おバカ貴族と復讐
十八歳の誕生日の翌日。
カサルは地下工場の最深部で、最後の一工程を見届けていた。
無機質な魔導機械が規則的な音を立て、琥珀色の粘土に似た物質を、次々と正確な長方形のブロックへと成形していく。
「……よし。味覚の快楽性は排除したが、生命維持に必要な栄養素の密度は極限まで高めた。これ一つで、成人が三日間は無補給で活動に従事できる。……実に効率的な備蓄だ」
カサルが九年かけて完成させた『無人食糧生産ライン』。
龍災という天災にも、政治という人災にも左右されず、淡々と食糧を生み出し続けるこの機構は、この九年間、数多の領民を密かに飢餓から救い出してきた。
カサルは出来上がったブロックを大きな袋に詰め込み、その細い背に担いだ。
トロッコで地上へ戻ると、鏡の前で表情を「固定」する。
今のカサルに求められているのは、会話は成立するがどこか噛み合わない、静かに壊れた「美しい偶像」としての振る舞いだ。
「よし……これでいい」
漆黒のドレスの裾を揺らし、カサルは城下街へ足を踏み出した。
広場へ向かうと、案の定、そこには炊き出しの列を指揮する弟の姿があった。
「ザラよ。今日はよい配給日和だな」
カサルが首を小さく傾けて微笑むと、十六歳のザラが顔を上げた。その瞳には、兄への深い慈しみと、拭いきれない憐憫が宿っている。
「兄さん……。ああ、これで皆のお腹が少しでも膨れればいいんだけど。……そんな重そうなものを持って。服が汚れますから、兄さんは日陰で休んでいてください」
「ふふ、日陰か。……確かに、直射日光は我には少し強すぎるな」
微笑を湛えたまま、カサルは大きな袋を背負ってザラの隣に立った。
ザラが百八十センチを超える長身に育ったことで、今やどちらが兄か分からないほど体格差が開いている。だが、カサルにとってこの身長差は「都合の良い目隠し」に過ぎない。
「兄さん、その袋の中身は?」
「ん? これか。新作の『レンガ』だ。また大量に出来てしまってな、邪魔だからお裾分けに来たのだよ」
「レンガを配るなんて……。兄さん、それは流石に皆の迷惑になるから……」
「我のことはいい。それより、領民に食事を配ってやったらどうだ。皆、お前の『慈悲』を求めて並んでいるぞ」
配給の列には、痩せ細り、目に生気のない領民たちが並んでいた。彼らに手渡されているのは、具のない薄いスープと、石のように硬い黒パンの欠片だ。
カサルは列の間を抜け、誰に栄養が足りていないかを冷徹に観察して回った。
そして、力なく座り込んでいた一人の子供の手に、琥珀色のブロックをそっと握らせる。
「ほら、お食べ。……それは『バカにしか見えない魔法のクッキー』だ。賢い大人にはただのレンガに見えるだろうが、君なら味がわかるはずだよ」
子供は当惑しながらも、空腹に耐えかねてそのブロックに齧りついた。
本来、カサルの作った栄養食は「機能」を最優先しており、味などは二の次だ。だが、九年の研鑽は、それを「噛みしめるほどに滋味深い、生存のための結晶」へと進化させていた。
「……おいしくない」
文句をこぼす子供の目に、生命の光が戻る。
カサルは満足げに目を細めた。感謝の言葉など彼にとって塵ほどの価値もなかった。
この子供が将来的に糞尿を垂れ流し、繁殖し、税を納める領民として機能し続けるのであれば、それで十分だった。
「さあ、拾え拾え。美味しいレンガクッキーだぞ」
それを皮切りに、カサルは次々と「レンガ」を領民たちへ放り投げていった。
その奇行を見守る領民たちの目には温かな、しかし哀れみの色が浮かんでいる。
「危ないですよ、カサル様! ……ったく、またそんな妙なものを配って」
「いいから受け取っておけ。カサル様からの贈り物だ、無下にはするな。
……それに案外、食えないこともないから」
領民たちは苦笑しつつ、謎の「軽いレンガ」を口に運び、空腹を紛らわせていた。
その光景を、邸のバルコニーから見下ろしている二つの影があった。父イザームと、母ジュディスである。
「……またですか。カサルはいつまで、あのような無意味な遊びを続けるのかしら。建材を盗んで配り歩くだなんて。……恥ずかしくて、見ていられませんわ」
ジュディスが不快そうに扇子で視界を遮った。その声は棘があるようでいて、微かに震えている。
「……放っておけ。あれは、奴なりの『善意』なのだろう」
イザームの声は低く、ひどく掠れていた。彼は手すりを握りしめたまま、泥にまみれて笑うカサルから目を逸らすことができない。
「善意? 旦那様、あれは単なるうつけの奇行です。ゴミを配り歩いているだけ。……あの子が『神童』と呼ばれていた頃の面影など、もうどこにも……」
「……分かっている! 言うな、ジュディス!」
イザームの鋭い制止に、妻が息を呑む。
彼の脳裏には、今も鮮明に焼き付いている。九年前のあの茶会。自分の腕の中から滑り落ち、石畳へと吸い込まれていった、小さかったカサルの姿。
助けを求めるように伸ばされたあの指先を、自分は掴むことができなかった。
「……あの日、私が手を離さなければ、あの子は今頃、この領地を、いや国を導く賢者になっていたはずなのだ。今のあの子がガラクタを配り、泥遊びに興じているのは……すべて、私の、この手のせいなのだ」
イザームは自らの右手を、憎々しげに見つめた。
彼にとって、カサルの奇行は「失望」ではなく、自身の罪を突きつける「断罪」であった。
「……だから、好きなようにさせてやれ。あの子が笑っていられるなら、材料費など安いものだ。……我々の希望は、あそこにいるザラに託すしかない。カサルは……せめて、この邸で一生、不自由なく飼い殺してやるのが、私にできる唯一の償いなのだ」
イザームは力なく首を振ると、逃げるように部屋の奥へと消えた。ジュディスもまた、一度だけカサルを悲しげに見つめ、夫の後に続いた。
彼らには見えていなかった。
バルコニーから消えた両親の背後で、カサルが扇子で口元を隠し、冷徹な「勝利」の笑みを浮かべていたことに。
(……ククク。計画通り。九年経ってもなお、その傷は塞がっていないようだな。……期待を捨て、憐憫に沈め。お前たちが我から目を逸らせば逸らすほど、我は自由に動ける)
カサルは空になった袋を回収すると、ドレスの汚れを払うこともせず、ザラの方を向いた。
「ザラ、我の片付けは終わった。……これで部屋もスッキリだ。今夜はぐっすりと眠れそうだぜ」
「お兄様……。あんなもの、どこから持って来たんです?」
「しっ! 静かに。レンガを盗んだことがバレたら、大工の親方が怒って飛んでくるからな……!」
カサルは人差し指を唇に当て、静かに笑った。
邸の者たちは誰も知らない。
領地が貧乏でありながら、なぜかこの数年、病人も死人も劇的に減っている理由を。
すべてはこの「うつけ者」が合理性のために仕組んだ、完璧なメンテナンスの結果であることを。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




