第62話 特別授業・前編 《壊し屋の流儀》
「ついてこい。」
それだけ言って、先生は歩き出した。
後ろを確認するわけでも、ペースを合わせるわけでもない。ただ自分のリズムで、深層の通路を歩いていく。僕たちはその背中を追うしかなかった。
40層の空気は重い。1層とは密度が違う。
呼吸するたびに、肺の奥まで何かが染み込んでくるような感覚がある。それでも先生は欠伸をしながら歩いていた。
「…あの。」
僕は先生の隣に並んだ。
「…なんだよ。」
「…その、ダンジョンについて教えてもらえませんでしょうか?」
「…今からするつもりだった。」
先生は前を向いたまま言った。
「…まず確認から入る。田中、お前のスキル、今どこまで分かってる?」
「まだ完全に分かっているわけじゃありませんが、身体強化と、氷と炎系統魔法が使えます。あとは、少しだけ魔力が感じ取れます。」
嘘はついていない。ただ、魔力視のことは言わなかった。
先生は少し僕を見て、それから前を向いた。
「そうか。」
それだけだった。深追いはしなかった。
「竜ケ崎と小林と佐藤のスキルは把握してる。担任だからな。さすがの俺も生徒のスキルくらい覚えてる。」
「…覚えてたんですか。」
マサトが少し驚いた顔をした。
「入学時のスキル申告書を見てる。お前らが思ってるより担任は色々知ってるぞ。」
「じゃあ先生、なんで助言とかしてくれなかったですか?」
「聞かれなかったから。」
「…それだけですか。」
「それだけだ。」
マサトが何か言いかけてやめた。
「じゃあ始める。最初は俺のスキルの話からだ。」
「…はい。」
ごくり
「俺のスキルは元素魔法だ。」
「…元素魔法、ですか。」
「知ってるか?」
「…名前は聞いたことがある程度です。」
「元素魔法というスキル名を聞くと、大体の奴は火とか水とか、そういう属性を扱うものだと思う。」
「…違うんですか?」
「全然違う。」
先生は短く言った。
「元素魔法は、ただ魔力を生み出すだけのスキルだ。」
「…魔力を、生み出すだけ?」
「そうだ。属性もない、特性もない、ただ純粋な魔力を体外へ生み出すことができる。それだけだ。」
しばらく、その言葉の意味を処理しようとした。
「…それは、つまり。」
「…あぁ、欠陥スキルだ。」
先生があっさりと言った。
「使い道がない上に、魔力を出せるだけで、何もできない。炎を出す魔法スキルなら炎を出せる。水を出すスキルなら水を出せる。でも元素魔法は、ただ魔力が出るだけだ。それを何かに変換する機能が何もない。だから欠陥と言われた。」
通路の奥から、音が来た。
7体が横並びになって突進してくる気配が音で分かった。蹄のような硬質の爪が、岩盤を砕きながら走ってくる音だ。
後方でリョウが武器に手をかけた。
「動くな。」
先生が静かに制した。
「今は俺が話してる。」
リョウの手が止まった。
先生は7体の突進を前に、歩くペースを変えなかった。
「欠陥スキルと言われた時、俺は二十歳だった。」
右手がゆっくりと前へ向いた。
「でも俺はこう思った。魔力だけを生み出せるなら、その魔力に自分で属性を与えてしまえばいいじゃないかって。」
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドンっ!
7つの鈍い音が連続して鳴り、7体が一瞬で崩れ落ちた。内側から、全部が同時に。
「火の魔法スキルは、最初から火の属性しか持てない。水の魔法スキルは水だけだ。でも元素魔法は、生み出した魔力に属性が何もない。裏を返せば、どんな属性でも付与できる可能性がある。」
先生は手を下ろして、また歩き始めた。
「…20年かかった。純粋な魔力に、自分で属性を作り出して付与するまで。俺が作った属性が、破壊だ。」
「…自分で属性を作った、ということですか?」
「そうだ。既存の属性じゃない。火でも水でも風でもない。対象の構造を根底から崩壊させる、俺が作った属性だ。」
マサトが後ろで呟いた。
「…欠陥スキルで、そんなことが。」
「欠陥だったから、できたんだ。」
先生は振り返らずに言った。
「普通のスキルはすでに属性が決まってる。そこに別の属性を作る余地がない。でも元素魔法は空っぽだった。空っぽだったから、俺が好きなものを詰め込めた。」
「…欠陥が、強みになったんですか?」
「欠陥を強みにしたんだ。なった、じゃない。したんだ。」
その言い方の違いが、妙に引っかかった。
「…スキルに縛られるな、ということですか?」
「そういうことだ。スキルに縛られるな。スキルを使え。似てるようで全然違う。縛られてる間は何も変わらない。その点、佐藤の陣魔法はいい線いってるぞ。」
エミリさんはそう言われるとまんざらでもなさそうに少し微笑んでいた。
「…田中は今何を思った?」
「…自分が縛られていたかもしれない、と。」
「何に?」
「……できないことに。」
先生は少し間を置いた。
「…悪くない気づきだ。」
それだけ言って、前から来た大型の魔物を1体消した。音もなく、欠伸をしながら。
◇
50層への降り口を抜けると、空気が変わった。
壁の結晶が色を変え始めていた。浅い層では透明や白に近い色だったものが、ここでは深い緑や青に変わっている。光の質が違う。温かみが消えて、冷たく、静かな光になっていた。
魔物の密度も上がった。
通路のあちこちから反応が押し寄せてきて、先生は止まることなく魔力を飛ばし続けていた。歩きながら、前を向きながら、鼻歌を歌いながら。
「パチンコ、お酒にた・ば・こ~…。」
ドン。ドン。ドン。
「今日もダンジョン、楽しいな~…。」
ドン。ドン。
「……先生。」
「うん?」
「先生のスキルが欠陥だったとして、普通の人なら別のスキルを取って諦めないですか?」
「諦める奴の方が多いなぁ。」
「…先生はなんで諦めなかったんですか?」
先生は少し間を置いた。
「他にやることがなかったから。」
「…それだけ、ですか。」
「それだけだ。パチンコで負けた翌日も、酒を飲んだ夜も、とりあえずダンジョンに来て試し続けた。気づいたら20年経ってた。」
「…大変じゃなかったですか。」
「大変だった。何度も諦めかけた。でも諦めた瞬間に終わりだと分かってたから、諦めなかっただけだ。それだけだよ。」
あっさりと言った。
20年間諦めなかった理由が、それだけだった。それだけ、という言葉の軽さと、20年という時間の重さが、僕の中でうまく噛み合わなかった。
◇
60層に入った頃、マサトが口を開いた。
「…先生。」
「んだよ。」
「俺たち、さっきものすごく怖い思いをしたんですけど。」
「知ってる。」
「先生は怖くないんですか。ここが。」
先生は少し考えてから答えた。
「怖くない場所なんてない。」
「え?」
「俺だって怖い。ただ、怖さに慣れてるだけだ。」
マサトが少し驚いた顔をした。
「……でも先生、全然平気そうじゃないですか。鼻歌歌いながら歩いてるし。」
「それは慣れてるからだ。怖くないわけじゃない。」
先生は足を止めずに言った。
「聞いとけ、これは大事なことだ。」
全員が、自然と耳を傾けた。
生徒ではないリョウ達ですら。
「恐怖を忘れるな。怖いという感覚は、お前らが生きてる証拠だ。怖いから慎重になる。怖いから考える。怖いから生き残れる。それはとても大切な感覚だ。絶対に手放すな。」
「……でも怖いと、動けなくなりませんか。」
僕が言うと、先生は首を横に振った。
「動けなくなるのは恐怖のせいじゃない。恐怖に飲まれるからだ。怖いまま動け。怖いまま考えろ。怖さを感じながら、それでも足を踏み出す。それが強さだ。」
「…恐怖を消すんじゃなくて。」
「恐怖と共存しろ。消したら死ぬぞ。怖くなくなった瞬間に、人間は油断する。油断は死に直結する。」
後方でエミリさんが静かに言った。
「…先生はずっとそれを実践してきたんですか。」
「してきた。してきたから、今ここにいる。」
「…20年間、ずっと。」
「そうだ。」
それだけ言って、先生は前を向いた。
「俺が鼻歌を歌ってるのは、怖くないからじゃない。」
「じゃあ、なんでですか。」
「怖いから歌う。気を抜いたら飲まれる。だから意識的に力を抜く場所を作る。それだけだ。」
その答えは、思っていたものと全然違った。
先生が鼻歌を歌い続けているのは、怖さへの対処法だった。
「…パチンコの歌詞は必要ですか。」
「好きな歌でいいんだよ。俺の好きな歌がたまたまパチンコの話なだけだ。」
「そうなんですね。」
「文句あるか。」
「ないです。」
前方の大型魔物が間合いに入った。
先生は鼻歌の途中で、さらりと右手を向けた。
ドン。
崩れ落ちた。
後ろでリョウが何かを呟いたが、聞き取れなかった。たぶん感嘆か諦めかどちらかだと思う。
◇
70層への降り口が、遠くに見え始めた頃だった。
壁の結晶の色が、また変わっていた。深い紺色が広がっていて、暗闇の中でぼんやりと輝いている。
ルージュが、ずっと先生から少し距離を置いて歩いていた。僕の袖は手放さずに、だけど先生の方をちらちらと見ながら。
「…ルージュ。」
「なに。」
「先生のこと、怖い?」
「…こわいっていうか。」
ルージュは少し考えた。
「…あのひとの魔力、よく感じ取れない。底がどこか分からない。形も分からない。そういうひとは、あたし初めて見た。」
「……それが怖い?」
「…怖いっていうより、不思議。でも、すごいとは思う。」
先生が振り返った。
「何を話してるんだ、お前ら。」
「ルージュが先生の魔力が不思議だと言っていました。」
「そうか。」
先生は特に反応せず、また前を向いた。
「…田中。お前の魔力感知はどこまでできる?操作はできんのか?」
「…少しだけ。」
「それを、何かに向けることはできるか。」
「…ナイフに流すことは一応できます。」
「なるほど。」
先生は短く頷いた。
「お前は今後、その精度を上げることだけ考えろ。外に出てから操るのを前提にするなら、出し方のコントロールが全てだ。量より精度だ。どこへ、どれだけ出すか。それを磨け。」
「…はい。」
「それができるようになったら、次の話をしてやる。」
「次の話、とは。」
「今はまだ早い。帰ってから話してやるよ。」
先生はそれ以上言わなかった。
70層への降り口が、正面に迫ってきた。漆黒に近い石組みのアーチが、静かにそこに立っていた。向こう側から流れてくる空気が、60層までとはまた違う重さを持っていた。
「70層からは別の授業をする。」
先生が言った。
「ダンジョンコアの話だ。聞いとけ、これは探索者でもほとんど知らない話だ。」
全員が、無言で頷いた。
――こやつ、なかなかやるな。
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