第107話 夢の試練 完――優しい世界の崩壊
――私たちが、ここにいるから
「……これは、いったい誰の声なんだろう。」
「アルト、どうした?」
お父さんが、また表情を消し訪ねてくる。
怖いからやめてくれないだろうか?
「……また聞こえたんだよ。女の子の声が。」
「気のせいだよ。」
「……気のせい、じゃない気がして。」
「気のせいだ。」
「……お父さん?」
「なんだ。」
「……僕は、ここにいて本当にいいんだよね?」
先程よりも不安色を強くお父さんに聞いてみたがやはり返答は変わらない様で。
「さっきも言っただろ。いていいに決まってる。」
と、だけ返ってくる。
……僕がおかしいのかな?
「……本当に?」
「本当だ。」
「……僕が、ここにいることで、誰かが困っていたりしない?」
お父さんが、また少しだけ顔が変わった。
真顔を通り越し少し睨みつけてきているようなそんな表情に…。
「……困らないよ。」
「……本当に?」
「本当だ。」
「……でも外から聞こえる声は、確かに僕を呼んでいる気がするんだよ。」
「それは気のせいだ。」
「……でも。」
「気のせいだって言ってるだろ。」
語気が強くなり更に僕は怯んでしまう。
どうして僕の言葉をちゃんと聞いてくれないんだ…。
「……お父さん、ちょっと待って。」
「……何だ。」
「……僕の名前を…小林、さんが、呼んでる。」
そうだ、小林さんだよ。
どうして、分からなかったんだっ。
僕は小林さんと試練を受けていたんだった…。
それで僕は夢の試練に挑んでいて――
「知らない名前だな。」
「……知らない?僕の、友達の、名前だよ?」
「友達なら、ここにいただろ?さっきまで、みんないたじゃないか。」
「……でも、外から僕を呼び掛けてくれているんだよ。」
「気のせいだ。」
「……なんで、そんなに気のせいって言うの?なんで、頑なに信じてくれないの?」
お父さんが、黙りこくってしまった。
その沈黙が、僕には少しだけ長く感じてしまう。
やっぱり――
「……お父さん?」
「……ここにいればいい、アルト。それだけだ、それだけでいいんだ。」
「……外に、出てはいけないの?」
「ここが、アルトにとって一番いい場所…一番優しい世界、なんだぞ?」
「……お父さんは、僕が外に出ることを、嫌なの?」
返事がなくなってしまった。
「……お父さん?」
「……ココニイロ、アルト。」
その声が、どこかおかしかった。
やっぱり、お父さんじゃない…っ!
例え夢の世界だろうと、記憶の中のお父さんは決してこんなことを言わない。
僕のことを常に一番考えてくれていた…と思うっ!
「……っ。」
偽物だ…このお父さんは見た目だけの偽物なんだ…。
僕は立ち上がった。
「アルト、ドコニイクンダッ!」
「……少し、考えたいことがあって。」
「ここにいろ。」
「……少しだけ、いいですか。」
「ここにいろ。」
――アルト、くん。戻ってきて
……小林さん…。
この優しい…いや、僕にとって都合のいい世界と厳しい現実の世界…。
でも、厳しくとも母校を待ってくれている友達が僕の呼びかけてくれているんだよ…っ、お父さん。
「おいッ!」
お父さんが、立ち上がり僕の前に立ちふさがる。
「お前、どこへ行こうとしてるんだ。」
「……迷ったよ…?でもね、僕を待ってくれている友達が…僕のことを信じてくれている友達が僕にも出来たんだよ…?だから、僕はここ《夢の世界》から出なくちゃいけない。」
「……外はない。それに、お前にそんな友達ができるわけがない。誰もお前を友達なんて思っていない。」
「……あるよ、多分だけど。」
「そんなものはない。ここがお前にとっての現実になるんだよ。」
「……じゃあ、なんで小林さんの声が聞こえるの?」
お父さん(偽)が、黙る。
小林さんは試練を達成したのだろうか?
小林さんは無事なのだろう?
それに、現実世界のヒナさん達は今どうなっているんだろうか、僕たちのことを心配しているのではないのだろうか。
それに、現実世界では義父さんと義母さんが僕の帰りを待っているんだよ…。
僕はこの僕にとって都合のいい世界に…いるわけにはいかないんじゃないか?
……。
「……ここが夢の世界なら。」
「夢じゃない。ここを現実にするんだ。」
「……ここが夢の世界なら、外には現実があるはずじゃない?…お父さん。」
「……ここにいろ。お前が本当に望んだ世界のはずだ。」
「……僕が望んだ世界?」
「そうだ。お前が一番欲しかったものが、ここに全てある。なぜ出ていくんだ?」
「……欲しかったものが、ここにある。」
「そうだ。」
「……でも。」
外から、また声が聞こえた。
――……放さないよ。
……っ。
――……絶対に放さないからっ!
その声が、はっきり聞こえた。
今どうなっているのかは、僕のは分からないけど、どんどん小林さんの声が切羽詰まってきているのを感じる。
急がないといけないかもしれない……。
「……小林さんが、放さないって言ってる。」
「関係ない。」
「……関係あります。」
「ここにいろ。」
「……お父さん、僕、分かっちゃったんだよ。」
「なんが。」
「……ここは、本物、はいないんだね。」
「……。」
お父さん(偽)が、再び黙る。
やっぱりそうだよね……。
だって、僕の両親は――
「……僕ね、僅かに覚えていることがあるんだよ…。」
そう…時折見ていたあの忌まわしき悪夢…。
見るたびに脂汗と途轍もない自己嫌悪に苛まれた。
あの悪夢が僕の過去の記憶であることは、この試練の最初の方で立証されてしまっている。
「……僕の両親は、もう…死んでしまっているんだよっ、僕を庇って魔物共の群れに向かってっ…食べられてしまった、んだよ…。」
――母は言っていた。
……アルト…ずっと愛しているからね。
――父は言っていた。
アルト!生きてくれ。絶対にそこから出てくるなよ。
後ろ姿だけだったけど、あれが僕の両親の本物の姿だったのだと今は思う。
目の前の辺に優しいだけの人では、決してない。
「それに、本物のお父さんはっ、僕にっ好きに生きてくれって言ってくれるはずだっ。ここにいろなんて、絶対に言わないっ!」
「……っ。」
「本物のお父さんは、僕を引き留めたりなんかはしないっ。」
「……例え偽物だとしても、ここにいれば、幸せになれるんだぞ。」
「……幸せ、ですか、…えぇ、楽しかったし、幸せだったよ。…でも。」
小林さんの声が、また聞こえてくる。
――……現実は痛いし、怖いし、辛いこともあるけど
……私たちが、いるから…っ!
――……私たちが、ずっと一緒にいるからっ!
小林さん…ありがとう。
「……現実で、小林さんが待っているだっ。」
「それがどうした。」
「……ここにいたら、小林さんを何も分からない場所に一人にしちゃう。僕は、今小林さんに現在進行形で迷惑をかけてるだよっ。だから、僕はここ《夢の世界》にはいられないよ、お父さん。」
「……迷惑なんてかけていない。ここにいれば、全部丸く収まるはずだ。その女もそのうち諦めるはずだよ。」
「……本物の幸せって何?」
お父さん…何も言ってくれない、か。
でも、僕ももう気づいてはいたんだよ…うっすらとだけど。
僕の本当の幸せ、それはこんなことではない、と。
「……本物のお父さんは、ここにはいない。本物のお母さんも。本物のみんなも、いない。」
「……幸せを感じていたじゃないか?」
「……感じてはいたよ?でも、それは本物じゃない。偽物…いや、僕の甘えだったんだよ…。」
「本物と何が違うんだ?甘えたっていいじゃないか?」
「……小林さんも言っていたけど、現実は辛いし苦しい、それこそ痛い思いもするよ?…でも、でもね、だからこそその辛い時を乗り越えた時こそが本当の幸せが待っているんだと思うんだ。……これは、幸せなんかじゃないよ、ただ全てを投げ捨てて逃げているだけだよ…。」
「……っ。」
お父さんの顔が、どんどん崩れていく。
別のものになっていく。
気づくと世界には罅が入っていき、お父さんだった人は女性の形を作っていた。
お、女の人だったのっ!?
お父さんの偽物どうこうではなく、性別すら違うじゃないか…。
なんで、騙されていたのだろうか。
「……やはり、外に出るのぉ?」
「……で、出ます。」
「後悔するわよぉ?現実は痛いし辛いし、悲しみに溢れているわぁ。」
「……知ってます。」
良く知っていますよ。
現実が優しくないなんてことは…。
「ここにいれば、想いもする必要がないわぁ。」
「……それも知っています。でも、現実世界で小林さんが待っているんです。それに、マサトに、エミリさん、ヒナさんだって、みんながきっと僕たちを探してくれていると思うんです。…家では、義父さん達も待っていますし。」
「……それがどうしたのぉ?」
「……それが、僕の全てですよ。この試練でよく分かりました、僕は"友達"がいたからこそ、ここまでやってこれたんだと。多分一人だったら僕は、とうの昔に死んでいたかもしれません、義父さん達が僕をここまで育ててくれたんです。だから――」
目の前の女性は理解できない顔をして僕を見ていたけど、この世界もどんどん限界に近付いているようだ。
光が、強く滲み始め夢の世界の均衡が崩れた。
「……僕はこんな夢なんか、いりません。僕には待ってくれている人たちがいるからっ!」
光が、とうとう僕の身体を蝕み始める。
それに、とても眩しくて目を開いてはいられなくなり僕は強く目を瞑る。
「……小林さん。」
小林さん…みんな――
「……今、帰るよっ。」
ついには光が、世界全てを飲み込んだ。
――アルトくんっ!待ってるからっ!
――こっち来てもいいの…?
――あれ?ここどこっ!?私はどうしてこんなに舞台袖みたいな所にいるのっ!?
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