断する。油断は死に直結する。」


後方でエミリさんが静かに言った。


「…先生はずっとそれを実践してきたんですか。」


「してきたからこそ、今ここにいるんだ。」


「…20年間、ずっと。」


「そうだ。」


「俺が鼻歌を歌ってるのは、怖くないからじゃない。」


先生は前を向いたまま続けた。


「怖いから歌う。気を抜いたら飲まれる。だから意識的に力を抜く場所を作る。それだけだ。」


その答えは、思っていたものと全然違った。

先生が鼻歌を歌い続けているのは、怖さへの対処法だった。


「……パチンコの歌詞は必要ですか。」


「好きな歌でいいんだよ。俺の好きな歌がたまたまパチンコの話なだけだ。」


「…そうなんですね。」


「文句あるか。」


「……ないです。」



99層への降り口が見えてきた時、全員の足が自然と遅くなった。

止めようとしたわけじゃない。

身体が勝手に慎重になっていた。


向こう側から流れてくる空気が、これまでと全然違った。重いというより、圧迫される感じだ。ただそこにいるだけで、何かに押しつぶされそうな感覚がある。


「……先生。99層は、階層主がいるんですよね。」


「おそらくな。」


「…戦うんですか?」


「通り道にいれば戦うだろ。」


「…先生でも、勝てますか。」


「さあ。やってみないと分からないな。」


それは初めて、先生が確信を持たずに言った言葉だった。


99層への降り口を抜けた瞬間、全員が息を呑んだ。

空間が、これまでとは比べ物にならないほど広かった。天井は闇に溶けて見えない。壁も遠すぎてほとんど見えない。ただ足元だけが確かな岩盤で、その先は広大な空間が広がっていた。


そして、それはいた。

空間の中央に、それはいた。

体高は優に10メートルを超えていた。人型に近い巨体で、頭部には巨大な角が二本、天井に向かって伸びている。全身を覆う黒い体毛は、鎧のような硬質さを持っていた。両手に握られた武器は、岩盤から削り出したような巨大な斧だった。


その体全体から放たれる魔力の圧が、空間ごと塗り替えていた。


「……エンペラーミノタウロスか。」


先生が静かに言った。


「牛頭の魔物、ミノタウロスの最上位個体。99層の階層主だ。」


誰も声を出せなかった。


ルージュが、僕の手を強く握った。その手が、微かに震えていた。


「…ぬしさま。」


「うん。」


「…あれは、今のあたしじゃ無理。」


騎士兎の頃の本能が、そう告げているのだろう。ルージュがそこまで言うなら、本当にそういう相手なのだ。


「ルージュ、槍に戻っていてください。」


「…でも。」


「お願いします。先生がいます。」


ルージュは少し迷って、それから頷いた。宝魔槍の宝石が一度温かく光って、ルージュが中へ消えた。

エンペラーミノタウロスは、僕たちに気づいていた。


巨大な赤い目が、こちらを見ていた。

怒っているわけでも、興奮しているわけでもない。ただ、存在を確認している目だった。番人として、侵入者を認識している目だ。


地響きが来た。

一歩踏み出すだけで、岩盤が揺れる。

その歩幅は広大で、こちらとの距離が一瞬で縮まっていく。


「後ろに下がれ。」


先生が前に出た。


「伊藤さんっ!」


「黙って下がれ。見てろ。」


リョウが全員を後方へ下がらせた。僕も後退しながら、前を見た。

先生は歩みを止めなかった。

エンペラーミノタウロスと先生が、ゆっくりと間合いを詰めていく。10メートルの巨体と、くたびれたジャケットの男。並んで見ると、その大きさの差は途方もなかった。


エンペラーミノタウロスが斧を振り上げた。

空気が唸る音がした。それだけで、足元に風圧が届いた。あれが地面に叩きつけられれば、衝撃波だけで全員が吹き飛ぶかもしれない。


先生は、ジャケットの内側から手斧を取り出した。

手のひらに収まる程度の、小さな手斧だった。

武器と呼ぶには、あまりにも地味で、エンペラーミノタウロスの巨大な斧と並べれば、おもちゃにも見えなかった。


「……あんな小さい武器で?」


マサトが隣で呟いた。


「…黙って見てろ、と言われたはずだぞ。」


「いや、でも――」


「黙って見てろ。」


エンペラーミノタウロスの斧が振り下ろされた。

地面を砕く轟音が響いた。衝撃波が走り、全員がよろめいた。


だが先生はいなかった。

斧が叩きつけられた場所に、先生の姿がなかった。


「…っ、どこに。」


気づいた時には、先生はエンペラーミノタウロスの懐に入っていた。


巨体の、首の付け根あたりに。


手斧を、静かに当てた。

刃を当てるというより、なぞるような動作だった。首の付け根の体毛を、手斧の刃先でゆっくりとなぞって、そして止めた。


その瞬間、先生の手斧が淡く光った。


ドンッ――


鈍い一音が鳴った。

エンペラーミノタウロスの動きが、止まった。

巨体が傾いていく。


前へ、ゆっくりと傾いて、そして崩れ落ちた。

地響きが洞窟全体を揺さぶった。岩盤に亀裂が入る音がして、天井から砂が降り注いできた。


静寂が戻ってきた。


「……っ。」


誰も声が出なかった。

マサトが、口を半開きにしたままエンペラーミノタウロスの残骸を見ていた。小林さんが目をまるくして固まっていた。リョウは剣を抜いたまま動けずにいた。


「…どうやって。」


エミリさんが、珍しく声が上擦っていた。


「なぞっただけで、どうして。」


先生は手斧を内側にしまいながら振り返った。


「ミノタウロス系統の核は首の付け根にある。」


「……核を直接壊したんですか。あの手斧で。」


「手斧は関係ないな。」


先生はあっさりと言った。


「手斧で対象の核の位置を正確になぞる。どこに核があるかを手の感触で確認しながら、そして破壊属性を、その一点だけに発動する。手斧がなくてもできるが、あった方が精度が上がる。」


僕の魔力視よりも早く…そして的確な判断をあの一瞬で…!?


「……なぞることで、核の場所を確認していたんですか。」


「そうだ。どんなに強い相手でも、核の構造は変わらない。場所が変わるだけだ。その場所さえ分かれば、あとは壊すだけだ。」


「…それが、破壊ブレイク…?」


「そういうことだ。量は要らない。精度が全てだ。どこを壊すかさえ分かれば、最小限の魔力で済む。」


先生は採掘袋を開けて、崩れ落ちたエンペラーミノタウロスの魔石を回収し始めた。


「…田中。」


「は、はい。」


「お前は目がいい、今の動作で、何か気づいたことはあるか?」


僕は正直に答えた。


「…手斧でなぞることで、核の位置を探っていました。そして破壊属性を核の一点だけに絞って発動していました。量は、ほんの少しでした。」


「よく見てたな。」


「……ありがとうございます。」


「褒めてない。見えてるなら次の話ができるということだ。」


先生は採掘袋を担ぎ直した。


「どんな技術も、根本は同じだ。対象を正確に把握して、最小限の力でそこだけを叩く。余計なものは要らない。必要な場所に、必要なだけ。それだけだ。」


その言葉を聞きながら、騎士兎との戦いの時のことを思い出していた。


魔力の流れを全体として見た時のこと。

技が起点になる瞬間を読んだ時のこと。

先生が言っていることと、あの時僕がやっていたことは、確かに方向が同じだった。


100層への降り口が、正面に見えた。

漆黒の膜が張った、アーチ状の石組みだ。

向こう側が全く見えない。


「…先生。」


「あぁ?」


「100層には何があるんですか。コアの他に。」


「分からん。奥多摩と同じなら門番がいるはずだが。」


「門番…それは階層主よりも強いんですか?」


「強いな、階層主とダンジョンの門番を同列に考えるなよ?さぁ、さっさと済ませて帰ろうぜ。」


先生は欠伸をして、100層の降り口へ向かって歩き始めた。


「転移陣があれば地上に出られる。なければ逆戻りで上がるだけだ。」


全員が、先生の背中についていった。

ルージュが槍の中から、一度だけ温かく光った気がした。


漆黒の膜が、静かに僕たちを飲み込んでいった。

――出番よ、はよこい!


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